そのひとつに、「人体は自然である」ということがあります。
人の体は、思い通りになりません。
誰も病気をしたくてするわけではありません。
誰も老化したくてしていることも、死にたくて死ぬこともありません。
自然とそうなってしまうのです。
人体をコントロールできる考えるのは、驕りです。
自然を制御できると勘違いしているのが、たぶん現代人の特徴でしょう。
そんなこと無理に決まってます。
地震や火山の噴火などの天災は、いつ起きてもおかしくありません。
人間がどうのこうの言ったところで、天災を防ぐ手段などないのです。
できることは、起きてしまったとき被害を最小限にとどめること。
起きた後の対応を迅速におこなうことぐらいです。
それも、想定範囲を超えるものが起これば、意味のないものになってしまいますが。
人は誰でも例外なく死にます。
ほとんどの人が、何らかの病気になります。
そう考えると、死ぬことや病気になることを不幸と考えること自体、勘違いだということになってしまいます。
すべての人が経験することなら、それは普通のことであり、良いも悪いもありません。
私は、「生きている」というより「生かされている」という感覚を強く感じます。
ただ、神様に生かされているという感覚ではありません。
まわりの人達に生かされていうという感覚でもありません。
自分自身の“人体”に生かされている…そう感じます。
私は生まれてこのかた、心臓を動かそうとしたことがありません。
でも、ずっと休まず、動き続けています。
これって、すごいことだと思いませんか。
めちゃくちゃ、勤勉ですよね。
このように、無意識に人体は私を生かしてくれています。
心臓も、肺も、胃も、腸も、肝臓、腎臓……みんなまじめに働き続けてくれています。
皮膚が切れても、自然とくっついてしまいますし、体にウイルスが侵入して来ても、免疫系が対応してくれます。
すべて、私の意思とは関係なく。
人間の特徴が、この大きな脳であることは事実です。
言葉や道具を巧みに使いこなす、この脳は素晴らしい臓器です。
しかし、それは人体の一部であり、頭で考えることが人間のすべてではありません。
意識しているもの、意識してできるものは限られているのです。
無意識によって、生きることは成り立っています。
だから私はいつ病気になっても、いつ死んでしまっても、文句は言えないと感じています。
生きるということは、人体が勝手に生かしてくれているわけで、それがダメになったところで恨んだりするのは御門違いでしょう。
「これまでありがとう」と自分の体に感謝することはあっても、「もっと長生きさせろ!」と文句を言う気にはなれません。
整体という仕事は、自然を相手にする仕事だと考えております。
どんどん“脳化”されていく社会で、唯一自然が残るとすれば、それは人体そのものです。
思い通りにならないもの、それが自然であり、人体です。
それでもその自然(人体)に敬意を表しつつ、手入れをしていくことが、人間にできる最善の策ではないでしょうか。
整体で健康になるわけではありません。
健康になってくれるのは“人体”の力です。
整体はそのきっかけを作りだす仕事。
人体に「よろしくお願いします」とお願いする仕事だと思います。
人間の体は、素晴らしい。
ただ生きているってことが、まさに奇跡なんです。
たった数分、心臓がサボっただけで死んでしまうのが、人間。
でも、滅多にサボりません。
私とは大違いですね(笑)。
いつも休まず生かしてくれているこの人体に、感謝感謝。