散日拾遺

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沖縄は台風一過/大宮工業の春

2014-07-10 22:08:33 | 日記
2014年7月10日(木)
 沖縄は豊見城付近が台風でたいへんな大水、心配になって宜保先生にメールしてみた。もちろん昨日の教授会は御欠席である。
 さっそくお返事あり。
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 最強の台風でしたが、被災者の少なかったことに、まず安堵しています。とはいえ土砂災害、冠水等は全域で頻発しました。
 教授会に出席できませんでしたので、近隣の農村・農地を見て廻りました。先日お話ししたように、私の専門でもあります。特産のマンゴーは出荷が始まったばかりで、十数億円の損害になるとか、大変です。
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 御無事の御様子、何よりです。
 そういえば、高知や熊本で早々に犠牲者が報ぜられたのに、沖縄からはそういう残念なニュースはありませんでしたね。人々が台風慣れしていることもあるのでしょうが、宜保先生のような方々が日頃から治水防災に心掛けていらっしゃる成果なのでしょう。
 マンゴーのことは残念です。農業は常に天災のリスクを負っていますね。
 私の患者さんの御家族は、埼玉で観葉植物などを大々的に栽培していましたが、この冬の記録的な積雪のために一個人で数千万円の被害を出しました。 土地の特産品などは当事者の自己責任では片づかない、社会全体で負うべきリスクだろうと思います。
 きっと沖縄にはそうしたシステムがあるのでしょう。

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「父は私が高校生の時に事故で亡くなりました。女手ひとつで私と弟を育ててくれた母も、2年前に他界しました。弟だけはと大学を出したんですが、母は苦労したと思います。もっとも、誰も彼も大学へ行く時代ではありませんでしたけれど。」
「わかります、私、同世代なんです。すると御自身が最後に出た学校はどちらでしょう?」
「大宮工業と言います」
「大宮工業・・・かつてセンバツで優勝しましたね、昭和42年頃ではなかったでしょうか、吉沢という投手が高熱を押して力投しました。」
「なんと先生、お詳しい、そうです、その大宮工業です。」

 ・・・何事も無駄にはならない。
 正しくは昭和43年、初出場の大宮工業は準々決勝で平安高を破る金星、続く準決勝は後にプロで250勝投手となる東尾がエースで四番の簑島高校、この時、風邪とひじの痛みを抑えるために飲んだ薬が合わなかったらしく、吉沢は40度近い高熱を出して前夜入院。病院から甲子園へ直行しての勝利だった。決勝では尾道商を破り、埼玉県勢初の日本一となる。
 夏は50回記念大会で特別参加の興南が4強に進んだ、その昭和43年春のことである。

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