散日拾遺

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一陽来復

2019-01-01 12:44:10 | 日記

2019年1月1日(火)

 好い天気、一陽来復と行きたい。

 年賀状が20枚ほど来た。喪中連絡をし損ねたところはさておき、確かに知らせたのに明るく「おめでとう」と挨拶されるのも、ややフクザツである。

 もっとも昨年は自分自身が大ポカをやった。お互いさまと呟きながら見ていくうちに、ふと気がついた。こちらからの発信内容に端から注意を払っていない残念な相手に混じって(来年からは切っちゃうぞ!)、思慮も分別もある親しい人々が、時に承知の上で「おめでとう」と書いてきている。

 それら肉筆のメッセージを読み返すにつれ、次第に悟るところがあった。喪中に賀を控えるという発想には、どこか死を汚れとする古習の匂いが漂っている。さにはあらず、心をこめて故人を天に送ったうえは、胸中に生きる面影とともに潔く天地の新生を寿ごうではないか、そんなふうに肩を叩かれているようである。とりわけ伊豫松山から武州東松山に移られたℕ先生御夫妻のメッセージ、これはたぶん、きっとそういうことなのだ。なるほど、そうかもしれない。

 明けまして、おめでとうございます。

***

 午後は支区の新年礼拝、目黒駅近くのG教会まで歩いてみる。靴を新調した次男氏はあっけなく靴ズレをつくり、帰途は一人で歩いたり走ったりした。往復ぴったり10km、1万3千歩。

 環七の外側に戻ったところで電線に鈴なりの鳥の群を見る。写真では左端が切れており、全体をざっと数えて150を下らない。

 その正体は・・・

 モズ・・・ではないかしらん。自信がないのだな、これが。

 https://blog.goo.ne.jp/ishimarium/e/babd70bb82911f77f4db76198eda4a3f

 https://blog.goo.ne.jp/ishimarium/e/6ef6c43c2fb9a94114a50d047a237d5d

 ↑ ちょうど一年前、松山の庭でお近づきになった丸っこくエネルギッシュな姿と同じものに見えるのだが、形態認知のセンスのなさは顕微鏡実習以来、繰り返し実証済みである。モズは冬の渡鳥、この時期に大集合しているのはいちおう理屈にはあっている。元旦にようこそ、はるばるどちらからお越しでしょう。

***

 『名もなき毒』入手。これって杉村三郎シリーズだったんですね。その大団円ともいえる『ペテロの葬列』を読んでしまっており、そこでつっかえた訳アリの人間関係から説き起こされるのが、ちょっと苦しいところ。

 そしていきなりの毒殺事件、仕掛けは青酸化合物ですか、一読してストリキニーネかと思った。こちらは「猫いらず」に用いられる興奮性の神経毒。グルタミン酸受容体のグリシン受容体を分析する際、末梢性のグリシン受容体と弁別するためにずいぶん使ったものである。青酸化合物の中毒症状がこんな風とは知らなかったが、そこは手練れの筆者のこと、考証に間違いはなかろう。「ちこ」さんとやりとりできるよう、下手人のパーソナリティ特徴に早く到達したいが、二月までは凄まじく忙しいのである。

 妙な夢を見た。ずっと以前の職場の教授秘書さんが、その後結婚したと噂に聞いた、ここまでは事実。その人が突如出現したのである。最後に会ってから20年ほども経っているが、夢の中とて加齢の痕跡なくいよいよ美しい。「お久しぶり、御家庭はいかが、皆さんお元気で?」と訊いたら、嫣然と微笑んだ。

 「わたし、実は結婚しなかったんです。だから」

 「だから?」

 「別の方法を考えます」

 別の方法・・・?

 巡らす瞳に妖気を察して飛び起きたのが、2019年の最初の明け方である。これは初夢ではないんですよね、元日から二日、もしくは二日から三日の夜に見る夢が初夢、そうですよね?新年礼拝の最中に、意味もなくあたりを見回したりしたのだった。

 Ω

 


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