リセット整体まるたけにようこそ(札幌市厚別区)

整体はエンターテインメント!からだを楽しんでみませんか?

整体師の休日

2011年03月30日 | 整体師のひとりごと
休日は、週一回。
休みの日にやることは、自分自身のメンテナンスとトレーニング。

午前中は、メンテナンス。
内容は、台湾式足裏マッサージ。

帰ろうとすると、施術してくれた方の妹さんが「首が痛い」と。
どうやら寝違えらしい。

「痛い痛い」と言っている人を目の前にして、そのまま帰るのも嫌なんで、ちょいと施術してみる。
とりあえず、痛くて動かないレベルは改善。
次のお客さんが来たので、中途半端なところで終了してしまったが…。

夜は、トレーニング。
パーソナルレッスンを受けに行くと、インストラクターの先生が腰痛(厳密には臀部痛)。

また調子に乗って、ちょいと施術してみる。

あまり整体やマッサージを受けたことがないそうなので、やや本気モードで施術。
筋肉の質がいいので痛みを誘発する元(トリガーポイント)はすんなり改善したのですが、再発しないような状態にするのに、やや手間取る。

というより、完全に「出張整体」になってしまいまして(笑)。
まあ、そんな日もあるんですね。

検査道具も治療器具も必要としない整体。
私の理想形であり、現在やっている施術法です。

多少なりと人の役に立っているのかな?

放射線と農薬

2011年03月26日 | 整体師のひとりごと
福島第一原発の放射線問題。

政府の見解は「大丈夫です」とのこと。
しかし首都圏が物不足になっている現状からすれば、信用しきれていない人が多いんでしょうね。

ふと「農薬」と同じだな、と感じました。

農薬も「安全である」というものしか使用できない。
「安全である」農薬を、「危険性のない」使用量しか使わない。

その見解を信じるのであれば、なにも高いお金を出して有機野菜(オーガニック)や無農薬野菜を買う人はいない。

「いくら安全だと言っても、やっぱり農薬は体に悪いんじゃないの?」
そういう思いあるから、高価でも農薬の少ない野菜を購入するのでしょう。

専門家がいくら「安全です」といっても、
科学的にいくら「危険性はないです」といっても、
やはり信用しきれない人は少なからず出てくるもの。

「農薬」ですらそうなのですから、ましてなじみのない「放射線」。
言わずもがな…。

「専門家の意見は正しい」とは限らないのが、歴史的事実。
それでも私は自己責任で、専門家の意見を尊重します。




セ・パ同時開催

2011年03月24日 | 整体師のひとりごと
プロ野球開幕問題。
やっと、決着しましたね。

選手会やファンの意見に、球団経営者たちが折れた形。
でも、そもそもここまで長引かせるような話ではないはず。

「一致団結して、がんばろう!」
なんてセリフを使いたがるプロ野球組織が、こういう時に「バラバラ開催」をするなんて、みっともない話。
被災地に本拠地があるパ・リーグに合わせるのが、どう考えても自然でしょう。

いつまでもジャイアンツのわがままが通じるほど、野球ファンも甘くはないですから。

「正しい情報」と「必要な情報」は違います。

2011年03月23日 | 整体師のひとりごと
風評被害。
福島第一原発からの放射性物質による、科学的根拠のない恐れ。
天災よりもタチの悪い「人災」が続いている。

地震や津波は、天災だから仕方がない。
危機管理能力の欠如といった批判は、ナンセンス。
管理できないから「危機」であり、天災すら管理できるというのは人間の思い上がり。

福島県のホウレンソウや原乳から検出された放射性物質による健康被害のリスクは「ない」に等しいレベル。
比較するならば、喫煙によってがんになるリスクのほうがよほど高い。
にもかかわらず、無知なる「恐れ」から、すべてを破棄してしまう。

こういった状況になったときに思うのは、「正しい情報」が必ずしも「必要な情報」とは限らないということである。

原発事故による放射能汚染問題で、いま必要な情報とは何か?
それは「基準値の○○倍」という科学的に“正しい”情報ではなく、「タバコを吸うリスクの○○倍」のようなイメージしやすい情報だろう。

例えば、東日本大震災によける地震の規模。
はじめ「マグニチュード8.8」と発表された。
正式発表では「マグニチュード9.0」と訂正。

けれど、「8.8」が「9.0」になったところで、それがどうしたっていうのだろう?
専門家以外にとっては「M8.8」だろうが「M9.0」だろうが、どうでもいいこと。

専門家や科学者にとっては、その違いが重要であっても、被災者にとっては、まさにゴミのような情報。
そんなことより、今を生き抜くための情報が必要である。

正しい情報に徹しようとすれば、あいまいな表現にならざるを得ない。
健康問題など将来のことについて語ろうとすれば、「~な可能性がある」と表現するしかないだろう。

そうすると、最悪の事態を言わざるを得ない。
よって、不安をあおるような記者会見になってしまう。

人間の致死率は100%。
誰でも必ず死ぬ。
ちょっと早いか遅いかの差があるだけ。

だからこそ、バカにも分かるようなイメージしやすい表現(=方便)でいいと思う。
専門家以外、バカなんだから。

自分がバカであっても気にすることなんてない。
専門家だって、その専門以外のことについてはバカなんだし。

喫煙者が、現在発表されているぐらいの放射線リスクでガタガタ言っちゃいけない。
あなたが毎日行っている喫煙という行為のほうが、よほどハイリスクなんだから。

嘘の情報はいけないが、正しい情報がすべてではない。
こういう状況だからこそ「方便」という手法が有効だと思いますね。



原発は国家のもの?企業のもの?

2011年03月21日 | 整体師のひとりごと
原発。
原子力発電所。

個人的には、「原発は国家プロジェクトである」といった感覚があった。
でも今回の東日本大震災における対応を見ていると、「そうでもないらしい」という気がしてきた。

基本的には、「東京電力株式会社の持ち物」ということなんでしょう。
もちろん株式会社とはいえ、ほぼ公的機関のような存在。
独占禁止法なんてものをあてはめるのならば、“独占”以外の何物でもないですからね。

「ごちゃごちゃ東電の非難ばっかりするなら、もう電気は作らねえ!」
なんてストライキをしたら、日本が大パニックになる。
そういうことはしないという暗黙の了解があるから、安心して生活していけるわけだ。

福島第一原子力発電所事故への対応は、東京電力がする以外にない。
いくら特殊な訓練を積んだ自衛隊やレスキュー隊でも、原発を修理できるわけではないですから。

こういった事故の場合、最終的な責任はどこが持つのか?
やはり、政府のトップが最終責任を持つしかないのでしょう。

日本の政治に足りない足りないと言われ続けているもの。
リーダーシップ。
放射線に対する国民の過剰な反応には、それがうまく機能していないがゆえの“人災”という側面も…。

でもこれもサッカー日本代表における「決定力不足」と同じで、非難ばかりしていても始まらない。
一人一人の国民が、小さな責任感を持つこと。
そうした意識が、その代表である政治家の大きな責任感(リーダーシップ)につながるのだから。


【東日本大震災復興支援】 チャリティー整体コース(30分)2000円[全額寄付]

2011年03月20日 | “まるたけ”からのお知らせ
犠牲者が2万人以上とも言われている東日本大震災。
個人としてできること以外に、整体師として整体師だからできることはないだろうか?

そういう思いから、リセット整体まるたけにおいて、
【トリプル元気プロジェクト】
チャリティー整体コース(30分)2000円 [全額寄付]
を始めることにしました。

コンセプトとしては、すべての人が元気になれること。
震災で苦しんでいる人たちはもちろんのこと、支援する側も元気になれなければ意味がない。

誰かが誰かの犠牲になるような支援活動は、必ず破綻する。
支援する側もされる側も、お互いに「ありがとう」と言える関係性でなければ、どのような活動であっても続かない。

一過性で終わってしまう過激な(過剰な)活動よりも、継続できる微々たる活動のほうが、私は価値があると思っています。

個人的な見解としては、整体は“元気”のために存在している。
クライアントが少しでも元気になっていただくために、私は整体師を続けている。

“元気”が存在理由である整体師だからできること。
それが今回の「トリプル元気プロジェクト」です。

施術を受けることで、クライアントさんが“元気”に。
プロジェクトに賛同していただいたことで、セラピストも“元気”に。
売上金を全額寄付することで、被災者の方々(特に子供たち)がほんの少しでも“元気”になれますように…。

三者三様、かかわったすべての人が“元気”になれること。
それが「トリプル元気」ということです。

未来は子供たちのためにある。
私たち大人を踏み台にしてでも、子供たちが生き残ればいいと思っています。
よって、被災された子供たちのために役立つような団体に寄付する予定です。

個人としては、できる範囲での寄付。
整体師としては、トリプル元気プロジェクト。

ボランティアとして現地に入るよりも、私にしかできない形での支援ができれば、と思っています。

買い占め

2011年03月19日 | 整体師のひとりごと
東日本大震災から、1週間。
被災地以外は、流通も正常化しつつあるようです。

にもかかわらず、札幌ですらスーパーから特定の商品が消えている。
特にお米や電池は、どこのスーパーでも在庫がない。

「自分(自分の家族)さえよければいい」
結局、本音はそういうことなんでしょう。

被災地で必要だから在庫がないのだったら分かる。
でも多くの場合、震災の対して過剰に反応して買い占めているだけなんでしょうね。

石原都知事が言っていましたよね。
「津波を利用して、(日本人の)我欲を洗い流せ」と。

発言のタイミングや言葉のチョイスには問題がありますが、言いたいことは分かります。
震災後の被災者でない国民の反応を見ていれば、「我欲」に振り回されている人がなんと多いことか…。

生活に問題ない人は、普通に暮らすこと。
そして無理のない範囲で節約すること。
できれば、募金をすること。

パニックにならないこと。
ちゃんとお金をまわすこと。

復興策って、こういうことなのかもしれませんね。

カッコイイ年寄りになるために

2011年03月18日 | 整体師のひとりごと
高齢者を「弱者」というカテゴリーにあてはめることに、抵抗感がある。

確かに乳幼児などは「弱者」として保護する対象でしょう。
でも、経験を重ねてきた人生の大先輩を「弱者」の一言でくくってしまうのはどうしたものか。

いつから高齢者は「弱者」として扱われるようになったのだろう?
個人的意見としては、高齢者自身がその扱いに反対してほしい。

例えば、この東北関東大震災。
避難所では、高齢者の割合が多い。

「ワシのことはええから、子供に食べ物をあげなさい」
そんな言葉を言えたなら、なんてカッコイイお年寄りだろう。

きっとそうした姿を見れば、若者も高齢者を自然と敬い、「自分のこうして年を重ねたい」と生きる指針になるのだろう。

私は「弱者」に甘んじない年寄りになりたい。
気骨ある老人であるこそ、長生きする価値ではないのだろうか。


日本は素晴らしい国だ、ってホント?

2011年03月17日 | 整体師のひとりごと
海外メディアでは、東日本大震災後の日本人の対応を称賛している国もあるらしい。
ネットでも、日本人が日本に対して「日本は素晴らしい」的な発言をよく目にする。

本当に本心からそう思っているのだろうか?

もちろん個人の思いなので、どう思うかは自由。
本心からそう思っているのであれば、周りがとやかく言う問題ではない。

でも今の感情をいつまで継続できるのかに疑問が残る。
少なくとも阪神淡路大震災のときは、数ヶ月で(関西圏以外からは)忘れ去られたし。

いま現在、日本人の多くが“痛み”を共有している。
被災者は、これから先ずっと“痛み”と共存しなくてはならない。
でも非被災者の心情としては、できればその“痛み”から目を背けたい、というのが本音だろう。

それは、“死”の問題と同じ。

誰でも遅かれ早かれ、死ぬ。
だからといって、死ぬことばかりを考えていては何も手につかない。
だから、“死”という現実から目を背ける。
目を背けたって現実は何も変わらないのだが、そうしないと生きていけないのが普通の人間。

災害も、同じ。

“痛み”に耐えたくないから、出来事そのものを忘れようとする。
坐骨神経痛のとき、ブロック注射で神経をマヒさせるかのように。

日本が日本人が本当に素晴らしいかどうかは、10年ぐらい経過しないと判断できない。
復興そのものは、10年ではきかないと思うが。

被害にあっていない日本人がいつまで“痛み”を共有できるか。
その答えが、そのまま“日本人の価値”といえるかもしれないですね。

「がんばれ!」で傷つくこともある。

2011年03月16日 | 整体師のひとりごと
東北関東大震災。
死者が1万人以上とも言われている大惨事。

各界の著名人が励ましのメッセージを寄せている。
「負けるな!がんばれ!」と応援する発言が多い。

でも、その言葉が被災者を傷つけることだってある。
「こんなにがんばっているのに、さらにがんばれと言うのか…」と。

善意で言った言葉でも、相手がどのような心理状態にあるかによって、それは“凶器”に変わることだってある。

今は悲しみを共有すること。
つまり「共感力」が必要なのではなかろうか。

励ましや応援のメッセージは、もう少し落ち着いてからでもいいのと思う。

支援物資は難しい。

2011年03月14日 | 整体師のひとりごと
東日本大震災から、三日。
日に日に、その惨状が伝わってくる。

被災者のために、できることなんだろう?

支援物資を送る、という手段がある。
しかし、阪神大震災の経験からいえば、これが意外と難しい。

何が難しいのか?
それは「いま本当に必要なものは何か?」ということ。

ここでいう“いま”とは、支援物資が現地に届く時期という意味。
被災してからどれくらい経過したかによって、必要になってくるものが変わってくる。

いま現在であれば、どんなものでも構わない。
とにかくすべてにおいて不足しているからだ。

けれど、1週間もすれば、事情は変化する。
ある程度落ち着いてきたときに、毛布や衣類などが届いても、逆に邪魔になる場合だってある。

同じものばかりが集中しても、倉庫に山積みになるだけ。
“伊達直人”からランドセルばかりが送られても、使い道がないのと同じ。

指示系統がバラバラなボランティアは、迷惑になることだってある。
善意でしたことが、“偽善”や“押しつけ”と解釈されることだってある。

政治・経済が破たんした戦地であれば、支援物資も有効だろう。
でも日本の場合、そういう状況ではない。

できることはなんなのか?
やはり、募金だと思う。

ただ、火事場泥棒ではないが、こういう事態を利用する詐欺師もいる。
公的機関による募金に協力することがベストなんでしょうね。

電話復旧。

2011年03月13日 | “まるたけ”からのお知らせ
昨日は地震の影響により、お店の電話が不通になってしまい、大変ご迷惑をおかけしました。

本日、復旧いたしましたので、ご安心ください。

NTTの固定電話では問題がなかったようですが、当店はKDDIなのでつながらない状態に。

ほんの一日、電話が使用できないだけでもこうなのですから、被災地の方々のことを考えると心が苦しいです。


東北地震(平成23年東北地方太平洋沖地震)

2011年03月11日 | 整体師のひとりごと
ゆれました。
本当に、船に乗っているかのように。

今日の地震は札幌でも、かなり大きく長いゆれ。
余震もかなり大きかったですね。

阪神淡路大震災のとき、大阪にいたので、大きなゆれの経験はあったのですが、今日のような長いゆれは初めて。
施術をしていたので、クライアントさん共々、気持ち悪くなっていました。

まだまだ災害の規模は分からないですが、とりあえず被災地にいる知人には電話がつながりません。
無事を祈るだけです。

「次は東海地方に大きな地震があるよ」と言われ続けて、はや何十年。
いつもいつも違ったところの大きな地震がやって来る。
天災ですから、予測不可能で当たり前なんですが。

確定申告(平成22年)

2011年03月09日 | 整体師のひとりごと
腰が重い。
私は本当に、腰が重い。

身体の症状としての“腰が重い”わけではない。
スポーツにおける良い意味での“腰の重さ”でもない。

「やらなきゃいけないことがあるくせに、なかなか取りかからない」
という意味での“腰の重さ”である。

確定申告もそのひとつ。
自分で電子申告(e-Tax)しているので、当たり前だが自分でやらなきゃ終わらない。
とっととやればいいのに、なかなか着手しない。

過去数年間の申告内容を見てみると、毎年毎年、深夜にデータを送信している。
今年も結局、同じ結果になってしまった…。
成長しないですね、ホント(笑)。

でも、深夜って変なテンションで仕事がはかどるのも事実。
但し、次の日がダメダメになってしまうという“副作用”は避けられませんが。

30才を過ぎると、寝不足に対応できる体力・気力がなくなってしまいますからね。

姿勢も症状も、ただの“結果”にすぎない。

2011年03月08日 | “まるたけ”のこだわり
「姿勢をよくしましょう」
なんとなく、よく聞くフレーズ。
でも、よくよく検討すると、なんだか分からない言葉でもある。

「いい姿勢って、何だ?」
整体の仕事をしている人間が言うのもなんだが、よく分からない。

教科書的な意味での“いい姿勢”は分かる。
けれど、そんな人間、見たことがない。

姿勢の分類では、フラットバックだのスウェイバックだのという名称はあるが、それが本当に100%ダメとは言い切れないでしょう。

個人差と普遍性。
姿勢や症状などのことを考えだすと、どうしてもこの点が引っかかってくる。

どんなに悪いとされる姿勢でも、何の不自由もなく生きている人がいる。
どんなにバランスのいい姿勢をしていても、体の不具合を訴える人もいる。

カチカチに固まった筋肉をしていても、症状がない人がいる。
少し張り感があるだけでも、つらい症状になってしまう人もいる。

姿勢や症状は、動作習慣(体の使い方)の“結果”にすぎない。

だから結果である姿勢だけを矯正しても、根本的解決にはなっていない。
だから結果である症状だけを改善しても、根本的解決にはなっていない。

では、整体師のやっていることって、無意味なんだろうか?
動作習慣を変えない限り根本原因が変わらないのであれば、整体がやっていることに価値が見いだせなくなる。

それでも、私は症状の改善を目指す。
つらい苦しいと訴えてくるクライアントさんがいる限り、まずは症状を緩和することが最優先であり、かつ意味のある行為だと思っている。

いや、そう信じたいだけなのかもしれないが…。