答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

ちょっとわくわくしてきたぞ

2017年12月24日 | 読む(たまに)観る

『街場の天皇論』(内田樹)を読んだ。

なかに、山岡鉄舟について書いた稿がある。

以下、引用する。

 

 山岡鐵太郎は小野朝右衛門の子として天保7年(1836年)江戸に生まれた。父が飛騨郡代に任じられたため、鐵太郎も少年期を飛騨高山で過ごした。剣は井上清虎、後に千葉周作に就いて北辰一刀流に学び、書は岩佐一停に学んだ。父母が相次いで急死したあとに江戸に出て、そこで槍術を当時天下無双と謳われた山岡静山に就いて学んだ。静山は鐵太郎20歳のときに27歳で病没した。鐵太郎は師の遺族に懇請されて、静山の妹を娶り、六百石の旗本である小野家を離籍して、あえて微禄の山岡家に入った。妻となった英子は兄の弟子中抜群の器量である鐵太郎の人物を見込んで、「この人でなければ死ぬ」と言い切ったので、鐵太郎は「そんなら行こう」と快諾したと弟子小倉鉄樹の記した『おれの師匠』にはある。そういう人なのである。物事の損得や当否について判断するとき逡巡がない。人から真率に「頼む」と言われたら、事情にかかわらず「諾」と即答する。それは彼の剣風とも禅機とも通じている。(太字、宮内)

 

内田樹
東洋経済新報社

 

コロッと、本当にコロッといかれてしまった。

なんと魅力的な人物像だろう。もちろん山岡鉄舟という人を知らなかったわけではない。だが、ちょっとなんだか抱いてた印象とちがう。もっと知らねば。読了後、さっそくAmazonで「山岡鉄舟」と検索してみる。

さて、どれにしようか。

色々さまざまあるなかで、とりあえず選んだのはコレ。 

 

[新訳]鉄舟随感録 「剣禅一如」の精髄を極める
安倍正人
PHP研究所

 

さっそく読み始めた。

英子との生活について書いたくだりがある。引用する。


 六百石取りの家に生まれて、父の赴任先の飛騨・高山(岐阜県高山市)では「陣屋の若様」と呼ばれた少年時代を送った鉄舟だったが、養子入りした山岡家は貧しかった。それまでは衣食に事欠くことはなかった彼が、ぼろぼろの古蚊帳に妻の英子と包まって、抱き合って寒さをしのぐ暮らしを強いられることになった。

(略)

 赤貧洗うが如きこのような日々の中で、英子の初産になったが、彼女が横たわるべき蒲団がない。そこで、鉄舟は自分の羽織を英子に着せ掛けて、枕もとで看護をした。

 夜中に英子が目覚めると、夫はこの寒空に褌(ふんどし)ひとつの姿である。びっくりして彼女が着せられていた羽織を鉄舟に羽織らせようとすると、その手を押さえて彼は言った。

「心配するな。俺は今、裸になって寒稽古に入っているところなのだ」

 

内田さんの稿、『いつかどこかで。ヒーローたちの足跡、山岡鐵舟』に戻る。

こんなことも書いている。

 

 人間が生きるために要るのは「もの」ではない。知識でも技能でも情報でも道具でもない。風儀である。作法である。必要なものを必要なときに「はい」と取り出すことのできる力である。

 

この論に、わたしは深く同意する。

「知識」と「技能」と「情報」と「道具」とに拠って立つわが身ではあるが同意する。

いやいやそうではない。 

「知識」と「技能」と「情報」と「道具」とに拠って立つわが身だからこそ深く同意するのだ。


山岡鉄舟か・・・

なんだか少し、わくわくしてきたのである。

 

 

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