散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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私が私を指さすとき

2016-12-27 09:29:12 | 日記

2016年12月27日(火)

 先日は片山和彦氏の名講演について書いた。その予見通りノロが猛威を振るっている。受験生を抱える当家も要注意。この間、僕の交際圏にいるもう一人の和彦氏から久しぶりにメールが届いた。放送大学OBのハガキ詩人、池下和彦さんである。

 

 『品切れ』という詩にドキリとした。

「あれっ/何々はないの、私がたずねると店の人は、ついさっきまであったんですがと空白を指さす」

 その後だ

「あるものではなく/ないものを指さす/私が私を指さすときのように」

***

 メール本文のやりとりも楽しかったりして、これは12月20日の日付・・・

池下さん 「あしたは冬至。あさってから『日が長くなりましたねえ』のあいさつ解禁?」 池下

イシマル 「はい、冬至ですね。小さい頃は『だから何だ?』と思っていましたが、最近とても意味深く感じます。冬至・春分・夏至・秋分・・・自然の摂理にして人倫の基、なんて。」

 先日からS先生御推奨の『神々の指紋』なんか夢中で読んでいるので、「天空の四方」がなおさら気になるのかも知れない。でも本当に、宇宙の運行と自分一個の状態が連動していることを年経るほどに痛感し実感する。「天気が悪いから気分がすっきりしない」なんて、30~40代ぐらいまでは寝言だと思っていた。今は副鼻腔の重さで天気が分かる感じがする。だから「気」という言葉は実によくできている。天気・大気といったマクロコスモスの「気」と、気分・気もちといったミクロコスモスの「気」が、互換的であり等価であり同根ですらあるのだ。ウパニシャッドで「ブラーフマンとアートマンの合一」とか言うのはこのことかな。「呼吸する」ことをドイツ語で atmen というのを知って、タマゲたことがあったっけ。

 何しろ冬至、一陽来復、カボチャに柚子湯。冬至が新年で冬至がクリスマス、だからクリスマスが新年。ナザレのイエスの誕生日が12月25日であるとは誰も主張できないし、その必要もない。ローマ人のサトゥルヌスの祝い(Saturnalia)を踏襲したのだと友達が教えてくれた。12月17日から7日間続く祭りで、その間は奴隷にも一定の自由が許され皆が楽しく陽気に祝ったという。サトゥルヌスはギリシア神話のクロノスと同一視され、共に時の神とも農耕神ともされるらしい。大きな鎌を持っているのは、農耕とあわせて「時を刈り取る」意味があるからだそうだ。「刈り取る」はピンとこないが、「時を刻む」という表現を思えば合点がいく。

 死と新生、刈り株から新芽が出るためには、まず刈り取らねばならない。

Ω


人生の長さに寄せる希望

2016-12-27 08:17:15 | 日記

2016年12月27日(火)

 ma_ko さま

 コメントありがとうございます。お聞きくださったのはラジオの大学院授業ですね。「人柄」がどの程度偽らずに伝わるものか分かりませんが、心理臨床に四半世紀の経験を積んでいらした方の直観を信じることに致します。

> 人生は終わってみるまでわからないと、希望もつ次第です。

 本当にそうですね。人生の長さは貴重であり、強力な資源と言えるかも知れません。私自身もそれに助けられてここまで来たという実感があります。それだけに、その長さを暴力的に奪われた人々のことが痛ましく思われてなりません。

 ブログにも書いたことがありますが、私の母方の伯父がサイパンで戦没しています。23歳という若さでした。両親も弟妹らも柱と頼む農家の総領息子で、平和であれば教員になったはずでした。

 幼年期から「戦死した伯父さん」が残した痛みを感じながら育ちましたが、自分がその年齢に達した時 ~ ちょうど意を決して医科大に入り直した春 ~ あらためて愕然としました。とにもかくにも完成された大人と想像していた23歳が、こんなにも未熟で不安で未経験であり、人生をまだほどんど始めていない存在だったとは!

 恵まれて長命した者の役目について、つくづく考えさせられます。世の中はクリスマスを明るく温かく祝いますけれども、聖書の告げる最初のクリスマスを彩ったのはベツレヘム一帯の2歳以下の男子の大量虐殺だったのですから。

 乱暴なお返事になってごめんなさい。24日(土)・25日(日)は渋谷で面接授業を担当し、幸い二人の仲間とのコラボで私は中抜けできたので、イヴ礼拝と日曜日の礼拝をまもることができました。その間にいただいたコメントは、今年のクリスマスの大事なプレゼントです。

 お仕事と日々の生活の上に、恵みと祝福が豊かにありますように!

Ω


メディアと民主主義 / 第三次世界大戦が既に始まっているという視点

2016-12-23 07:40:00 | 日記

2016年12月23日(金)

 「The Moscow Times は実在の新聞です。僕も良く読んでました。モスクワでほとんど唯一の英字新聞で、硬軟両方の記事が出ますが政治主張はリベラルでまともな新聞です。経営も英米系の会社だったと記憶します。さすがにこれを弾圧すると外国にばれるから、露骨にはできないでしょう。ロシア語の新聞ではこういうジョークは無理かもね。

 でも、90年代のロシアの新聞、TVはこんなこと平気でやってました。某TVのエリツィンなど政治家のそっくり人形を使った風刺番組はとても人気がありました。そのTVは経営者、キャスター全て追放され今はまったくの御用TVです。やはり、メディアがつぶされると民主主義はだめになります。これは今の日本への教訓です。」

 ロシア通の友人からのコメントである。ネット情報に依れば、The Moscow Times は1992年創刊で2008年の発行部数35,000部、フリーペーパー + 定期購読制で、新聞・雑誌販売所では入手できない。ロシアで最初の西欧向け日刊紙であり、所有者は当初インディペンデント・メディア社だったが、2005年にフィンランドの出版グループであるサノマに買収された。姉妹版のThe St. Petersburg Times もサノマ所有。

 フィンランドとロシアの関係については、歴史を遡って見ておく意味があるかも知れない。日本と違って長い陸の国境線をもち、学ぶべき多くのことが起きてきたはずである。

 ロシア通の友人は真剣な国際政治ウォッチャーでもある。最近の彼のコメントからもう一つ。

 「シリア、イラクの領土を中心として、既に第三次世界大戦が始まっているのかもしれません。トルコ、ロシア、イランは参戦していてアメリカ、EUも有志軍として半分ぐらい参戦している。特にトルコはNATOの一員でありながらロシアと手を組んでいるという複雑な様相です。

 犠牲になるのはいつもの通り、難民となってEUへ逃げている、あるいは逃げ出せないでいる一般の人々です。トランプが本格参戦に舵を切ったら、一気に戦火は拡大するかもしれません。」

 重ねて傾聴。メルケル首相に声援を送りつつ動向を注視する。シリアからの悲痛な叫びが天にも地にもこだましている。

Ω


似て非なる写真のカラクリ(続)

2016-12-22 10:18:55 | 日記

2016年12月22日(木)

 「へええ」「ほおお」という話だが、まだ続きがある。今度はどうですか?

 

 服装の違いや写真の古さ新しさを修正のうえ提示されたとして、さあ同じと見るか違うと見るか。右はもちろんダルビッシュ、左は・・・誰でも知ってる小説家とだけ言っておく(正解は末尾)。これがその夜、プーチン氏らの写真と並んで講演スライドの一枚を飾ったのだ。一日の仕事を終えて集まったM市の医師らを居眠りさせないためには、真に有効な工夫。インターネット上に元ネタがあることと想像は付くが、忙しい中でそうした素材を目ざとく見つけて拾ってくる片山氏の茶目っ気とサービス精神に一驚する。そして同氏が確実な根拠に基づいて断言した通り、今冬のノロウィルス感染症は空前の広がりを見せつつある。上記の二人をも別人と弁別する(?)精緻な免疫系の裏をかいての跳梁跋扈である。

 僕は感染症や小児科臨床の詳しいことはわからないので、専門家諸氏との質疑応答を頭上に聞き流していたが、ふと思いついたことがあって手を挙げた。「ノロウィルス感染症は人類史の中で古くからあったのですか?それとも比較的最近出現したものでしょうか?」臨床には直接関係ない事柄だけに気が引けるが、ついつい歴史の方角に頭が動くのは抑えがたい性である。また、この演者なら答えに窮するはずがないと思ったのでもあるが、反応は予測を超えていた。氏は大きく頷いて手元のノートパソコンを操作し、「今日は入門編のつもりだったので・・・」と言い訳らしきことを言いも終わらぬうちに目当てのスライドにたどり着き、すぐさま込み入った樹形図を示してみせた。遺伝子の多型性パターンから進化のタイムコースを推定する方法論が、今では多くの領域で日常的に活用されている。それによれば今から390~570年ほど前とおっしゃったか、ともかくここ4~500年という最近に出現したものと考えられるのだそうだ。それだとコロンブス/マゼラン以後の話だから、「地球上のどこで」という推測は難しかろう。

 案の定で、その代り氏は面白いことを教えてくれた。ロタとノロは似たところがあるが、世界的な拡散のスピードはかなり違っており、ノロがあっという間に拡がるのに対してロタはずっとゆっくりしている。ここでのキーワードは「発症年齢」と「飛行機」だ。ノロは大人も子どもも発症するが、ロタは5歳以下の子どもにほぼ限られている。子どもがノロやロタに罹れば、よほどの事情がない限り親は子どもの旅行を中止/延期するだろう。しかし大人がノロに罹った場合、少々不調でも旅を強行することがままある。かくしてあっという間に新しい株が世界に拡がるというのである。聞いていて「梅毒世界一周物語」という小ネタを思い出したが、これは秘蔵だからここには書かない。

 拍手の中を退室する演者が、通りすがりに僕を見て「御質問ありがとうございました」と声をかけてくれた。聴衆のことまでよく見て覚えている、大したものだとトドメの驚きである。

 帰宅後にさっそく調べてみて、これはまた別のビックリ。プーチン氏の写真は、何と新聞記事が元ネタなのだ。

 

 The Moscow Times はモスクワで発行されている英字紙とある。さぞ反響を呼んだに違いないが、 書いた記者はその後無事に暮らしているだろうかと少なからず心配になった。

 最後に種明かし、ダルビッシュ有そっくりのりりしい書生は、若き日の川端康成である。なるほどこれでは雪国でも伊豆でも艶福が付いて回ったことだろう。

Ω

 


似て非なる写真のカラクリ

2016-12-22 10:18:44 | 日記

12月21日(水)

 先週の金曜日だったと思うが、朝のラジオで「よく晴れた西の空に十六夜が沈んでいきます」とアナウンサー。「十六夜の月」とは言わない、「十六夜(いざよい)が沈む」との表現が何だか粋で、久しぶりに嬉しい感じがした。その後の一週間はまことに慌ただしく、ブログを更新するゆとりがないのでは「忙中閑ナシ」である。下の写真を挙げたっきり、種明かしがほったらかしになっていた。

 心配してくれる人があったので念のために言うが、僕が仕組んだのではない、パクリである。オリジナルは後で記すとおりモスクワ新聞の記事であり、その二次利用の文脈が明かすべき「種」ということになる。昨日あたりからTVやラジオが答を連呼しているようで、「ノロウィルス」というのがカラクリである。

 

 もう2週間も前になるが、A君のクリニックで診療にあたった後は、いつもの二人飯ではなくM市の医師会主催の講演会に回った。どこでも世話役に回ると見えるA君が企画担当で、面白くてためになる講演をプロモートしているらしい。今回は『ノロウイルス都市伝説 ウソ?ホント?』というタイトルからしてキャッチーだが、内容がまた見事である。講師は北里大生命科学研究所の片山和彦氏で、第一線の研究成果を交えながら、臨床家のためになる実践的な話を分かりやすく延べ、随所に笑いのタネが仕掛けてあるうえに時間管理は完璧という、ちょっと珍しい名講演とあいなった。

 従来NHKがノロウィルスの写真として流行のたびに示していたものが、実はロタウィルスのものだったというすっぱ抜きから始まり、感心したり驚いたりの1時間余。感染者のウンコ耳かき1杯中に、少なくとも1億個のウィルス粒子が含まれている。ウィルス100~1,000粒子が体内に入れば発症には十二分だから、いかに礼儀正しくトイレを使ってもウィルスを伝播させないのは至難のわざである。さらに困るのは吐瀉物の扱いで、子育てした大人なら乳幼児の待ったなしの嘔吐の瞬間、咄嗟に吐物を手で受けた経験は誰でももっている。無理もないことだが、これでほとんど一発アウト。さらに、吐物で汚れた子どもの身体を早くきれいにしてやりたい親心でも、シャワーをかけるとまず絶対に飛沫からの感染を免れないそうだ。

 吐物の扱いも要注意。大きな新聞紙を吐物の上にかけて拡散を防ぎ、次亜塩素酸を新聞の上からふりかけて消毒する。十分な時間が経過した後に新聞紙ごとまるっと丸めて廃棄する。次亜塩素酸と煮沸は確実に有効であるいっぽう、ノロウィルスにはエタノールは効かない。これはよくよく知っておきたいことだけれど、広報に関して某筋からきわめて強力な圧力がかかるという。圧力がかかろうがどうしようが効かないものは効かないのであり(ガリレオの呟きと同じだ)、単純にして有効なのが食前の手洗いだ。牡蠣は12月を過ぎたら食べない方が良い、等々

 

 で、ラスプーチン・・・じゃない、プーチン氏らの写真がなぜここに登場するかというと、キーワードは免疫系である。ウィルス感染に対しては、当然ながらヒトの免疫系が防御の任に当たる。免疫系は異物を認識するとその履歴を正確に記憶し、次回の感染に際して迅速・強力な防御反応を起こして発症を防ぐことができる。その際、異物を正確に認識・記憶することは重要で、異物らしきものに対してやたらと過剰反応を起こすようだと別の危険な事態を招きかねない。ということでようやく本題。

 いかに似ていると言っても、左がロシア国の大統領であり、右が人類とは別の動物種であることは誰でもよく分かる。しかしたとえばコンピュータに両者が「似ていても同じではない」ことを教えるのはなかなか難しかろう。ヒトの弁別力は実に洗練されたものだが、免疫系の弁別力もこれに劣らず、このぐらいはヘイチャラで「別」「違う」と認識できるというものの譬え。それが災いするというから話は興味深いのである。

 ヒトの免疫系が精密緻密であるのに対し、ノロウィルスの方は甚だ雑駁な造りであるらしい。インフルエンザウィルスでも遺伝子(RNA)鎖を8本だかもっているのにノロウィウルスは1本だけで、それによってコードされるタンパク合成系がひどく粗雑であるために、しょっちゅう間違いが起きる。間違いが起きるということはできそこないの粒子が頻繁に作られるということで、その大半は機能不全を起こして淘汰されるけれども、運良く生き延びた粒子では表面抗原の構造がオリジナルと変わっちゃってることがしばしばある。精緻にして融通の利かないヒトの免疫系がこれに遭遇したとき、「これは別物」と認識して見過ごすことが起きるというのだ。「これは犬であって、プーチン氏ではない」・・・こうしてノロウィルスが免疫系の防御網をくぐり抜け、「ノロには免疫が成立しない」という誤った都市伝説が誕生するというわけである。

(この項続く)