答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

『モリナガ・ヨウの土木現場に行ってみた!』(モリナガ・ヨウ、溝渕利明)を読む

2017年12月26日 | 土木の仕事

 

モリナガ・ヨウの土木現場に行ってみた!

モリナガ・ヨウ著

溝渕利明監修

アスペクト

 

監修者である溝渕利明さんが土木学会誌の編集委員をやっているときに、ソフトイメージで作りたいと考え、イラストで工事を紹介することにし、氏がファンであったモリナガ・ヨウさんとタッグを組んだ連載、『モリナガ・ヨウのぶらっとぉ土木現場』をまとめた本。「土木のことを何も知らないモリナガを現場に連れて行って記事を作ろう」という狙いが功を奏して、読んでいてシロウト目線がじつにたのしい。

とはいえ、ビッグプロジェクトとは縁がないわたしのような辺境の土木屋からすると、とてもとても「同じ仕事をしています」というのもおこがましいような大規模工事ばかり。そういう意味では、同業者の端くれであるわたしもまたシロウトのような気分で、「へ~」「ほ~」「は~」と驚きつつ読ませてもらった。

本の終わり(第2部『土木の基礎知識』)、『土木って何?』という稿がある。溝渕さんの手によるものだ。わたしがもっとも印象に残ったのは、「子どもの頃は見えていて、大人になると見えなくなるものというのは、たくさんあります。」というプロローグから始まる文章だ。

 

 土木の面白さは、子どもの頃皆さんが感じていたもの作りの面白さそのものであると思います。子どもの頃、小さなバケツとスコップを持って公園で砂遊びをした経験は、誰にでもあるでしょう。砂場で山を作ったり、その山の両脇から友だちと手でトンネルを掘って、貫通した瞬間に握手して喜び合ったりしたことはありませんでしたか。無理して大きなトンネルを掘ったら、せっかく作った山が崩れてしまって、がっかりしたこともあったのではないでしょうか。

 また、海水浴に行ったとき、砂浜で山を作ったり、水路を作って波がくるたびに水路の中に水が引き込まれていく様子を眺めて喜んだこともあるでしょう。がんばって大きな土手を作って、波が内側に入らないようにしたつもりでも、時間がたって潮が満ちてくると、最後は波に洗われて崩れていってしまう ー そんな様子を寂しく思いませんでしたか。

 こうした子どもの頃の遊びは、すべて土木工事なのです。それも高度な土木技術がなければできないことばかりです。

(P.98~99)

 

なぜこの部分が印象に残ったのか。

優秀な土木技術者あるいは優れた土木技能者とは、たとえていえば砂山を上手につくることができる人であり、その砂山にトンネルを上手に掘れる人である、というのがかねてよりのわたしの持論だったからだ。

たとえばこうだ。その裾野を広くすればより高く砂山をつくることはできる。だが、面積が限定された場所でより高くしようとすれば、そこにある砂では限界がある。だからそのために改良した砂を使う。あるいは砂を盛りながら地盤改良を施していく。子どもは、見よう見まね、あるいは教え教えられで、そのためには何が必要なのかを身につけていく。当然のことながら、そこでは皆が平等ではない。好奇心、向上心、探究心、素直な心持ち、本質を把握する力、はたまた段取り力、その他もろもろの多寡や有無で、たかが子どもの遊びとはいえ、技術の優劣はすぐさま表れてくる。


「あ、土木っていうのは”砂山づくり”やな、”砂山のトンネル掘り”やな。あれが土木技術の原形やな。」

いささかトウがたってからこの仕事を始めたばかりのころ、わたしはすぐにそう思った。そして、そのおもしろさとは裏腹にどちらかといえばそっち方面では人より劣っていたであろう自分自身を振りかえってみた。自分には何が不足していたか。自分には何が必要だったか。それを腹に入れて仕事をしていくことが、この世界で一人前になるために不可欠なことなのだと思った。

 

「そうだ。そうだよ。そうなんだよ。」

 

 そんな駆け出しのころを思い出しながら、くだんの文章を喜々として読んだのだ。

 

『モリナガ・ヨウの土木現場に行ってみた!』。

イラストがメインの本にあって、「もっとも印象に残ったのが巻末の文章だった」というのもなんなのだが、そこはご勘弁いただきたい。メインがおもしろかったからこそ、脇役の渋さが引き立てられたのはまちがいがないところなのだから。

 

 

 

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