9時起床。朝食は抜きにして、早めに身支度を整える。
昼前から妻が私の実家にやってくる。母がすき焼きを作ってくれ、みんなで鍋をつつく。妻は、父に勧められてスコッチを飲んでいた。私も少し舐めたが、予想外に甘くて美味しかった。ただ、アルコール度数は40%と高いので、一瞬で顔が真っ赤になる。お酒に強い妻も、1杯は飲み切れなかったようだ。そう考えると、うちの父は結構お酒に強い。
妻を連れて、入院している祖母の見舞いに行く。祖母は1年ほど前から認知症が始まり、一応普段の生活に大きな支障はないのだが、物忘れに始まり、昼夜が逆転したり、ゴミを集めて来たりと問題行動がどんどん増えてきて、ついに1週間ほど前に入院することになった。認知症専門の病院で、今回初めて入院病棟に入ってみると、病棟自体は綺麗で、聞くところによると部屋も広いそうだ。ただ、そうはいってもやはりここは認知症病棟。全体の雰囲気はかなり独特のものがあった。しかし、あれやこれやと文句こそ言っているものの、健康的な生活を強制されている甲斐もあって、祖母本人はすこぶる元気そうだった。私としてはそれが一番の気がかりだったので、元気な祖母の姿を見て心底ほっとした。
実は、祖母に病院を受診させることも、入院させることも、最初に提言したのは私である。いや、実際にその必要性にいち早く気付いていたのは母だった。しかし、母は血の繋がっていない義理の娘という立場上、それを強く主張することは憚られたようだ。一方で、実の子どもである父も、そして近所に住む叔父も、最初は自分の母親が認知症であるという事実に対し戸惑いがあり(それは当然の反応だと思う)、具体的な対策をとることには消極的だった。そこで私が、臨床心理士である友人からアドバイスをもらって病院を紹介したり、通院に同行した際には敢えて先生に入院についての話を聞いたりして、具体的な手続きを明確にしてその方向へ促した。その後は、義理の娘である母や叔母からも入院させたほうがいいという意見が出て、最終的には実の息子同士で結論を出したそうだ。
結果的に、祖母を入院させてことは間違いなく正解だったと思う。しかし、私が祖母を入院させようとしたのは、祖母本人のためであるだけでなく、多分に母のためであった。母は自分自身も会社員として働きながら、祖母の面倒を見ていた。当然、症状がひどくなるにつれて母の負担は増大し、かなり前から相当辛い状況であることは、たまに実家へ帰る私にも明白だった。私にとっては、祖母も母も、大切な家族である。しかし、自分の家で過ごしたいであろう祖母の希望より、私は母の負担を取り除くことを優先した。しかも、その優先順位は明白だった。だから、そんなことを感じる必要はないとはわかっていても、祖母を入院させたことへの罪悪感を強く感じている。
祖母にとっては、私は4人いる孫の中でも特別な存在であると、少なくとも私は感じている。私が本家の長男ということもあるだろうし、単純に一番近くにいて頻繁に会って話をするということもあるだろう。私に会うと、祖母は本当に嬉しそうにしてくれる。私もそれをよくわかっているから、出来る限り実家に顔を出すようにしてきた。その度に、「顔を見せてくれるだけで嬉しい」と言ってくれ、帰る時にはわざわざ家の前の道路まで出てきて、私が見えなくなるまで手を振ってくれる。そんな祖母を、結局私は蔑ろにしたのではないか。そんな疑問が、どうしても頭の中から消えない。だからこそ、今日病院で祖母の元気な姿を見られたことは、私にとっては本当に大きなことだった。これから先私に出来ることは、可能な限り病院に足を運ぶことと、その先の祖母の処遇について真剣に考えることだろう。
友人の家へお邪魔する。私と妻を引き合わせてくれた友人とその彼女が、結婚のお祝いをしてくれる。まずは夕飯の下準備をしてから、近所のボーリング場でボーリングとダーツをして遊んだ。あまりに楽しくて予定をオーバーし、ボーリングを3ゲーム、ダーツを2時間弱とがっつり遊んだ。
友人の家を戻り、夕食。これが、とてつもなく豪華だった。手作りのサラダに始まり、大量のお刺身、おつまみのオニオンリングとポテト(byモスバーガー)、そして鍋。仕舞いには蟹まで出て来た。特に、お刺身は近所の有名な魚屋さんで大混雑の中調達してきてくれたもので、本当に美味しかった。それに何より、そうまでしてお祝いしようとしてくれた、その気持ちが嬉しい。本当に、ありがとう。
日付が変わる頃においとまし、駅前のホテルにチェックイン。明日は、朝から大阪へ行く。