散日拾遺

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ささやかな註釈

2020-06-02 21:21:44 | 日記
2020年6月2日(火)
 1960年代より状況が厳しいかもしれない、というサラのコメントには驚いた。

 「アメリカからはいつになっても人種差別がなくならない」という非難はよく聞かれるが、それは少しも進歩がないという意味ではない。アメリカ滞在中の1994年だったと思うが、ナリ・ファーバーというユダヤ系の若い精神科医と学会で同宿したことがある。1960年代の生まれだろうか。
 おしゃべりなこの男が、
 「俺のオヤジの時代には、白人と黒人のカップルがデートなんかしようもんなら、一大スキャンダルだった。今じゃデートはおろか、結婚してるカップルも珍しくないし、俺の友だちにだっていくらもいるよ」
 自慢げに語ったのを思い出す。
 ナリは予言者気どりの警句屋で、ついでのことに
 「非白人の大統領が出るまでには、まだ時間がかかるな。女性大統領の方が先だよ、絶対」
 などと嘯いたものだ。
 彼の「絶対」の予想はそれから15年後、バラク・オバマ大統領の誕生によってあっけなく覆る。オバマは命を狙われることもなく、2期を立派に勤めおおせた。ナリの予想を超えた速さでアメリカ社会は変貌を遂げてきた。変わることを恐れないのがアメリカのアメリカたる所以であり、決して1960年代そのままの人種的偏見がアメリカ全土を覆っているわけではない。

 だからこそ痛ましいのである。
   "What do you want?"
   "I can't breathe!"
 夢に見そうだ。

 サラが "We have failed to provide for our poorest" と記していることに注意したい。白人警官の「殺人」そのものは人種的偏見の惨たらしい産物に違いないが、それがこれほどの憎悪と暴力を引き起こす背景には深刻な貧困問題がある。少なくともサラはそのように理解している。
 「警官が市民を膝で絞め殺して罪に問われないのなら、貧しい自分らが物を奪って何が悪い」と叫ぶ男の姿が海外ニュースに映し出された。そのような「理屈」が、たまりにたまった貧困層の不満に引火するきっかけを、制服を着たならず者たちが作ってしまったのである。他人事ではない。

 ジョージ・フロイド氏の令弟が1週間後に現場を訪れた。手向けの花束と悼む人々に囲まれて、彼が全米に向けて語ったこと。
 「皆さんも動揺しているでしょう、しかし私の半分も動揺してはいないはずです。私は深く動揺しています。けれども私は物を盗んだりしません。店を壊しもしません。あなた方は、いったい何をしているのか? 何をしているかわかっているのか? 平和的に行動してください、お願いですから・・・」

Ω

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