みちのくレースのおたのしみ

岩手競馬にまつわるあれこれ。とか。

問題は 競馬の未来の描き方にある

2004年12月11日 | 岩手競馬
 ちょうど今、岩手の県議会で「岩手競馬組合改革実行計画」の件が議事にあがっていまして、50億円融資の話、計画そのものの実効性に対する疑問等々、議論が繰り広げられています。今のところ県側が防戦一方の形で、こういう事になるんだろうな、とは思っていたものの、このあとの方向がどうなるのか非常に気になるところです。
 そんな動向をしばらく見ていよう、なんて思っていたら、今朝の岩手日報に「出直し論急浮上」なんて見出しが出ました。50億融資問題の収束のために、県が出した補正予算案をいったん否決、実行計画の修正も視野に入れながら、改めて臨時議会で検討、という話。
 一番問題になっているのは、実行計画の中で示された将来の売り上げ推移なのでしょう。あと5年ほどの間に100億円規模の売り上げ増を見込む内容は、競馬に好意的な議員さんにも不安視されていたほどですから、批判的な立場の方に机上の空論・絵に描いた餅と突っ込まれるのもむべなるかな、です。

 融資そのものは最終的には行われるだろうと思いますが、このまま再検討・臨時議会開催という流れになった場合、融資が実行されるのがそれだけ遅れていくと思われますし、実行計画の修正を求められるとしてそれに手間取ったら、来年度の開催にむけた準備にも影響するでしょう。新年度がどういう日程になるのか、賞金はどうなるのか等々、できる限り早くはっきりさせないと今年の二の舞ですから、このあたり、スムーズに進んでほしいと願わずにはいられません。

 ま、もともと実行計画そのものがつっこみどころ満載なうえ、いかにもお役所的なまとめ方で「これで岩手競馬がどうなるの?どう変わるの?」というイメージが湧かないものですから、結局、ポコッと生々しく挟まった融資お願い部分ばかりがクローズアップされて、“この融資を通すための計画か?”と思われちゃうんでしょうね。議論して頂きたいところは他にもあるんですが・・・。

 ところでこの「融資」、県から組合に50億円が行ったっきりになる、という性格のものではなくて、あくまでも短期融資・つなぎ融資。組合が馬券を売るなりしたらすぐ返すものです。
 だからといって“たいしたことないじゃん”というものではないですよ。今まで銀行から借りていたものが、累積負債分も大きくなったせいで貸してくれなくなったから、それを県にお願いします、ってことです。「そこまで追い込まれているのか」と受け止めておく部分ではあります。



 ネットで公開されている計画書は11ページまでのものですが、発表会見の際に配られたものでは「別紙」の施策部分がもっと細かく記載されていました。その施策案が、「これ、大丈夫かな?」と思わせるものが結構あるんですね。
 私もそういう計画を作る方の経験をした事がありますから、細かい施策部分はあくまで計画を進めていく上でのメニューであって、必ずしも全てその通りに進むものではない、とは理解しています。理解していますが、これをもってして『乾坤一擲』の改革を進める、そのためのアクションプランだというには、数字合わせ的な部分が多いように感じます。
 少なくとも「競馬開催だけですでに赤字」という状況を解消し、なおかつ自立して負債を減らしていく、という点を一生懸命にアピールするには、そうするしかないのかもしれませんが・・・。

 どうでしょうね。1年の開催日が126日なら、1日平均売り上げ3億、年間で378億の線は意地でも守る。その水準キープに力を注ぐ一方、その水準で競馬開催レベルを黒字にし、負債も返していけるような仕組みを作るというのが一番じゃないでしょうか?
 もうかつての700億なんて売り上げは無理。一場の夢だったと思ってすっぱり忘れる。だいいち、これから少子高齢化が進めば、これまでのように若い世代が新しい顧客として補充されなくなるのですから、現状キープを10年続けるだけでも相当な努力が必要だと思うのです。



 私が一番気にしているのは、実行計画にせよ県議会での議論にせよ、今までの枠組みの中での議論になっている、というところです。
 実行計画があって競馬法改正があって、これから再建・改革を進めていく過程で、岩手競馬のあり方が今までと違うものになるかもしれない。その可能性は、私は高いと思うし、そうならなければならない部分も少なからずあると思う。これからは何かひとつ手を打ったら、それで周辺の条件が次々と変わって、また新しい手を出さなくてはならないような状況になると思います。それなのに、今まで通りの発想でいいのかな?と。
 根本的には「地方競馬の存在意義は財政への貢献のため」という前提を取り払って、自立した存在として定義し直す事だと思いますが、これを言うのはまだ早いかもしれないですね。

 財政競馬の軛につないだままにするか、もっと違う役目を与えるか。それで将来像が大きく変わってくるはず。競馬に何が残されていて何ができるか、できる限りの想像力をもって、最大の可能性を探らないといけない。
 だからといって赤字を棚上げにしろとか言うつもりはないですよ。理想で赤字は減りませんし、メシも食えませんから。
 ただ、将来も競馬をやるならば、なんのためにやるのか?誰のためにやるのか?逆の場合もまたしかり。その視点を落としたままでは、結果がどうなるにせよ誰も幸せになれないと思うんですよね。

最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
R-CALLについて (ただし)
2004-12-12 14:28:14
R-CALLを維持する理由がわかりません。

D-NETに参加し、ネット投票も行なっている現状で、維持しているのは利権関係でしょうか?無駄な経費を押さえる意味でも廃止は妥当なものと思うのですが…。

新たにネット投票を考えてるそうですが、なぜD-NETを生かすことを考えないのでしょう?

正直、馬券を買うのも萎えてしまいます。
返信する
Unknown (おさる)
2004-12-15 00:17:48
> 根本的には「地方競馬の存在意義は財政への貢献のため」という前提を取り払って、自立した存在として定義し直す事だと思いますが

意味が理解出来ません。

少なくとも岩手競馬は自立していました。

財政寄与に足をとられ拡大再生産が阻害されてことはないでしょう。

私は、自立が野放図に成り代わった結果の今日の岩手競馬の姿と思いますが、いかがでしょう。

競馬を継続するには、言い訳しないで赤字を出さない、身の丈経営しか無いと思います。

将来像も結構な事ですが、今を生きるにシフトしたほうがいいと思います。

岩手競馬の一番の誤算は自ら描いた将来像に縛られて現実とのギャップを埋めきれなかったのではないでしょうか。
返信する
>>re: R-CALLについて (よこてん)
2004-12-15 01:04:14
利権かどうかはコメントを差し控えます。先にできたのはR-CALLの方ですが、今となっては機能がダブりすぎていますからね。近いうちに形が変わると思いますよ。
返信する
>>re: Unknown (よこてん)
2004-12-15 02:22:38
>>意味が理解出来ません。

えーっと、最近あちこちでこういう話を振って、結果フラれ続けたので意地になって同じような書き方をしてしまいました。意味不明ですみません。

端的に言って「民営化」を目指すべき、って意図です。今の形では政治的に自立できていません。



私も、全く手足を縛られていたとは思っていませんよ。今の状況は競馬組合自身の舵取りのミス・経営ミスが招いた事は間違いないですし。そのところがおさるさんと大きく異なる認識ではないと思います。

ただ、管理者以下組合トップは構成団体からの出向者等で占められていたわけで、その事による影響があった事も間違いないと考えています。



後段、将来像の部分は2つ反論させて下さい。

まず一つ。ご存じだと思いますが競馬は“今年買った若駒が2年後・3年後に走る”ものですから、ある程度のスパンで考えなくてはなりません。“来年はどうだろう?”では馬や人がついていけなくなります。

もう一つ。おさるさんのおっしゃる「自ら描いた将来像」は、実はまともな将来像はなかったんですよ。少なくともこの3年ほどは。競馬組合自身の方向性にしても、周囲にしても。だから埋めるもなにも、現実をフォローしてないんです。



何もしなくても生きていける時代ではないですから、岩手競馬に何ができて何ができないのか、何が残されていて何は捨てなくてはならないか。そういうイメージを決めないまま進んだら、例え今を生き延びてもいずれ同じ事だと思うんです。いかがでしょうか?
返信する
Unknown (おさる)
2004-12-15 13:38:43
あなたの言わんとすること、間違っているとは思わないが、観念論が行き過ぎているとわたしは思う。

>「自ら描いた将来像」は、実はまともな将来像はなかったんですよ

これは、結果論の域を出ない。少なくとも誰も異議を唱えなかった。つまり、マトモだと思っていた。もしかしたら、特定の権力者が異議さえ封殺されれいたのかもしれない。

しかし、それこそが、民営の手法ではないか。

経営者が方法論が全てを既定する。その裏返しが経営責任。

倒産する企業、特定の事業からの撤退、みんな結果論。

今日の岩手競馬が民営なら倒産か撤退は免れないでしょう。

現時点、そうなっていないのは、あなたの言う「政治介入の余地」という災いが転じいてるのはなんとも皮肉。



さて、競馬がなんのためにあるか、やるのか。答えは簡単ではない。

消去法で考えたい。

>“来年はどうだろう?”では馬や人がついていけなくなります。

彼らは数年先を見通し、投資する、あるいは人生を賭ける人たちなのは間違いない。彼らがなくて競馬は成立しない。しかし、彼らに彼らの望む、要求する活きる糧、賞金手当の原資は売上から捻出する以外に方法はあるだろうか。

赤字全体を公金で穴埋めする論が、私の考えでは全面的に間違っているとは思わないし、道理の一端は認める。

しかし、世論は容認しない。

他のスポーツ、業態に目を向けるとよくわかる。

第一人者であってもプロなのかアマなのか判然としないものが多い。儲からない仕事している人も。

彼らを充足させているのはカネ以外の動機である。

もし、馬主、厩舎関係者に賞金手当がこれ以上に大幅に減額されるようなら撤退するという人がいるかもしれない。いや確実にいるのだろう。でもいいではないですか。残った人で頑張ればいい。

もし全員だったら?競馬やめたらいい。

彼らを望みを叶える為に競馬やっているわけではないし、彼らを束縛も出来ない。

雇用も同じ、委託業者も同じ。



>岩手競馬に何ができて何ができないのか、何が残されていて何は捨てなくてはならないか。

何ができるか=リストラ

何ができないのか=売上を伸ばす事

何が残されているか=競馬を行うハード、ソフト

何は捨てなくてはならないか=こだわり、聖域



今日を生きる事無く明日はない。終わりがくるとすれば、天の声。

返信する