2016年12月6日(火)
朝刊に原節子のエッセーが発見されたことが載っており、それを読んでいたら久々に始まった。視野の中心が何だか見にくい感じがし、やがてそこにキラキラしたものが浮かんでくる。三角形のモザイクを長くつなぎ合わせたような形で、銀色のモザイクのひとつひとつが6-7Hzぐらいで明滅しており、それが次第にはっきり大きくなってくる。いわゆる閃輝暗点である。
40歳を過ぎた頃だったか、初めてこれを経験した時は片眼を交互につぶるなどひとしきり実験した。明らかに中枢性のものと結論され、そのうちキリキリと強い頭痛が襲ってきた。ああこれが偏頭痛発作というものか、厄介なことになったかと思ったが、帰宅後にバッファリンを飲んでしばらく横になっていたら案外すんなりと痛みがおさまった。偏頭痛は血管拡張発作であるから通常の鎮痛薬は無効、血管収縮薬が必要としたものである。血管拡張によるホンモノの偏頭痛発作ではないのかな、偏頭痛発作にも亜型やら不全型やらがあるのかな、等々考えたものだ。
その後、閃輝暗点は年に何回か、前触れなく襲ってくるようになった。患者さんには「決まって発作が起きるような状況や背景はありませんか?」などとしたり顔に訊くところだけれど、時間帯・飲酒・疲労・心労など振り返ってみても全く思い当たるところがない。ただ面白いのは、閃輝暗点に気づいた段階でいち早く鎮痛薬をのむと頭痛が予防できることである。バッファリンでもロキソニンでも変わりなく、服用して15分から20分経つといつの間にか閃輝暗点が消えており、頭痛も起きてこない。これは生じた頭痛を抑えられる以上に面白いことで、薬理学的には説明できそうもないが、経験的には既に数十回試して一度の外れもない。いわゆるプラセボ効果かとも思うが、プラセボ効果かもしれないと承知でのんでもやっぱり効くのが愉快である。
というわけで、僕のお出かけ鞄には何錠かのロキソニンが必ず入っているのでした。あ、おさまった。
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「エッセーは省線電車(旧国鉄)でのエピソードを紹介。赤ん坊の激しい泣き声に「やかましいぞッ!」などの怒声が上がったが、突然「母親の身にもなってみよ。心で泣いてるぞ!」との声で静まりかえり、その声は「烈々たる気魄に充ちてゐた」という。」
「さらに、座席の若い女性が、乳児を抱いて立つ母親に「抱っこさせてください」と手をさしのべたが、ある紳士が「抱いてあげる親切があったら席を譲りたまへ」と怒鳴る光景に、原さんは「紳士は『善』を知ってゐると云へやう。けれども『善』を行へないたぐひであらう」と皮肉った。」
~ 原節子さんの秘めた思い (2016年12月6日、朝日新聞34面)
子どもの泣き声を聞いて怒るか微笑むかで、その人柄が鮮やかに知れる。翻って、子どもが泣くのを聞いて微笑むことが許されるかどうかは、その時代その地域の平和度の指標とも言える。エッセーが書かれたのは終戦翌年つまり1946(昭和21)年とある。電車内の赤ん坊連れは、直ちに引き揚げ者の苦難を連想させるだろう。敵に見つからぬよう赤ん坊を「黙らせる」ことを強いられた母親がどれだけいたことか。同時代の苦難への反応様式が鮮やかに分かれる場面に原さんは居合わせ、おそらくはそのことを鋭敏に意識している。
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