みちのくレースのおたのしみ

岩手競馬にまつわるあれこれ。とか。

川崎記念 ウツミジョーダン3着!

2005年01月27日 | 岩手競馬
 というわけで川崎記念から帰って参りました。マンボツイストは残念な結果でしたが、ウツミジョーダン3着!よく頑張ってくれました。

 1番人気で7着に敗れた桐花賞後、すぐに気持ちを切り替えたウツミジョーダン陣営。川崎記念への申し込みを済ませると、川崎での滞在・調教が可能になる1月11日には即座に移動して調整を開始(マンボツイストも同時に移動しました)。
 前半は高松亮騎手が帯同して調教にあたり、後半は小林俊彦騎手も参加して万全の構えで進めた甲斐あってか、疲れがピークだった桐花賞に比べれば、バリバリの100%とはいかないまでも、はるかに良い状態でレースに挑む事ができました。

 その結果が、3着。確かに最後は脚色が鈍りましたし、優勝争いからは4馬身離されました。しかしながら、小林俊彦騎手が「連戦の疲れがある今はこれ以上ない結果。よくここまでがんばってくれた、と馬を褒めてあげたい」と言うように、現時点での力は100%以上出し切ったと思います。

 まあ先ほど「バリバリの100%とはいかないまでも」という表現をしましたが、小林騎手に言わせれば、絶好調だった浦和記念時に比べるとそれには及ばない、という事で、普通か普通以上の状態には持って行けた、とのこと。ただ、「正直あと4、5日あって、もう1回追い切れていたら、もっといい状態で出られたんだけど」とも言っておられました。
 地元専門紙での評価や判断には『G1を狙いに来るにはローテーションがキツ過ぎ』という事もあったようで、ここで3着に走ってしまってから見れば、桐花賞出走の是非ということも言われてしまうのでしょうが、そこはあくまでも結果論でしょう(私なんかも、“完調でなくとも格好はつけてくれるだろう”と思っていたクチですから、そこはなんとも言い難いですが・・・)。

 気になる次走は、ここまで無理をさせたから休ませてあげたい、ということでしばらく未定。とはいえ、右回りよりは左回りの方がいい・中距離も問題ない、となると、いずれ狙うレースも浮かびあがってくるのではないでしょうか。グレードレースの掲示板くらいでは、終わってほしくないですね。

 一方マンボツイストの方は、装鞍所やパドックで見ていた感じでは悪い状態ではないと思ったのですが、騎乗した森下博騎手がいうには「まだ太めだね。楽について回れなかった」とのこと。9着という結果でしたが「力のありそうな走りはするから、きっちり仕上がればもっと良いレースができる馬だと思う」そうで、今回はひとまずおいて、次戦に期待、という事になるでしょう。

 ところで、勝ったタイムパラドックスは2000mまでと2000m以上では別馬ですし、まともに走ればこれくらいの力はあるからいいとして、2着のシーキングザダイヤがねえ・・・。
 初ダートだったとちぎマロニエカップではすっかり“お客さん”だと思っていましたから“意外な好走”にダートでも走るんだ、と見直しましたが、それにしても1600mでも長いような馬に、いくらなんでも2100mはなあ、と思ったんですけどねえ。
 そのへんを森調教師にうかがおうとしたところ、「折り合いがつくから距離は大丈夫」「力があるから大丈夫」といつもの森節ではぐらかされてしまいました。
 ここのところは、朝方にみぞれまじりの雨が降っていくらか軽くなったコース状態に加え、G1にしては遅いペースの流れだった、というのが影響していると思います。
 逆に、前日までのコース状態だったら、その方がウツミジョーダンにはもっと良かったと思うんですがねえ。ま、それもレバタラの結果論ですけれど。

年度代表馬雑感

2005年01月19日 | 岩手競馬
 今年も全5部門にわたる優秀馬、そして年度代表馬が発表されております。年度代表馬は2年連続でトニージェントとなりました。その他部門の優秀馬の詳細はこちらを見て頂きましょう。私は、今回の年度代表馬・優秀馬の選定は難しかっただろうなあ、と思いましたね。

 今回の選定に関して例年と違うのは、年度途中で転出した馬にも権利があるという点。これが複雑度をより増した感があります。
 年度代表馬の候補としてすぐに名が挙がるのが、まずトニージェント・ウツミジョーダンの2頭。そして、先のルールによって、12月中に転出してしまったタイキシェンロンも加わります。

 トニージェントは桐花賞・トウケイニセイ記念をそれぞれ3連覇という偉業を達成しましたし、みちのく大賞典も勝ちました。
 一方タイキシェンロンは、みちのく大賞典こそ崩れましたがシアンモア記念・青藍賞・栗駒賞と重賞3勝、クラスターCの5着も価値があります。
 ウツミジョーダンは、春先はもう一つでしたが夏を越して成長を見せ、北上川大賞典を優勝。遠征しても浦和記念4着、そして報知オールスターC優勝という、岩手所属馬としては久しぶりの遠征での重賞勝ちを成し遂げたのが立派でした。

 “岩手で勝ったレース”という点だけで考えると、トニー(みちのく大賞典・桐花賞・他1勝)>=タイキ(シアンモア記念・他2勝)>ウツミ(北上川大賞典のみ)という感じでしょうか。
 桐花賞で崩れたウツミジョーダンはちょっと落ちるとして、春先のタイキシェンロンの、明らかにトニージェントを上回っていたパフォーマンスを考えればタイキ>トニーなんですが、結局、3連覇の話題性を含めてトニージェントの印象が上回った、という事になるのでしょうね。

 これに遠征の成績を併せて考えると複雑になってきますよね。ウツミ(ローカル重賞1勝・G2の4着)>タイキ(G3の5着)で遠征0のトニージェントは選外。
 ウツミジョーダンの報知AC勝ちは、なんだかんだいってグレード勝ち馬2頭を負かしていますし、なにより遠征での勝利ですから、その価値はできるだけ高く見てあげたい気がします。岩手の重賞3つ分くらいに換算していいような・・・。
 これでもしデンゲキヒーローが名古屋GPを勝っていたらどうだったか。地元では5戦1勝と決して大活躍とは言えないけれど、G2勝ちを達成していたら・・・?

 メイセイオペラやトーホウエンペラーのように、遠征でも結果を出すし地元なら負け無し、という絶対的な存在なら文句なしなんでしょうが、昨今のようにいろんな路線を進むようになると、比較するのが難しくなりますね。これからはほとんど遠征ばかりしている馬とか、途中転入・途中転出馬も増えるでしょうから、さらに難しくなっていくでしょう。



 各部門についても、なかなか難しい。
 2歳馬。ウツミジョンソンの活躍は認めるとして、同馬に2度続けて2馬身半の差をつけて先着しているトレジャーファンドはどう評価するか?
 3歳馬。地元3歳馬相手に敵無しだったシャンハイジャパンですが、今季の実働は僅か3ヶ月。同馬不在で、とはいえその後の3歳戦線で活躍し、古馬にも勝ったウエストジーニアスやマツリダブロッコは?
 ターフ。同じ芝重賞1勝同士と見るなら、より格の高いOROカップを勝ったトキオパーフェクトは?
 というように、“こっちはどうなんだ?”という馬が挙がってくるんですよね。もちろん、優秀2歳馬がトレジャーファンドだったり、3歳馬がマツリダブロッコだったら、それはそれで逆の異論が出るのですから、あくまでも議論のための議論ですが。



 年度代表馬選びというのは決して馬の能力の比較ではなく、点取りゲームの結果でもなくて、「印象」に左右されるものなわけで、基準や条件を細かく決めれば決めるほど違和感も増していくでしょう。
 岩手の年度代表馬・優秀馬はマスコミ等の関係者が議論して選んでいるのですが、そうやって、侃々諤々と話し合ってそれぞれの意見をぶつけあって、まとまったところで決まる、というあたりがいいのではないでしょうか。
 重賞や特別勝ちをポイント化するとか、賞金額の多少とか、そういうやり方をするよりは、おそらく、少々気持ちだとか思い入れだとかのファジーな要素があったほうが収まりがいいという気がします。 
 まあ、その分、委員の皆さんのたいへんさは大きいわけなんですけれどね・・・(今年は3時間半?かかったそうです)。

あれから10年なんですね

2005年01月19日 | 岩手競馬
しばらく書いてなかったのに、競馬の話じゃないものから再開します。すいませんです。

10年前の1月17日、まだ夜明け前でした。
当時京都に住んでいた私は、異様な揺れで目が覚めました。体が上下に激しく揺すられる感じです。「地震だ。それも、大きい!」ちょうど寝ていた布団の脚元にあった本棚が揺れています。あわてて飛び起きて本棚を支えます。

皆さんもご存じでしょうが、地震はまずP波とよばれる縦揺れがやってきて、それからS波とよばれる横揺れがやってきます。ちょっとした地震ならP波は「カタカタ」くらいの揺れで終わり、ほとんど感じない事もありますよね。経験上、P波が小さければ地震も小さいものですから、「ゴトッ」と縦揺れが来てもすぐ収まれば「この地震はたいしたことないな」と考える事ができます。
しかし、この日は・・・。まず縦揺れが非常に大きかった。そしてそれが収まる前に、さらに激しい横揺れがやってきました。もうこれは、今まで体験した事のない大地震だとはっきり分かりました。その上S波とP波の間隔が重なるくらいだったから、震源地も非常に近い。
どこか遠くでガラスの割れるような音がしました。ものすごく長い間揺れ続けている様な気がします。もう、本棚を「押さえている」というより本棚に「しがみついている」感じです。台所の食器棚の揺れる音が、だんだん大きくなっていきます。本棚を押さえながら、これは食器はあきらめるしかないな・・・、と思った時、すっと揺れが収まりました。

とりあえず家の中の被害は僅かで済みました。電気もついたし、水道も出ます。つけたテレビでは大阪近辺を中心に震度5程度の地震だったと表示されています。確かテレビでは当初、「大きな被害は出ていない模様」と言っていたと思います。京都の町も、見る限り停電だとか火事だとか起きてはいないようですし、ひとまず安心して、テレビを消してまた眠りにつきました。
地震が激しかった神戸や淡路島ではあまりの激しさに地震計からのデータが流れてこず、あたかも地震がなかったかのように表示されてしまった事。加えて一気に都市機能が麻痺してしまったために、しばらく情報が流れてこなかった事。それらを私が知ったのは、もう少し時間が経ってからでした。



地震当日の京都市内の、お店やら交通機関やらはいつも通り動いていて表面上は通常の活動をしているように見えるのに、妙にぽかーんとしたような虚無感、何となく心が落ち着かないような違和感を、今でもはっきり覚えています(真っ昼間なのにほとんど人が歩いていない河原町や四条の通りなんて、恐らく二度と見る事はできないでしょう)。

ただ、運良く、と言っていいものかどうかなんですが、私の友人や知人達には亡くなったり大けがをしたりという人はなくてすみ、その後すぐ京都を離れてしまった事もあって、私の中の地震の記憶は、それほど強烈なものでないままです。
あんな大災害だったのに、どこか遠い出来事のようにしか感じられない。でも、安易な同一化や追体験は、逆に不遜な事のような気もする。そんな歯がゆさを感じ続けた10年間です。まだこれからも、感じ続けていくのでしょう。