散日拾遺

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種明かし: ヘビの安全な捕獲法

2017-05-15 20:31:54 | 日記

2017年5月15日(月)

 みかりんさん、発想は正解です。ヘビは首根っこが急所ですよね。でもY字型のものだと、押さえ込んでも箪笥の裏から引っ張り出せませんね。もう一息。

 sueさん、コメントは久々とのことですが、そもそも私が最近あまり更新してませんでした。いえ、飽きちゃったわけではなく、できることなら一日中でもブログをいじっていたいのです。いっそそうしちゃおうかな。「筒状のもの」は言い当ててます。ほとんど正解。

 こんな時のために用意していたのでしょうか、竹の節を抜いて長い管にしたものを曾祖父は持ち出してきたんだそうです。(屋敷の一隅に今でも竹林がありますし、田舎ですから材料には事欠きません。)それに長い紐を通し、一方の端を輪っかに結んで細工はできあがり。この道具を箪笥の裏に差し込み、ヘビ君の頭が輪っかの中に入ったところを竹のこっち側で紐を引けば、6尺豊かなアオダイショウも手も足も(出)ないという次第。↓ こんな感じですかね。

 

 曾祖父はヘビ君を道具ごと当時旧制高校生だった父に渡し、「前の川に捨ててこい」と命じたのだそうです。むろん「捨ててこい」とは「逃がしてこい」と同義で、当然とはいえのどかなものです。僕も今回、30cm ほどのチビヘビを同じ川に注ぐ水路べりに放してやりましたが、バケツから地面に落ちるが早いか、滑るというより飛ぶように草むらに逃げ込む足(?)の速かったこと。とてもとっても臆病な動物なのでしょう。マムシ・ハブ・ヤマカガシといった毒蛇でない限り、ヘビは概して人間には無害でもあります。

 そもそも人によっては、箪笥の裏のアオダイショウなら捕まえずに放っておくかもしれません。アオダイショウがわざわざ人家に入ってくるのは、ネズミを狙うものだと考えられています。ネズミを獲り尽くしてしまえば餌を求めて勝手に出て行く理屈だから、ヘビ君は出入り自由にしておくのがネズミ対策には合理的なんですよね。ネズミのほうはのどかでは済まない、たいへん厄介で危険ですらあります。家中の家電のコードの被覆が、ネズミにかじられてボロボロという状態を想像してみてください・・・

 上記の方法は曾祖父が考案したものではなく、その時代の田舎の人々にはよく知られたものであっただろうと想像します。試みにハブの捕獲法をインターネットで検索したところ、いろいろな方法が出てくる中に「ハブ捕獲棒」という道具を使うものがあり、写真で見た感じでは曾祖父の手作り品と同一原理のようなのです。人の考えることは、どうしたって似るんですよね。

 アカマタ(練習用の無害なヘビ)をハブ捕獲棒で捕まえる浦添署の面々。琉球新報デジタル版 2017年5月8日から。(http://ryukyushimpo.jp/news/entry-491859.html)

 Ω

 


クイズ: 曾祖父はアオダイショウをどのように捕獲したか?

2017-05-13 08:48:38 | 日記

2017年5月13日(土)

 幼い頃から父に聞かされてきた、家庭内の名場面・珍場面集の一コマである。戦後まもない頃というから70年ほどの昔だが、堅牢な日本家屋は今もその時分とほぼ変わらない作り。その二階の大箪笥の後ろ側に、でっかいヘビが住みついているのを誰かが見つけた。女性が見つけて絹を裂くような悲鳴をあげたかどうか、そのあたりは定かでない。

 その時、既に80代に達していたであろう曾祖父 〜 父の祖父 〜 が慌てず騒がずこれを捕獲した手順を語る、その都度きまって父の目に讃仰の色が浮かんだものである。言われてみれば理にかなったもので、田舎の人々にはよく知られた方法だったのかもしれないが。

 さて、どのようにしたのでしょう?

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また別の空の眺め/緑の松山

2017-05-10 20:50:40 | 日記

2017年5月10日(水)

 徳島からの帰途の風景はクリスタルクリアだったが、松山からのそれは薄曇りと黄砂で滲んでいた。コースは最高で、石鎚の鋸歯のような峨々たる頂を左に眺めながら四国を長軸方向に横切り、先日馴染みになった徳島平野から紀伊水道、紀伊山地から志摩湾と、北緯33度40〜50分あたりで日本列島南岸をサーチしていく。渥美半島から遠州灘へのゆったりとした海岸線がことのほか好きなのだが、空路が南へ逸れたのと滲んだ空気のために残念ながらよく見えない。
 それでも富士山は見つかった。ほら、こんな具合。
 

 富士山が見えない?確かに小さいが、目視ではそのように感じなかった。人の目はつくづく良くできており、関心の対象を自動的にズームアップしてくれる。カメラで同じことをしようとすると・・・ 

 全体がぼやけてしまうのね。三原山火口はいつ見ても黒々と恐ろしい。千葉上空でぐるっと旋回し、湾を横切って無事着陸。東京に戻ってきてしまった。

***

 アレン・セイの名作絵本の末尾は、「おじいさんはアメリカにいる時は日本のことを考え、日本にいる時はアメリカのことを考えていたように思われる」というのだ。僕の場合は「東京にいる時は松山のことを考え、松山にいる時は東京のことを考える」という具合である。
 もっとも今回はそれほど東京のことを考えるでもなかった。春から初夏へ移ろうとする田園は美しく、ウグイスの囀りは日を追って級位から高段者へ長足の進歩を遂げ、家の内外に仕事はいくらでもあり ~ 都会人は自分たちが忙しく、田舎の人間はヒマで暢気と思いたがるが大きなマチガイである ~ 次はいつ松山に戻ってこようかとばかり思い巡らしていた。
 滞在中、久しぶりにヘビを見かけた。30cmほどの仔ヘビなのに堂々たる紋様をまとって、若葉によく映える緑がまぶしい。いわゆるアオダイショウだけれど、チビの方が模様が鮮やかで立派に見える。別の日に草刈りをしていたら、目の前の叢に名の分からない小型の鳥が猛々しく舞い降り、何か咥えて電線に飛び上がった。捕まった獲物もやはり若草色で、この季節は甲も乙も草色に染まっている。

 草の間に伸び出したカラタチもこんな風情で、トゲまで柔らかく見える。

Ω