散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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マメマメマメとカマキリと

2013-05-15 21:40:39 | 日記

放送大学の教授会には、各地の学習センターの所長先生方が、全員ではないが出席される。

おおきに御足労であるが、東京を訪れる良い機会にはなるのだろう。

先般、高松でお世話になった山崎先生も御出席で、気さくな笑顔で御挨拶くださった。

 

教授会終了後、今春卒業した院生の論文投稿の助言をしているうちに帰りが遅くなり、南天高い三日月を仰いで駅に着いたところ、ホームでまた山崎先生らの御一行に出会った。

「へぇ、家まで一時間以上か、香川やったら県外に出てしまうよ」

「それでも近い方ですよ、本でも読んでればすぐです」

と返したものの、おっしゃるとおり、首都圏の生活はどこかが大きく歪んでいる。

 

*****

 

家では、緑あざやかな豆料理が卓上やま盛りになっている。

 

 

左から順に、グリーンピース、スナップえんどう、ソラマメ、両親からの田舎の恵みだ。

奥方は充実の表情で肩をほぐす仕草、この午後いっぱい、豆の殻剥きをしていたのだ。

ありがたきは天地、ありがたきは親、ありがたきは奥方、ただ楽々と食うは息子ら(と僕)

 

父の信念で農薬を使わないから、傑作なことも起きる。野菜と一緒に青虫が運ばれてきて、段ボールを開いた途端に御挨拶などは珍しくない。

昨年の春には、母が送ってくれた庭の花にカマキリの卵が紛れ込んでいたことがある。ほったらかして孵化するかどうか分からないが、イチゴの入っていた透明の容器に念のため隔離した。実はこの容器の見えないところに、ちょっとした隙間があったのだ。

 

「ぎゃあぁ~生まれた!」

というメールが家から家族全員に発信されたのは、2012年4月23日のお昼前。

体長7mm 、親と全く相似形の若葉色のカマキリが無慮数百匹、部屋の一画をうようよと拡散し始めていたのである。

厄介なことに容器のすぐ下には自動血圧計があり、マンシェットのマジック・テープがむき出しになっていた。

その中に迷い込んだ若きハンター達を、慈悲の心豊かな奥方がケガなどさせずに救出しようとする作業の涙ぐましいことは、想像するに余りある。念のために言えば、奥方は昆虫恐怖とは言わぬまでも、決してムイムイが好みではなかったのだ。

 

奥方の頭の中ではデュカスの『魔法使いの弟子』のメロディが、『ファンタジア』の映像と共にぐるぐる回っていたという。

弟子のミッキーが、見よう見まねでホウキに魔法をかけて水汲みを肩代わりさせたはいいが、魔法の解き方が分からずあたりが洪水になってしまう。せっぱつまって斧でホウキを叩き割ったところ、その破片が無数のホウキになって数百倍の勢いで水汲みを始めるという、あの場面だ。

お気の毒さま・・・

http://www.youtube.com/watch?v=av7AfVOLPf0

 

カマキリたちの一部はベランダのプランターへ逃走し、残りは近所の緑道脇へ放してやった。

成長したカマキリは大した捕食者であること、周知の通り。あの前脚でガッキと蝉を横抱きにし、すさまじい声で鳴くのも構わずかぶりつく様などは圧巻だが、これだけの卵を一度に産むという事実は、その大多数が親になるまで生き延びられないことを意味する。

マメの双葉よりも細く柔らかい、猛き親の似姿たちよ!


技術と人間

2013-05-14 07:55:11 | 日記

朝、コメント2件に感謝。

 

新聞は経済面に目を引く記事が複数あり。

 

一つ、

手振りや声で機械を動かすゲーム向け技術の応用が進んでいる。

手術中に画像やカルテを呼び出す、車のドアを開閉する、家電や風呂を操作する・・・

なるほど、いくらでも応用できる。

 

2012年の春に卒業した放送大学の修論の中にも、Wii Fit を使って重心バランスを解析し、リハビリに役立てようと考えたものがあった。

 

二つ、

ソニーが「A4サイズの電子ペーパー」を開発したと。

早稲田・立命館・法政の三大学で秋から実験的に導入するとある。

紙媒体を大幅に減らせる画期的な技術らしいが、こちらの理解がもうひとつついていかない。きっと便利なんだろう。

 

三つ、

製紙会社が徳島に四国最大規模のメガソーラー(大型太陽光発電所)をつくるという。5000世帯分をまかなえるものだそうだ。

この会社は各地の敷地内に総計で原発2基分に相当する発電設備をもっており、今後は自然エネルギーの発電も強化するという。地熱発電は考えているかな。

そういえば、昨日の朝刊一面は「もんじゅ、停止命令へ」だった。

資源エネルギー問題も、「民」だのみということか。

 

本当に技術は日進月歩・分進秒歩、それを使う人間のありようは万古不易・千年一日、自分の口癖を自分の耳が聞き飽きてしまった。

 

同じ一面に、維新の会の橋下氏が沖縄の米軍司令官に「もっと風俗を活用するよう進言した」とある。

司令官の方は「凍り付いたように苦笑」して話題を変えたと。

この件、悪い冗談で厳しいツッコミを入れたのかと一瞬思い、それなら案外いけてるかもと感じたが、どうやら冗談ではないらしい。

「慰安婦制度が必要なのは誰だってわかる」と、直後に本気でぶったそうだから。

 

誰だってわかりますか・・・・・

39面の上野千鶴子のコメントに、珍しくも強く共感する。

 

言われた米軍司令官のほうは、意外に寝覚めが悪いかも知れない。

politically correct に驚くほどこだわるのが米国人、そうと知ってツッコンだのなら悪趣味も立派な武器になる。

「そこまで言われた」と司令官氏が少しヘコんで、周りに愚痴でも言ってくれれば、橋下発言望外の効用と思ったのだが、

 

そうはなりそうもない。

高くつきそうだ。

 

「国民不栄誉賞」有力対抗馬かな。

 


沓はけわが背

2013-05-13 22:04:10 | 日記

小豆島のMさんが、コメントをメールでくださると書いたが、これには事情があった。

このブログにコメントを書く時には、画面に出ている4ケタの数字を見たとおり入力せねばならない。

「自動化されたプログラムによる投稿でないことを確認する」ためだというが、これは目の見えない人にはもちろんできない作業なのである。これを書いている最中に、勝沼さんが詳しい解説を送ってくれた。以下に貼り付ける。

 

*****

 

コメントを書く時の四桁の数字はCAPTCHA と 言って、プログラムなどによる自動投稿と人間の投稿を区別する為のものです。コンピューターが判別できないが人間なら読める字の画像を書いてもらうことに よって、コンピューターではなく人間であることを証明するシステムです。なので、字を認識して音声に変換するようなソフトではこのパスワードを読み上げる ことは基本的にはできません。

 gooのブログを使ってないので確実なことは言えませんが、どうもブログの設定でコメントを書く時にCAPTCHA を出さない様にすることはできなさそうです。ブログの設定のコメントの所を見てみてください。
 もし目の不自由な方がコメントを投稿する場合は誰かにCAPTCHA を入力してもらうか、メールで投稿文を送って他の誰かに投稿してもらうかしかないかもしれません。
 
 私は今までこのCAPTCHA を人間とコンピューターを区別するものという認識に何ら疑問を持っていませんでした。石丸先生からのメールを見て思慮の甘さを反省しました。CAPTCHA は視覚障害のある人にとってはとても不便で不評を買っています。最近は音声で字の画像を読み上げてくれるCAPTCHAもありますが、gooのブログのはこの機能はありません。

 ところで、最近のCAPTCHAは二つの単語からなるものが主流なのですが、実はこの二つの単語のCAPTCHA には大きな意味があります。二単語のCAPTCHAは片方はコンピューターが読める字、もう片方はコンピューターが読めない字になっています。二つの単語を書いてもらうことによって、コンピューターは一つ目のCAPTCHA でその人が正しく字を読めることを確かめ、 そして二つ目のCAPTCHAでコンピューターが読めない字の答えを字が読める人間に教えてもらっているのです。世界中の人によって書かれたCAPTCHA のデータはどんどん蓄積され、そのデータはコンピューターが画像として書かれた字を識別する能力を上げるのに役立てられているそうです。

 視覚障害者にとって不利益なCAPTCHAですが、最近のCAPTCHAは視覚障害者がコンピューターをより使いやすくする為の手助けを世界中の人がする場になっているのです。

 

*****

なるほどなあ・・・

勝沼さんの提案にもあるとおり、Mさんからのコメントはこちらで入力することにしてみよう。

そのMさん、今日の小豆島はたいへん暑かったそうで、Yahooによれば29℃まで上がったと。
土庄港から最寄りまでのバスが2時間近くなかったので、歩いて帰ろうとしたところ、途中で知り合いが車に乗せてくれたそうな。
田舎と笑うなかれ、僕の郷里なんか以前は一日一本だけのバスがあったが、ついに廃線になってしまった。皆が乗用車を持つようになったのも一因だけれど、これをもって豊かになったと言えるかどうか。


土庄港からMさんのおうちまで徒歩で1時間20分ほど、あまり暑いときはMさんよりもパンディが問題だという。アスファルトが焼けるからである。

犬にとって足の裏は大事な急所、それでどうしても歩かねばならないときは、パンディに靴を履かせるのだそうな。東京目黒の遊歩道で、愛玩犬たちがチャンチャンコの柄を競っているのとは、ちょっと事情が違うね。

明日は東京が28℃の予報。西の陽気がこちらへ動いてくるのだろう。
気になっていた患者さん、今日のうちに入院できて良かった。

信濃道(しなのじ)は 今の墾(は)り道 刈りばねに 足ふましなむ 沓(くつ)はけわが背
万葉集 巻十四 ー 三三九九
 
 


 


日曜日の晩

2013-05-12 21:54:53 | 日記

小豆島のMさんは、その後ずっとブログを見てくださっていて、コメント欄ではなくメールでよくレスポンスをくださる。

 

今日は学生時代のこと。

 

「香川の盲学校の正門の前で豚を買っていたのです。高等学部の主事だった先生が豚を除けてもらうようにお願いしたのですが、「おまえの学校が後からたったんやからおまえがのけ」と言われて主事先生もそれには何も言えなかったそうです。」

 

「百姓は何百年もここにいたのだ」にこと寄せての思い出話だ。

豚は、臭いが問題だったのかな。

確かに臭うのだけれど、あれは豚の屎尿が臭うので、豚という動物自体はとてもきれい好きなんだそうですね。人間も、動物自体はきれい好き(でもない者もある)だけど、屎尿は臭うから同じだな。

 

(ちなみにほ乳類はは虫類より高等とされているが、アンモニアを尿酸ではなく尿素の形で排出する点は両生類段階で、鳥類やは虫類よりも不都合が多いのである。)

 

僕の気に入りのジョギングコース、鶴見川沿いにも養豚場がある。風向きによっては300mぐらい手前の住宅街まで臭うけれど、平和共存しているみたいだ。

夏場には囲いのベニヤを取り外し、中が見える。西陽があたるとピンクに輝いて綺麗で好ましい。

 

星野富弘さんの詩にあったなぁ、

「おい子豚よ、そんなに美味しそうに食べるなよ、そんなに急いで大きくなるなよ」

豚を食べるの、やめようかな・・・

 

夕方からCMCCの理事会が渋谷であった。新装なった駅の出口にまだ慣れず、反対側へ出てしまって5分ほど遅れた。

H先生に放送大学ラジオ教材への出演を依頼して、快諾をいただく。

F牧師は6月にまたタイへツアーに出かけるとのこと。強迫性障害などの当事者さんや教会関係者を連れ、癒やしの物見遊山である。また象に乗るのだそうだ。

「賢い動物なんでしょうね。」

「賢いです。そして、体重が重いだけに、一歩一歩考えて歩きます。」

 

なるほど、そうか。

僕がしょっちゅう転ぶのは、心の体重が重いくせに、考えもなくむやみに踏み出すからだな。

 

FYさんに締め切りを確認し、手帳を見て飛びあがった。

パンフレット一冊分の原稿を一週間で書かなければならない。

こりゃ大変だ!

 

 

 

 


日曜日の朝

2013-05-11 23:54:23 | 日記

母の日の朝、でもある。

礼拝前に一筆。

 

勝沼さんのコメントを再掲する。

 

 ガルシア・マルケスのは「幸福な無名時代」です。ちょうど一年前の昨年の五月に、石丸先生がメールの月始の挨拶で紹介してくれました。
 何という偶然か。実は私が初めて見た「現代に秘境がなくなった」と嘆く人物はジャイアンとスネ夫でした。30年前の映画「ドラえもん のび太の大魔境」は、スネ夫が秘境がなくなった現代に生まれた不運を訴え、ジャイアンがまだ見ぬ秘境を見つけて連れていけと(まさにジャイアン!)ドラえもんに迫るところからスタートします。
 「タイタンの妖女」は次々と秘境や真理が発見されると共にその意味や価値を失っていく物語だと思っています。
 これは私の空想ですが、おそらくいつの時代も人々は秘境がなくなったと言っていたのではないでしょうか。秘境はある、行けると信じた馬鹿者が道を切り開いたことによって、秘境は発見されると共に秘境としての価値を失います。その繰り返しで常に現代は秘境がないと言われていたのではないでしょうか。
 確かに物理的な秘境は年々少なくなっているでしょう。都合よくまだ見ぬ秘境を見つけてくれるドラえもんもいません。でも個人的には、ガルシア・マルケスも私にとっては石丸先生というドラえもんが見つけてくれた未知の秘境であったわけです。
 秘境はあると信じる者にとってあるものではないでしょうか。

 

まずは脱帽し、素直に感謝する。

僕自身がしゃべり散らして忘れていたことを、こうして覚えていてくれたことに、

「偶然」の指摘に、

「秘境」に関する説示に、

 

いつもありがとう。

あらためて考えてみます。

 

*****

 

まったく話が飛ぶのだが、一昨日、大学の事務担当者からメール回覧があった。

文部科学省大臣官房総務課からの周知依頼で、その本文のタイトルは

「住宅地等における農薬使用について」

というのだ。

メール本文に、「一昨年11月の周知や、昨年の農薬危害防止運動では 官有地、独法等関係機関、学校、幼稚園、病院、運動場、寺社仏閣、美術館等 幅広い施設における農薬の使用について、適正な使用を啓発することが想定されておりました」との付記がある。

 

内容の見当はつく。

大方、これらの施設に付随する庭木や花壇の管理にあたって、むやみに農薬を使うなということだろう。

それ自体は当然でけっこうなことだが、ただ、ちょっと気になる連想があって。

 

僕の田舎の家の周りは、ずっと昔から農村地帯だった。

しかし近年、バイパスが整備されるにつれ、道向こうにちらほらと住宅が増え、最近はちょっとした団地もできている。

ここに住まう人々が、周囲の農家にしばしば文句を言うのである。

「農薬は健康に悪い」「肥料の臭いがする」「農機具の音がうるさい」等々

 

ごもっともと言いたいところだが、ちょっと待ってくれ。

百姓はもう何百年もここにいて、土を耕して生活してきたのだ。

そういう場所と知っていて後から移ってきたあなた方が、前から居た者に文句を言うのってどうなんでしょうね。

 

わが家は農家ではなく、父が道楽に園芸を楽しんでいるに過ぎない。

だから別段うちが困るわけではない。

父は年来の信念で頑固に無農薬を通しているし、そこにはもちろん主張もある。

農薬漬け、化学肥料漬けの農業が良いなどとは思わない。

それはそうだけれど、一部の「住民」が鬼の首でもとったように自分の都合を主張する様子を聞くと、いささか義憤を感ぜざるを得ないのだ。

 

とりあえず、「先住者の権利の尊重」というところから始めたのだが、話を大きくするならこれはけっこう象徴的なことで、日本の農業をどうしていくのかという大きな問題に、どうしたって行きあたる。

技術的にどうしていくのか、社会的位置づけとしてどうしていくのか、

さらに文化的にどうしていくのか、これが見落とされがちの大問題だ。

長い話を短くすれば、日本の風景から水田が消えたら、日本人は日本人でなくなると思うんだけどね。

 

そうか、TPPも内田樹の先日のオピニオンにひっかかってくるんだな。

「TPPに乗り遅れたら、日本は生き延びていけない」と煽って「グローバル化」のリスクとコストの受け入れを納得させる。

日本の農業の地位はいっそう危うくなり、アメリカひとり勝ち体制はしっかり固まっていく。

そこで生き延びる「日本人」って、いったい誰だ?

 

*****

 

昨日は碁を打って負けた。

勝ち負けは特に気にしない。

林海峰さんにして、「碁は勝つものではなく、負けていただくもの」だと言うんだからね。

 

問題は負け方である。

 

その一、左下隅で定石手順を間違えた。ただ間違えただけでなく、間違え方が以前からの自分の悪いクセを反映している。

その二、左辺で必要のないツギを打って後手を引いた。碁で最も戒めるべきことのひとつだ。

その三、右下で定石選択を誤った。前から打ってみたいと思っていた手に飛びついたのだが、全体の配石を考えればほとんど自爆行為だった。

その四、あろうことか、ノゾキに手を抜いて大事なところをぶっつり切られた。先のことに頭が行って、よく見ていなかったのだ。

 

あ~あ・・・

五段が聞いて呆れる、5級だってもっとしっかり打つ人は打つよ。

できるはずのことができず、わかっているはずのことが見えず、挙句にとんでもないポカをやらかして、

「これがおまえだよ」と直面化させられるていたらく。

 

もう、やめようかな・・・・・