霊の「関東……もとい、長州ウォーキング」

「関東歩き旅」の続編で、「長州歩き旅」を始めました

二回目の肥中街道一日目(山口市内⇒御坊)

2013年04月27日 | 肥中街道

2013年4月27日(土)

前回、肥中(ひぢゅう)街道を歩いたのはもう3年前になるのだが、久しぶりにまた歩きたくなって朝から出かけた。本来なら、山口市内道場門前の安倍橋がこの街道の起点なのだが、この2月に地蔵峠を超えた際に、既に吉敷の凌雲寺跡入り口までは街道を歩いているので、今日はJR湯田温泉駅前からスタートすることにした。
タイトル写真のように、駅前では大きな「ゆう太くん」の出迎えを受け、旅を見守っていただきながら悠々と歩き始める。この「ゆう太くん」は、性格がおっとりしていてO型、当然のんびりやさんなのだが、好きな食べ物が「ふぐ刺し」らしい(…キツネのくせに贅沢!)ので、何だかオイラと相通ずるものがあるのだナ。ま、見た目はエライ違いだが・・・・・

湯田温泉の町中を通り過ぎ、国道435号から左に逸れて吉敷大橋で吉敷川を渡り、国道に合流するまでの暫くは交通量が少ない旧道をのんびりと歩くことができる。セブン-イレブンのところで国道を横切り、今度は国道の右側に続く旧道を往くと、その先に周防四宮(すおうしのみや)と呼ばれる「赤田神社」が見えてくる。今日も元気で歩けることを神に感謝して、更に街道を進む。

そのすぐ先の、右側の中尾地区へ入る分かれ道で街道は左へ逸れ、国道からまた離れる。ここに、「大内氏遺跡・凌雲寺跡入り口」と書かれた標識が建っている。
ここから暫くの間は、車がごくたまにしか通らない静かな旧道になり、鳥の囀りを楽しみながら初夏の緑をふんだんに楽しむことができる。
やがて吉敷畑(よしきばた)集落に差し掛かり、国道の下を潜って更に坂を登って行く。眼下には、もう田植えの準備が整いつつある田圃も見えることから(写真下)、蛙の合唱が聞こえ始めるのも間近だろう。


少しづつ登り坂の傾斜は急になってくるが、吉敷畑から吉敷峠(大峠)まではそんなに距離が無い(1.5km位)ことが分かっているので、特に休憩も取らずに一気に峠を目指す。そして漸く吉敷峠に到着し(写真下)、暫しの休憩を摂る。

この画像下に見える「国境」がどこの国同士の境を示しているのか、分からない方は自分で調べてみてねぇ~。山口県人としては、常識だよぉ~~

吉敷峠を超えると、そこは旧美東町(現:美祢市)綾木地区で、大石集落で国道に再度合流する。その先は国道を往くのだが、鳳鳴小学校を過ぎて道が左にカーブした先に、右手に旧道が残っている・・・が、以前は無かった「通行禁止」の看板が建っていた(写真下)。

ここは構わず、この道を往く。写真のように、黄色のガードレールがあることから、以前は県道であったことを示している。山口県の道路は何とも分り易いですナァ~ (・・・って、余り意味ないように思うけど・・・)。

国道左手の四之瀬地区を抜ける旧道を行き、植竹地区に出て県道28号(小郡三隅線)を小郡方面に左折することになる。ここに綾木バス停があるのだが、すぐ大田寄り(北側)に「米まんじゅう」の友永商店があるのを思い出して行ってみた。・・・が、無念にも「本日休業」の貼り紙が目に入り、チョー寂しく、来た道を植竹交差点まで引き返す(トホホ)

気を取り直して植竹交差点から県道28号沿いに南下し、暫く行った先の右手に綾木小学校が見えたところで柿ノ木原交差点を右折して、県道30号に入る。続いて左手にお寺が見えてくる所の交差点を右折し、県道から逸れて太田川に架かる橋を渡る。
小郡萩道路の下を潜り、御坊交差点の少し手前から県道を逸れて左手の旧道に入る。旧美東町と旧秋芳町の境には、共に美祢市に合併された今も、町境の標識が建っていて何だか可笑しい(写真下)。


この旧道を経て、本日ゴールの御坊交差点に出たのだが、交差点そばのバス停に行ってみると、何と次のバスが約一時間後ということが分かった。そのままバスが来るのを待つのも芸が無いので、バス路線沿いに南下して十文字交差点まで約30分ついでに歩き、ここからバスに乗って帰路についたのだった。

今日は、延べ6時間の約4万2千歩だった。久し振りのウォーキングだったが、特に足の疲れもなく快調に歩けたのは、殊の外嬉しいナッ。

二日目に続く



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