2015年3月6日(金)
I さんとメール来信。
どうしようもない私が歩いている(山頭火『草木塔』より)
この強靱な矜持をみならいたいものだとおもいます。
ブログを更新できずにいる間、何が世の中で起きたかと考えて、印象に強いのはどうしたって川崎の中学生の件である。川崎市内の多摩川沿いは、膝を悪くするまで僕のいつものジョギングコースだった。
殺される危険を感じて訴えながら、なぜ自分から慕い寄っていったかって?
本気で訊く者はよほど幸せに生きてきたのに違いない。「攻撃者との同一化」は僕らの日常病理の中で、最もありふれたもののひとつである。それは社会というパンを成り立たせるグルテンの一種ですらある。もっとも、その呪縛を破るメカニズムもまた人には内在するはずで、そうした解毒機構がなぜこの少年に十分働かなかったかということなら、考える意味があるかもしれない。いろいろあるのだろうが。
彼は、隠岐から引っ越してきたばかりだったのだ。3年ごとに遠隔地へ転校しながら育った僕には、どうしたってそのことが気にかかる。
痛ましい事件には事欠かないけれど、これは本当にやりきれない。無明の闇という意味では、加害少年の側こそ闇の底が知れないことを含めて。
多忙の間の印象に刻まれたもう一つの事件は、沖縄の基地移転に反対した人々のうちの2人が、なぜか日本の官憲にではなく米軍に拘束されたというやつだ。
比喩ではなく、書いていて本当に吐き気がする。周到に隠してきた馬脚を、珍しくも表したものだ。
そして奇しくもここでまた登場する「攻撃者との同一化」、あらゆる代償を忍びつつ、戦勝者に卑屈に従属し続けた僕ら大人に、子どもの幼さを憐れむ資格はない。まず自分自身を憐れむのだね。
「だから今こそ自前の軍備で一人前の立国を」というのは、見当が180度違っている。アメリカの片棒担いで戦争できるよう改憲するなど、「攻撃者との同一化」病理の克服どころか増悪でしかない。まして、世界のアメリカ離れが進んでいるこの時に。
「与する側を間違える」のは、もうたくさんだというのだ。
どうしようもない私らが歩いている
負けてたまるか