心のつぶやき

美しいものを一枚の写真に残したい。

美しいもの

2007-04-18 | つれづれなるままに

ヘッセが若いころ、二度ほど自殺を考えたことについてもふれていた。作家として有名になってから、ひとりの中学生が、ヘッセがどうして自殺を思いとどまったのが教えてほしいと、手紙でたずねてきた。
ヘッセは、その中学生に、次のように返事をした。美しいものがたくさんあることを思うと自分は死ねなかった、とヘッセはいう。死にたい、死のう、とひどく落ちこみ、絶望のどん底にあって、ふと、美しいものの存在に気づいた。
ああ、この世の中には、死を誘う汚れたもの以上に、美しいものがたくさんあるのだ、美しいものは生きて行くための明かりなのだ、闇夜にさまよう船の探し求める灯台の明かりだ、と思う時、死は、しだいに頭の中から消えて行く。

明かりは多いほどよい、多ければ多いほど、生きる希望も大きくなる。だから、自分自身で積極的に美しいものを探すようにすることが大切だというのである。死にたいと思うことは、この世の中に美しいものがまったくないと思いこむことから始まる。その思いが否定される時、美しいものの存在は、死への思いを断ち切る役目を果たすことになる。

ところで、いまの言葉に続いて、ヘッセは、中学生への手紙に、次のように書いている。

「それから自分は、喜びにつけ苦しみにつけ、それを表現する手段を持ったことが自分を救った。君も気持ちのはけ口を持つようにしたらいいと思う……」

ヘッセがここで述べている〈表現する手段〉とは、詩であり小説でありエッセイである。ヘッセは、そうした表現手段を持つことができたので幸福だった。しかし、この表現手段は、だれもが持てるというものではない。生まれ持った素質、素質をのばす才能が必要となる。とくに、苦しい出来事があった時の方が、表現手段をもちいることによって、辛さや悲しみがうすらぐものでもある。

一般的にいうと、絵でもいい、音楽でもいい、工作でもいい、文章を書くことでもいい、とにかく、なんでもいいから、自分の胸のうちをはき出せる表現手段を持つことであろう。ヘッセのいう、気持ちのはけ口を持つことは、この人生のいろんな場面、とくに苦難に遭遇した時のその状況を乗りこえるためには、どうしても欠かせないものである。
(文章の書き方入門) 西岡光秋 慶友社より

自分を救済するひとつの方法…
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする