心のつぶやき

美しいものを一枚の写真に残したい。

隠れ不動滝

2007-04-30 | つれづれなるままに

入り口には、
悪いものは通さぬぞ
という様相の
真新しい石仏が
建っていた。

ふどう‐みょうおう〔‐ミヤウワウ〕【不動明王】

《(梵)Acalanthaの訳》五大明王・八大明王の主尊。大日如来の命を受けて魔軍を撃退し、災害悪毒を除き、煩悩(ぼんのう)を断ち切り、行者を守り、諸願を満足させる。右手に利剣、左手に縄を持ち、岩上に座して火炎に包まれた姿で、怒りの形相に表す。両眼を開いたものと左眼を半眼にしたものとあり、牙(きば)を出す。制迦(せいたか)・矜羯羅(こんがら)の二童子を従えた三尊形式が多い。不動尊。無動尊。
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ひとりしずか

2007-04-29 | つれづれなるままに

「君が名か一人静といひにけり」室生犀星
室生犀星もこの花を見て句を詠んだのですね。

この花の名の由来
源義経の愛妾静御前が吉野山での別れを
惜しんで舞った姿に例えられたのだとか…。


静御前(しずかごぜん、1165年 - 1211年?)は、
平安時代末期・鎌倉時代初期の女性。
磯禅師の娘。源義経の愛妾。
母の磯禅師は白拍子の祖とされる女性で、
静も白拍子となった。

白拍子(しらびょうし)は、
平安時代末期から鎌倉時代にかけて起こった
歌舞の一種。素拍子(しらびょうし)とも書き、
この場合は無伴奏の即興の舞を指す。

古く遡ると巫女による巫女舞が原点にあったとも
言われている。神事において古くから男女の巫が
舞を舞う事によって神を憑依させた際に、
場合によっては一時的な異性への「変身」作用が
あると信じられていた。
日本武尊が熊襲征伐において女装を行い、
神功皇后が三韓征伐の際に男装を行ったという
説話も彼らが巫として神を憑依させた事の象徴で
あったという。

このうち、巫女が布教の行脚中において舞を披露
していく中で、次第に芸能を主としていく遊女へと
転化していき、そのうちに遊女が巫以来の伝統の
影響を受けて男装し、男舞に長けた者を一般に
白拍子とも言うようになった。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

林の中で、
楚々とした風情で、純白の花を咲かせていました。
(正確には花ではなくおしべ…)
花言葉は「静謐」「隠された美」
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山吹

2007-04-28 | つれづれなるままに

春雨、春雷

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芝桜

2007-04-26 | つれづれなるままに

あちこちで、
かわいらしい
花たちが
咲き始めました。

春が…
やってきた!!

なんだか心が
うきうきします。

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天璋院 篤姫

2007-04-25 | つれづれなるままに

その時歴史が動いた
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2007_04.html#04

江戸城に総攻撃を仕掛けてきた
西郷隆盛を命がけで説得し
日本を戦火の危機から救った
徳川家13代将軍正室天璋院篤姫。

島津家から、嫁がれた。
心に思う男性があったにも関わらず
政治的使命を背負って
江戸城大奥に入られた方。

歴史の中には、
運命に翻弄させられた
様々な女たちの生き様がある…
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ハナミズキ

2007-04-24 | つれづれなるままに

めったにカラオケには
行かないのだけれど、
行った時に、歌う一曲。

ハナミズキ 
作詞 一青窃 作曲 マシコタツロウ

空を押し上げて
 手を伸ばす君 五月のこと
 どうか来てほしい
 水際まで来てほしい
 つぼみをあげよう
 庭のハナミズキ

 薄紅色の可愛い君のね
 果てない夢がちゃんと
 終わりますように
 君と好きな人が
 百年続きますように
 

空に向かって、
大きく枝を広げるハナミズキ…
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美しいもの

2007-04-18 | つれづれなるままに

ヘッセが若いころ、二度ほど自殺を考えたことについてもふれていた。作家として有名になってから、ひとりの中学生が、ヘッセがどうして自殺を思いとどまったのが教えてほしいと、手紙でたずねてきた。
ヘッセは、その中学生に、次のように返事をした。美しいものがたくさんあることを思うと自分は死ねなかった、とヘッセはいう。死にたい、死のう、とひどく落ちこみ、絶望のどん底にあって、ふと、美しいものの存在に気づいた。
ああ、この世の中には、死を誘う汚れたもの以上に、美しいものがたくさんあるのだ、美しいものは生きて行くための明かりなのだ、闇夜にさまよう船の探し求める灯台の明かりだ、と思う時、死は、しだいに頭の中から消えて行く。

明かりは多いほどよい、多ければ多いほど、生きる希望も大きくなる。だから、自分自身で積極的に美しいものを探すようにすることが大切だというのである。死にたいと思うことは、この世の中に美しいものがまったくないと思いこむことから始まる。その思いが否定される時、美しいものの存在は、死への思いを断ち切る役目を果たすことになる。

ところで、いまの言葉に続いて、ヘッセは、中学生への手紙に、次のように書いている。

「それから自分は、喜びにつけ苦しみにつけ、それを表現する手段を持ったことが自分を救った。君も気持ちのはけ口を持つようにしたらいいと思う……」

ヘッセがここで述べている〈表現する手段〉とは、詩であり小説でありエッセイである。ヘッセは、そうした表現手段を持つことができたので幸福だった。しかし、この表現手段は、だれもが持てるというものではない。生まれ持った素質、素質をのばす才能が必要となる。とくに、苦しい出来事があった時の方が、表現手段をもちいることによって、辛さや悲しみがうすらぐものでもある。

一般的にいうと、絵でもいい、音楽でもいい、工作でもいい、文章を書くことでもいい、とにかく、なんでもいいから、自分の胸のうちをはき出せる表現手段を持つことであろう。ヘッセのいう、気持ちのはけ口を持つことは、この人生のいろんな場面、とくに苦難に遭遇した時のその状況を乗りこえるためには、どうしても欠かせないものである。
(文章の書き方入門) 西岡光秋 慶友社より

自分を救済するひとつの方法…
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Cherry blossoms 

2007-04-17 | つれづれなるままに

桜花爛漫
願はくは花の下にて春死なん
そのきさらぎの望月のころ

西行は、その願いどおり文治6年(1190年)
2月16日の払暁、河内の国葛城山麓の寺で、
73歳の生涯を閉じた。

桜の若木よ
高く広くその枝を伸ばせ。
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匂い水仙

2007-04-16 | つれづれなるままに

その姿は
あまりにも
可憐…

まるで
蔓薔薇のよう
でもあり

辺り一面に
匂い立つ
甘い香り…

その美しい姿
を残します…
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日輪

2007-04-15 | つれづれなるままに

良きものよ
永久(とこしえ)に

栄えあれ
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