答えは現場にあり!技術屋日記

還暦過ぎの土木技術者のオジさんが、悪戦苦闘七転八倒で生きる日々の泣き笑いをつづるブログ。

『地域建設業ーある建設業者の遺書』(尾上一哉)を読む

2017年02月14日 | 読む・聴く・観る

森崎さんに紹介されて買ったはいいが、「ある建設業者の遺書」というそのサブタイトルに気おされ、読もう読まねばと思いつつきちんと向き合えずに積んでいた一冊。

先日来高した彼にそのことを打ち明けると、

「読まなきゃダメですよ」

と、例によって笑顔で諭してくれたので、がぜん読む気が湧いてきた。いやはやまったく、あの笑い顔が曲者だ。

ということで、『地域建設業ーある建設業者の遺書』を読む。一気呵成に読む。著者、尾上一哉氏は熊本県の建設業者だという。

 

地域建設業―ある建設業者の遺書
尾上一哉
熊日出版

 

蛍光ペンを引いた箇所を取り上げるとキリがないので、そのなかでも「これは」と思いページの端っこを折った部分を紹介する。

 

 

 建設業界内部にあって不条理を訴える皆の本音は異口同音だが、「天に唾するな」と、ため息が囁くのだ。皆が皆、「談合」の二文字に脅かされている。(「はじめに」より)

 

 建設業の人権が無視されている。その結果、不良社会資本が量産されている。(同)

 

「最低制限価格」は、国土防災の任務を負う建設業者に対する冒涜であり、人権侵害である。倒産への「未必の故意」を看過する不作為が、社会全体にあるのではないか。(P.25)

 

 最低限の品質があればよい。より安い金額で落札させ、余った予算でより多くの社会資本を作ることが、無駄づかいを防ぐと、国民に思い込ませてしまった。その結果、入札制度によって新たな産業廃棄物が量産され続けている。(P.50)

 

 日本のモノづくり文化に「良く早く安く」という呪文がかけられてからというもの、建設業界では、使い捨てインフラというべき産業廃棄物が作り続けられている。(P.62)

 

 国民の税金を使ってせっかく公共事業を行っても、「競争の原理」と称して、金額による競争入札をさせ赤字を連鎖させたのでは、まったく無駄な投資である。節約しようとした結果、逆の効果しか生まない。(P.75)

 

 少ない金額、少ない時間、少ない人材によって、建設工事は欠陥が多く発生する。「安かろう、早かろう、悪かろう」である。重ねて言うが、適正な金額、適正な時間が与えられることで、適正な社会資本が生み出される。

「良く早く安く」は、間に合わせの安物に対しての掛け声である。半永久の寿命が必要な社会資本には、絶対に適用してはならない。(P.87)

 

 

檄である。

檄文である。

尾上さんの主張は、読んでいるこちらが怯んでしまうほどに鋭く強い。

そりゃそうだ。「建設業と社会資本の未来を考えると、死ぬに死にきれない思い」(「はじめに」より)を持って彼は書いている。そしてそれが読むものに十二分に伝わってもくる。わたしが紹介した断片だけを読めば、批判非難のオンパレードじゃないかと受け取る人があるかもしれない。 だが著者は、入札制度を始めとした「不条理な」現状への対案もきちんと明らかにしている。何より、全編を通じて一貫しているのは、「品質」への強いこだわりだ。モノづくりに携わる人間としての志の高さだ。

あゝ・・・、

ボウズ頭をボリボリ掻く。

「ある建設業者」の直球勝負にタジタジとなりながら、「ひるがえってオレはどうなんだ?」と、青くなったり赤くなったりしつつ『地域建設業-ある建設業者の遺書』を読了。今という時代の公共事業の構成員すべてが読むべき書。特に地場の中小零細建設業経営者に読んでほしい(このブログの読者のなかにどれだけいるかわかりませんが)。

尾上さんの主張に、「そうだそうだそのとおり」「よう言うてくれた」と快哉を叫び拍手喝采をするのみではなく、はたまた逆に「そりゃ違うだろうよ」と批判するのみでもなく、氏の覚悟の出版を受け止めて議論と行動のスタートとするために。

もう遅いかもしれない。

だが、遅すぎはしない。

そう思う。

 

地域建設業―ある建設業者の遺書
尾上一哉
熊日出版

 

 

 

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