散日拾遺

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C'est la vie

2018-06-10 13:30:34 | 日記

2018年6月10日(日)

 C'est la vie

 昨夜、ちょうどこの辺りで  地上の座標に即して言えば ~ 凶行が起きた。その4時間ほど前に三男が通過し、今は自分が同じ径路を西行している。「西下」とは言わずにおこう。「日本一」よりも「大阪一」の方が義父にとっては格上だった。

 俳句をよくする人々は、こういう時にこそ吟じるのだろうか。先日Y先生から思いがけずお褒めをいただいた。「思いがけず」は半ば虚辞で、お人柄を考えれば必ず褒めてくださるものと分かっていたが、具体的なお言葉は思いがけないもので、日に一句といわず二十句を、とお勧めくださっている。

 Y先生の閾にあっては行住座臥、生活しながら句を生んでおられるのだろう。僕などは時々その気になったとしても、わざわざそのための時間と脳領域を動員して無理やりひねり出すのだから、句もものした日には余事は何もできないことになる。基本姿勢が違うから到底同日の談ではないと嘆息するけれど、もちろんY先生も初めから今のようではなかった理屈だ。

 訃報が入ってバランスを崩しかけた時、まずは一本電話をかけた。それから ~ 診療日だったので ~ 仕事に集中を心がけたが、未熟者でなかなかいつものようにいかない。いま聞いたはずの話がどこかへ逃げている。昼休みに関係筋にメールして週末の予定を調整した。次々と入ってくる返信がそれぞれの人柄をいみじくも表し、それを観察し値踏みしている自分がある。これまで逆の立場で値踏みされてきたことを思えば、冷や汗を禁じ得ない。

 こんな時Y先生なら作意を動員するまでもなく自ずと句が浮かぶのだろうか。それがこの時間を耐えやすくするということがあるのだろうか。こうして書き散らしている自分は、俳句という形でなくとも似たことをしている、のかもしれない。

 なぜか、還暦にあたって抱いた決意のようなものが再び浮かんできた。今後は気に入った相手と、飲みたい酒だけを飲もう。そう決めた昨晩、北海道から上京中の院生と初めて酌み交わした。いい酒だった。

***

 昨年お父上をみとったFさんが、僕の事情は知らぬまま語っている。Fさんは家族と住んでいるが、中でもいちばん心を許す相手は一羽のウサギである。その共感力の驚くべきことは、既に何度も聞いてきた。しかしウサギも歳をとり、その速度は人間よりずっと早い。外へ出たがらなくなり、何でもないところで転ぶようになり、うつらうつらする時間が日毎に長くなってきた。

 けれども、

「同じなんだ、って思うんです。いずれあちら側に移るとしても、もういくらかあちら側にいるんだとしても、変わらないんだって。それは父の時とも同じで、父は目には見えないけれど、やっぱりここにそれは父が亡くなる前から感じ始めたことで、それが間違っていなかったって思うんです。同じことを今また感じていて

***

  そういえば昨日は懐かしい言葉を久しぶりに聞いた。

「本人は、お薬をのむと太るからいやだって言うんだけど、あたしからすればのまない時の、ひどい荒れ方がこわくて仕方ない、百貫デブになったっていいから、お願いだからのんでちょうだいって、」

「百貫デブですか」

 思わず復唱したら当人が笑い出した。放送禁止用語であろうことは間違いないし、だいいち若い人は意味がわからないでしょうね、ヒャッカンてどう書くの、回転寿司を百巻食べて、それで太っちゃうってこと?等々。面接の場に笑いは必需品であり、それでこちらも慰められる。このあたりに句材はヤマほどあるのだろう。

 まもなく名古屋、降り支度のアジア系の若者たちが僕の知らない言葉をしゃべっていると思ったが、訊けば韓国からだという。アンニョンイカセヨ、新大阪止まりの車内はがらりと空いたけれど、句の浮かぶ気配はさらにない。

 

Ω

 


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