散日拾遺

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奇妙な夏

2020-09-03 07:38:31 | 日記
2020年8月20日(木)
 奇妙な夏の終わりが近づいている。
 帰省を断念した初夏の連休にはサクランボがほとんど生らず、ビワも不作だったと父。ツバメは一昨年に続いてまた来たらず、柑橘類だけが変わりもなく青い実を営々と準備中である。
 それだけなら驚くほどでもないが、どうにも不気味なのはアシナガバチを見ないことである。皆無ではない、ぶらんと足を垂らして飛行する個体を二、三度は見かけたが、屋敷内でも畑回りでも巣に一つも出会わなかった。いつもなら、草刈りや剪定をはじめるが早いか、いきなり刺されるか刺されそうになるかで、そういえば田舎の庭にはこの生き物がいるのだったと苦笑させられる。そんな場面についぞ出会わなかったのが、およそ記憶にないことだった。
 個体を見かけたから、どこかに営巣してはいるのだろうが、こんなに目だたないことには何か理由がなくてはならない。その見当がつかないのが不気味だというのである。
 不思議がり、いくらか寂しがっていたら、それなら代わりにと一撃されたのが最終日の夕方。日が傾いてきてそろそろ引っ込むかと、最後にとんがり鍬の先でひっかいてみた。枯れ木にノウゼンカズラが取り付いた、その根本あたりの叢である。薄暗がりにブウンと機械が唸るような低い轟きがあり、黄色まじりのつぶての群れが宙に跳ね上がった。おっ、と構え直したところへ、いきなり脹ら脛に痛みを感じる。手で払ってもすぐには離れず、しっかり針を刺し込まれた。
 じたばたしながら頭の隅で考えたのは、「アシナガバチではない」ということである。蜂類の多くは憲法9条を奉ずる専守防衛の輩で、庭の真ん中ですれ違う分には何の危険もないが、巣に接近する相手には待ったなしのスクランブルをかける。ただし、アシナガバチの場合その限界はたかだか半径1mで、鍬の柄の長さを超えて攻撃してくることはあり得ない。容易に払えず、ズボンの生地越しに針を刺し込む身体能力も、より大型の証拠である。
 もう一つ、刺された瞬間の痛み方が違った。アシナガバチに刺されると、鋭い痛みに続いて一瞬、頭の中が白くなるような独特の違和感が起きる。ある種の離人感にも通じるようで、大発作直前の瞬間に無上の至福を重ねたドストエフスキーなら、深い意味を見出すであろう特有の苦痛である。痛いのは同じでも、今の痛みにはそれがないようなのだ。
 ともかくいったん逃げだし、態勢を整えて最接近。周囲の枝葉を慎重に取り除くと、こんなものがあらわれた。


 いつもは殺虫剤を使わず、巣を静かに枝から切り離すだけで済ませるところだが、今回は既につついて騒がせたから蜂も気が立っている。不本意ながら、一昨年キイロスズメバチの駆除に使った強力殺虫剤の残りを丁寧に使いきり、それから高枝バサミで巣を回収した。


 ネット検索によれば、どうやらコガタスズメバチの巣であるらしい。なかなかの工芸品で飾っておきたいぐらいだが、触れると案外脆くて念の入ったペーパーワークといったところ。翌朝、中から成虫が2匹這い出してきた。そのいでたちもネット情報に合致している。



 それにしても奇異なるこの夏一連の印象が、今年偶々のものか、後から振り返って結節点の意味をもつものか、この時点では何とも言えない。新型コロナ禍で列島全体が呼吸困難に陥り、東京五輪が延期され、自分は初めてコガタスズメバチに刺された、さしあたり2020はそういう夏として記録する。

Ω


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