2017年6月17日(土)
「靴でビール」の件を書いていて、ふと思い出したことがある。
「あたし、アイスクリームのとっても美味しい食べ方、知ってるんだ」と、少女A。手にしたアイスクリームの中に唾液を滴らせながら、スプーンで入念に混ぜ溶かしていく。それを見つめる少女B、逃げ出す自由はない。
どこで見かけのだったか、誰かの手で転載されたこの場面だけを知り原作は読んでいない。
さらに遡る幼年期、犬(たち)と飼い主の少年(たち)とを主人公にした物語で、飼い主がビスケットに唾を吐きかけ、それを犬に与える場面があった。飼い主のものであれば、犬は別段、唾液を嫌がらない。少年(たち)がことさらそのようにしたのは諍いの後の和解の場、互いに相手の飼い犬に唾液のついたビスケットを食べさせることによって、二度と敵対しないことを約束させたのである。
犬(たち)は逡巡の末、飼い主の叱責に押されてしょうことなくそれを食べた・・・ように記憶する。飲食物を嚥下することの象徴的な意味には、種を超えて犬に通じる超心理学的な(?)基礎がある。
映画『セデック・バレ』でも扱われた、1930(昭和5)年の霧社事件。事の起こりは台湾原住民の結婚の宴、通りかかった日本人巡査に若者が酒を勧めたところ、巡査が不潔を嫌って相手を殴ったのが始まりともいう。現地の酒は、人が口でかんで醸したものだった。不潔・野蛮に思われようが、炭水化物を唾液アミラーゼで分解するところに合理的な理由があり、実はつい最近まで日本を含む世界各地に行われたやり方である。今でもやっているところは当然あるだろう。
浄不浄の境はどこにあるか、イエスが喝破したとおり、人を汚すのは外から入ってくるものではないことを「噛みしめ」よう。ポイントは清潔・不潔よりも、むしろ「誰の」体液であるのかということであるらしい。またしても関係性?
結局そこか。
Ω
私は、子育て中、3人目ともなると、離乳食を作るのも省いて、自分の口で噛んであげていたのを思い出しました。虫歯菌やヘルペス菌が移るだの、批判されそうですね。でも、市販の離乳食より赤ちゃんは好んで食べてくれた様に感じました。