リセット整体まるたけにようこそ(札幌市厚別区)

整体はエンターテインメント!からだを楽しんでみませんか?

値引きいたしません。

2008年05月27日 | “まるたけ”のこだわり

お店の経営ではいろんな考え方がある。

例えば食品業界だと、よく新商品を出す。
とにかくお客さんの好奇心をくすぐるため。
そして、すぐに消えていく。
定番商品になることはほとんどない。

紳士服屋さんの閉店セールも、年がら年中やっている。
本当の閉店ではなく、ただ店内のレイアウトをいじるくらい。
そして、今度は開店セール(笑)。
忙しいこっちゃ・・・。

私の整体の店、リセット整体まるたけでは、割引などのセールはしない。
例えどんな売上が欲しいときでも、絶対にすることはない。
それはなぜか?
値引きは、すればするほど苦しくなるだけだから。

初めて利用する方には、半額になるクーポンを発行している。
これは、まず試して欲しいから。
デパチカの試食みたいな感覚。
整体は、受けてみないといいかどうか判断できぬもの。
だから、このクーポンはOK。

常連さんのために、回数券を発行している。
これは、感謝のしるし。
値引きだけが感謝の表し方ではないと思うが、慢性化した症状を解消するのには、回数も必要。
そんな時、利用してもらえればな・・・ということ。

これ以外の値引きはしない。
正直、キャンペーンなどをしたこともあり、売上は伸びる。
しかし「安いなら、行こうかな」という状態はいいはずがない。
利用する立場で言えば、安いにこしたことはないが、施術の質が落ちる危険が高い。
流れ作業の施術は、もっとも恥ずべきものだと考えています。

値段は、安くなくていい。
“適価”であるなら、それでいい。
それで納得してもらえないなら、仕方ないこと。
納得してもらえる人が増えるよう努力するだけ。

値引かなければ、にっちもさっちもいかない経営は、基本が間違っているということ。
見直すべきは、値段設定ではなく経営そのもの。

お客様に対する感謝の気持ちは、値引きで表現しない。
粗品で表現しない。
ポイントカードで表現しない。
すべては、施術で表現すべきもの。

この考え方は、譲れない。


心は、身体より生まれる。

2008年05月25日 | “まるたけ”のこだわり
「うつ」など心の問題が、最近、特にクローズアップされていますよね。
精神的な問題をかかえた人は多い。
というより、精神的なトラブルがない人なんているのかい?ってことでしょう。

心の問題に対して、心(脳)にアプローチするのは、どうなのかなって思います。
簡単に言ってしまえば、緊張している時に、「緊張するな!」ってアドバイスは、なんの役にも立たないでしょ。
自分自身に、「リラックス、リラックス」なんて暗示をかけても、まあ無駄でしょうね。
「寝るぞ!寝るぞ!」って気合いを入れて寝ようとするようなもの。
気合いが入っちゃ、寝れません(笑)。

どんなに悩んでいても、虫歯が痛ければ、悩みなんて吹っ飛んでしまう。
どれほど崇高な悩みであろうと、例え愛する人が亡くなった悲しみであろうと、歯痛には敵わない。
歯の痛みという身体的苦痛のほうが、“高級”な精神的苦痛より優先順位は上である。
これが、生き物の“さが”である。

だから、どんな不機嫌な顔をしてても、身体の調子が良ければ、ほがらかな顔になってしまう。
どんなにつらい現実があっても、カラダが軽ければ、なんとか受け止められる。

生きていれば悩みは尽きない。
人生の悩みに特効薬などない。
お金も地位も名声も若さも美貌も、“生きる悩み”を解決してはくれない。
では、どうするか?
それは各人が、それぞれ受け止めること。
誰も代わりなんてしてくれない。

筋肉は柔軟なほうがいい。
なぜか?
それは“閾値”が上がるから。
つまり、多少の刺激では痛い・苦しいと感じない身体になるということ。
負荷(労働など)に対する、許容範囲が大きくなるということ。

心も、同じではないでしょうか。
心の負荷(悩み、ストレスなど)を無くすこと・減らすことが困難であるならば、その負荷に対する免疫・抵抗力を付けるほうがいい。
心の許容範囲を大きくすることが、精神的トラブルの解決法ではないでしょうか。

心の“閾値”を上げるには、身体の“閾値”を上げること。
心は身体の“奴隷”です。
身体あっての、心なんです。

リセット整体まるたけは、心の問題を解決するために存在するわけではありません。
けれど、体がきちっとリセットされれば、悩みを真正面から受け止めることが出来るのではないかと期待しています。
悩みは、何で悩んでいるか分からないときが、一番厄介なこと。
悩みの元がハッキリすれば、解決しなくても、“病気”にはなりません。
悩みの元をハッキリさせるには、体力が必要。
体力は、しなやかな身体にこそ存在する。
しなやかさであれば、リセット整体の目指すところ。

だから、リセット整体は心にも“効く”と思いますよ。

 

メシはひとりで食べるのが一番うまい!

2008年05月24日 | うまいもんは、うまい!
美味しいものは、一人っきりで食べるのがいい。
人と会話しながら食べたほうがおいしい・・・なんていう人もいるが、嘘!
人と会話していたら、せっかくの美味しいものだって、なんの味だか分かんなくなる。

人と食事をした後、こういう意地の悪い質問をすればハッキリします。

「楽しかったね」
「そうだね」
「ご飯も、おいしかったし」
「ホントに?じゃあ何が、どう美味しかったの?」
「・・・・・・」

こんなもんです。
なんとなく楽しかったから、美味しかったと言っちゃうだけ。
会話なんてしてしまうと、食べることに集中できないから、記憶なんて曖昧になります。

食事があまり美味しくないものでしたら、人と会話しながら食べたほうがいいでしょうね。
例え錯覚でも、「おいしかった」と思えるのですから。
食事を軽視する、又はただの栄養補給として捉えるなら、ワイワイ食べるのもいい。

私は食べることを大事にしたい。
料理を作ってくれた人の心を大切にしたい。
だから、集中して食べ物と対話する。
だから、人と会話する余裕なんてない。
ただ黙々と、食べるのみ。

食事中のテレビなんて、食べ物に失礼極まりない。
人と会話するのも、同じくらい失礼な行為だと思っています。

ペチャクチャしゃべってないで、ちゃんと喰え!ってね。

やきとり鳥銀 … 味覚って変わるんですよね。 

2008年05月23日 | うまいもんは、うまい!

ふと、マイピクチャを整理していたら、やきとり屋さんの写真が。
そういえば、思い出した。
自分が大人になったって実感したことを。

この「銀鳥」さんは、ネタが大きいのがウリ。
大きい分ジューシーで、肉汁がうまいってことらしい。

でも、私がうまいと感心したのはネギだった。
何回も注文しちゃってね。
だって、炭火で焼いたネギの甘みが、どうしても愛おしくてさ。

昔の俺では考えられへんこと。
だって、トンカツのキャベツの存在すら疎ましく思っていましたもん。
「キャベツ付けんでいいから、肉を増やせ」なんてね。
いまじゃ、キャベツのほうが食べたい。
たまに、トンカツを口にして、「味覚をリフレッシュ!」ぐらいしか肉に魅力を感じない。

変わるもんですね。
肉が嫌いなわけではないが、量はいらないな。
ってか、食事の絶対量がそんなに必要ない。
少なくていいから、おいしいものを体内に入れたい。

割高で、OK!
食べ物に関しては、割安は敬遠しますね。
だって、同じもの食べるのって、苦痛。
なんでも、ほどほどがいい。
苦しい思いをしてまで食べるなんて、命をいただく動物や植物に悪い気がしますから。


菜蒔季 ・・・ 札幌ステラプレイスの自然食バイキング

2008年05月21日 | うまいもんは、うまい!

昔の同僚と、“サツエキ”でランチ。
「野菜が食いてえ!」という私の大人なリクエスト(?)をしたところ、ステラプレイスに新しく出来たお店にってことになりました。

実は、ブッフェやバイキングと呼ばれるものは、あまり行きたくないんですよね。
なぜかといえば、食べ過ぎるから。
単に自分が貧乏性なだけなんですが、行ってしまうと、
「とりあえず全品制覇!」
と勝手に意気込み、大体食べ過ぎて、苦しむ・・・。

食べ放題、恐るべし・・・なんてね。

ほんま、いやしい自分に乾杯(笑)。

味は極端においしいわけではないですが(失礼か…)、十分楽しめるお店でした。
希望していた、野菜が食べたいってのも叶ったし。

12時30分に行って、すぐ入れたので「人気ないのかな?」と思いましたが、帰る頃には10人ほど店外で待っていました。
相変わらず大丸の「ブッフェ」は、ずっと列になっていましたね。
なんだか人気あるお店ですよね。
アイテム数が多いのがいいのかな?

まあ、元同僚とはココには書けないような話をしつつ、楽しい時間が過ごせました。
わかったことは、お互いおしゃべりだってことですね(笑)。


明石家さんま … まさに笑いの化身ですよね。

2008年05月20日 | 現在進行形の“伝説”

さんまさんは、私の小さい頃からトップにいた芸人である。
いまなお、トップでい続けている。
なんなんだろう、このエネルギーは。
ほんと、昭和と平成の“テレビ”という枠での芸人さんでは、誰も敵わないと思う。

なにより素晴らしいのが、お笑いの“質”である。
とにかく純度の高いお笑いを提供してくれる。

純度とは何か?
つまり、お笑いに他の要素を加えず、ただ明快に「お笑い」を表現していること。

これって、できそうでできないこと。
新鮮なネタしか飽きられてしまう“テレビ”の中で、何十年もやり続けていること自体、奇跡であり、伝説そのもの。

すごい芸人さんはいる。
しかし、この純度の高さはない。

島田紳助さんは、お笑いに「感動」を加える。
松本人志さんは、お笑いに「憂い」を加える。

さんまさんは、お笑いに「お笑い」しか加えない。
今度、司会をする27時間テレビでのコメントも、しびれますね。

『涙はいらない、感動はいらない。楽しくおもしろいテレビを目指してやるだけです』

最高の心意気ですね。
番組が面白いかどうかなんて、問題じゃない。
この心意気自体が、素晴らしい。

ビートたけしさんや萩本欽一さんのように、違う世界に行かないで欲しい。
加齢によってお笑い反応速度は衰えていくものでしょうが、さんまさんにはいつまでも「さんちゃん」であって欲しいものです。


開花(?)おめでとうございます。

2008年05月19日 | 整体師のひとりごと

同じ大阪出身ということもあり、いつもお世話になっている社労士(社会保険労務士)の田原咲世さんが、このたび独立されました。

北海道新聞にも、大きく紹介されてます。記事はこちら

いあや、“Gメン”なんですね。
知りませんでした(笑)。

今のところ、私自身は個人でお店をやっているので、お世話になっていませんが、何かお悩みの方は、ご相談してみては?
とにかく、パワフルな方で、お話しするだけでも元気になっちゃいますよ!

ホームページはこちら…北桜(ほくおう)労働法務事務所


四川の大地震・ミャンマーのサイクロン

2008年05月18日 | 整体師のひとりごと

天災は忘れた頃にやってくる。

そんな言葉をよく聞きますが、ミャンマーと中国の天災は、忘れる暇もなく起こりました。

サイクロンで10万人、大地震で4万人ほど死者が出るとのこと。
実際どれほど被害が拡大するのかは分かりませんが、とんでもない数字ですね。
街がひとつ丸々消えてしまうような、死者の数。
対応の遅れなど、非難も多いですが、「自然は思うようになりっこない」という現実をハッキリと認識させられます。

ひとつ事件が起こると、前のことはすっかり忘れてしまう。
悲しいほど、“無関心”な生き物が人間です。

たぶん、ネパールの問題は(少なくても日本では)もう話題にならないでしょう。
四川大地震の記事の横には、オリンピック水泳の水着問題が同じように載っている。
「水着なんざ、どうでもいいじゃん」
地震やサイクロンの被害者なら、そう思うでしょうね。
でも、オリンピック選手にとっては、一生に一度のこと。
それまで生きてきたことのすべてを証明するための大会で、少しでもいい成績を残したいというのが本心。
「被害者の方は気の毒だけど、水着問題のほうが重要」
そう思っても不思議ではない。
みんな、自分のことが最優先。
それが、“人間らしさ”だと思う。

現地では、どうなんだろう?
たぶん、同じ国に住んでいても、被害のなかった地域の人、被災地に知り合いのいなかった人にとっては、他人事なんだと思う。
阪神淡路大震災の当時、ほんの10kmほどしか離れていない大阪にいた人間として、そう思う。
当時の大阪の雰囲気は、他人事。
もちろん、全員がそうであるわけではないが、街の雰囲気は、そんな感じ。
「ああ、ひどいね…」
ただ、それだけ。
普通に会社や学校へ行き、いつも通りの日常を送る。
たぶん、遠く離れた北海道や沖縄の人と同じような反応。
テレビ画面に向かって、「大変だね」とつぶやくだけ。

現代人は、社会性が乏しく自己中心的だといわれますが、元々人間は“自己中”なもの。
昔も今も、変わらない。
環境は劇的に変化していますが、人間の遺伝子は変わっていない。
悲しいほどの無関心は、人間の“さが”ですから。


朝バナナダイエット

2008年05月17日 | あれこれ健康コラム

ダイエット。

もういいよってくらいに、新しいダイエット法が出てきますね。
食事療法、運動療法、メンタルケア…、いろんなアプローチがあって迷うものです。

じゃあ、どれがいったい効果があるのか?って話になる。
どれが、科学的根拠のあるダイエット法?って疑問も出てくる。

基本的に、食べなきゃ、太りません。
全くもって、当たり前ですが(笑)。
だから、食べるなっていうと、誰もダイエットしませんよね。
ダイエット法とは、いかにこの「食べない」状態にもっていくかということだと思っています。

「食べない」は物理的に食べないことではなく、必要以上に食べないってこと。
この「必要以上」ってのが、実は難しい。
個人差がありすぎるから。
成人男性は2000キロカロリーだのなんだのという専門家もいますが、そんなもの目安としてはいいのでしょうが、一般人が計算する必要はないでしょう。

食品の成分を分析して、グラム当たり、炭水化物・タンパク質なら4キロカロリー。脂質なら9キロカロリー。
実に明解。
でも、その試験管で調べた栄養素に、どれだけ意味があるのか?
摂取したものを、どれだけ体が利用するかは、個人差が大きく、しかも同じ個体でも、状況により大きく変化する。

話題(?)の「朝バナナダイエット」は、ここらへんのことにも言及しているので、好感のある方法論ですね。
ただ、ちょっと問題点があるとすれば、まだ実例が少ないこと。
300人もが成功したって、謳っているが、統計的に見れば、たった300とも言える。
まして、まだ提唱している人ですら数年しか継続していない。
つまり、今後、この「朝バナナダイエット」と続けることで、体に支障が出る可能性もある。
やはり、時間がたってみないと、評価は下せないのが現実。
健康法の提唱者が、意外と若く死んでしまうことも多いですから。

さてさて、この「朝バナナ」は定着するのか?
それとも「ビリーズブートキャンプ」と同じ道を歩むのか?
時間が真贋を決めてくれるのでしょうね。


宇多田ヒカル Beautiful World

2008年05月16日 | ワンフレーズの天才

宇多田ヒカルは天才である。

私が言うまでもないことですが、その“天賦の才能”の中でも文章力、特にワンフレーズの感性が好きです。

例えば「Beautiful World」の中の歌詞、「何が欲しいか分からなくて ただ欲しがって」なんてフレーズは、まさに天才!

これほど現代日本を表している言葉もないでしょう。
欲望はあるのだけれど、対象がハッキリしない状態。
それが今の日本人。

だから、どれだけ満たされていても、欲求不満。
不満なわりに、対象がハッキリしないから、何をしてもイライラするだけ。
「欲しい、欲しい」と繰り返すも、「何を?」と聞かれると、戸惑ってしまう。
だから、まわりの情報に振り回される。
自分の意思などない。
ただただ、コントロールできない欲求に、イライラしているだけ。

ほんと宇多田さんのいう「ただ欲しがって」って状態そのもの。
これじゃダメだってことは、みんな分かっているのにね。
変える勇気がないんですよね。
変えるってことは、捨てること。
何かをするってことは、その他の何かを諦めるってこと。
その覚悟がないから、不満な顔ばかりが世間をにぎわす。
私だってもちろん、そうなんですよ。

もう、不満顔はやめにしましょう。
不満な顔は、何も生み出しませんから。


グループホーム

2008年05月15日 | 整体師のひとりごと

仕事の関係で、厚別区にあるグループホームに行ってきました。
恥ずかしながら、私はグループホームというものがどういう施設かも、よく理解していませんでした。
何回か訪問させていただき、働いてらっしゃる方、特に若い子に感心させられます。

施設に入居されているお年寄りは、痴呆である。
程度の差はもちろんあるのでしょうが、その相手をすることって、とてつもない労力・忍耐力が必要でしょう。

私には、できない。

そこで働いている若者の話を聞くと、決して仕事がないからヘルパーをしているわけではなく、介護など人のお世話をすることが好きなのだと、話していた。
他の仕事をしていたのに、介護がしたくて転職した若者もいた。

私には、できない決断だ。

「今の若いもんは、なっとらん!」
なんて思っている、大人はこの現実を知るべきである。
もち、私もそう。
知らなかった現実が、目の前にあった。
例え、相手が若くても、私は尊敬します。
(反対に、どれほど年配でも、ダメな人はダメと思いますが…)

自分にできないことをしている人は、尊敬に値します。
ヘルパーさん、介護士さん、あなたたちは偉い!


宮崎駿の最高傑作は?

2008年05月13日 | 小説も漫画も、ええもんは、ええで!

岸の上のポニョ、宮崎駿監督の最新作である。
どのような内容なのかは、わかりませんが、最近の宮崎作品に対するマスコミなどの扱いって、どうなんでしょうね。
公開される前から、あおり過ぎじゃないのかな?
出す映画、出す映画、無理矢理「最高傑作」に仕立ててるみたい。
もちろん好みもあるものだから、人それぞれ受け止め方があって当然なのですが、あまりに褒めすぎじゃないかな?

やはり宮崎作品の最高傑作は、「天空の城 ラピュタ」でしょう。
物語の世界が、きちんと作品の中で完結している。
最近の作品は、強引にテーマを入れすぎなんじゃないかな?
「環境問題」だの、「生きる」だの、それはそれで大切なメッセージかもしれないが、映画のクオリティーを下げてまで、入れることはないと思う。

有名な俳優・女優を起用して、盛り上げるのも商業的には正しいのだろうが、やっぱ声優でいいんじゃないのって、思うことのほうが多い。
そりゃ、そうだ。
短距離選手に、同じ走るんだからマラソンもできるでしょ、なんて言うバカはいない。
それと同じような気がするのだが…。

テーマなんていらない。
小説や映画など、それを目的にしてしまうと、どうも強引だったり、薄っぺらく感じてしまう作品になる。
テーマは、自然とにじみ出てくるもの。
出そうとしなくても、出てきてしまうのが、製作者の個性(主張)ではないのか。

「ラピュタ」の良さはそこ。
ぐだぐだ、主張しないのに、心に残るものがある。
「もののけ姫」は、何も残らない。
テーマを意識しすぎて、作品の奥深さがないがしろになった印象。

なんでもかんでも宮崎作品なら褒めちぎるマスコミは、もういいです。
かといって、ちゃんと見もしないで有名な監督ゆえに批判して、カッコつける評論家も、いりません。
一作品一作品、当然違うのですから、まとめて評価すること自体おかしい。

いいものもあれば、あれれってものもある。
どんな有名な作家であっても、そりゃそうでしょ。

すべての人にとっていいものなど存在しません。
みんな、違った考えを持つ存在だから、生きるのって、ウザったいけど面白い。


docomo … ロゴを変えることより、ねえ。

2008年05月12日 | 整体師のひとりごと

大きな会社さんがすることはよくわからないときがある。
例えば、ケータイのドコモさん。
「DoCoMo」から「docomo」になりましたよね。
これまでのイメージを変えるってことなんでしょう。
最大手なのに、何か「負けている」ってイメージが最近強いですからね。

でも、使う側にとって、そんなのどうでもいいんじゃないかな?

イメージ戦略とか、そういうことで購買意欲をかきたてるのも、正しいのかもしれない。
ブランドの価値を上げることの正しいのかもしれない。

でも、そういう上っ面のことって、もういいじゃないのかな?

これまで、日本人はモノの中身より、いわゆる「ブランド」信仰の強い集団みたいなことを言われてきた。
ようは、上っ面に踊らされる、「おバカ」な人ですねってことでしょう。
私もそういったところは多々ある。
なんとなく、大手のほうがいいじゃん、ってね。
やれやれ、おバカですねえ。

そんなことより、一番地味でケータイに求められていることって「どこでもちゃんとつながる」ってことだと思う。
これは料金プランや機種の機能などに比べると、なんともパンチの弱いアピールポイントではある。
アンテナ設置の増設は、お金がかかるわりに、地味な分野。

でも、それこそ、ケータイの生命線だと思う。

ケータイの本当の価値は、どこでも安定して使えること。
上っ面の広告に、とてつもないお金を投入するのって、どうなんだろう?
大手はお金がありますからね、どうってことないんでしょうけど。
ブランドの価値は、あくまで結果であって、それ自体を求めることではないと思うのですが…。


雑草という名の植物はないとは言うけれど

2008年05月11日 | 札幌な風景

草花に知識がないと、知らない植物はすべて“雑草”というカテゴリーに入ってしまう。

「だから、“雑草”と思う植物にだって、ちゃんと名前はあるんだ」という考え方も成り立つ。

でも、そうして自然を知識で分類すると、副作用も出てくる。

つまり、その固体の個性より、種としての違いにしか目がいかなくなる。

同じように見えるタンポポだって、実は一本一本違うもの。

けれど、知識はそれを許さない。

タンポポはすべて、「タンポポ」である、と。

そのままを受け入れることの大切さ。

雑草は、「雑草」でいいのかもしれませんね。