2016年4月3日(日)
やんちゃなS先生、やんちゃではないが素晴らしくエネルギーのあるT先生、年下の二人との歓談があんまり楽しくて少々過ごし、頭の中が美酒の芳香で朦朧たる朝、保護者科のお勤めである。
よく使うネタで、「子どもがちゃんと挨拶できるようにしたかったら、どうするのがいいか?」というのがある。
① 「ちゃんと挨拶するんですよ」とくりかえし言って聞かせる。
② 親自身が日頃から挨拶するよう心がける。
さあどちらでしょうか、二択でといえば、ほとんどの親は②をとる。理屈では分かっているが、実行するのが難しい。ここまでは陳腐な話だが・・・
「最悪なのは、挨拶するよう言って聞かせつつ、親自身はろくに挨拶しないというケースです。この場合こどもは何を学ぶかというと、『なるほど、言ってることとやってることが違っていてもいいわけね』と得心し、そのような親の言行不一致を真似することになるんですね~」
これは一ひねりかかってるでしょう。反省も後悔もたっぷりこもっている。
そんな話を仕込んでおいて、今日の車座言いっぱなしは「どんな子どもになってほしいか」というテーマにしてみた。これは僕がバカだったので、これ以上つまらないテーマはほとんど考えることができない。案の定、
「好きなことを見つけられるように」「自立したおとなに」「思いやりのある子に」「社会貢献できる人に」「正直者に」・・・
それはそうなるに決まっている。どれも素敵だし本心だろうけれど、ほとんど意味がない。「皆さん、ちょっと「ぶって」ません?」と言ったら、隣に座っていたKさんが「大いにそうだと思います」と憮然たる表情でおっしゃった。ごめんなさい、これは私が失敗したんです。やっぱりアタマ働いてないですね。
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夕方、先日の「朗報」に対してT君よりレスあり。
「朗報、感謝です。サイト、見つけました。
http://ainucorpus.ninjal.ac.jp/
ロシア人の日本語研究者がリーダー格のようで嬉しいですね。相撲もアイヌ文化研究も支えているのは日本人だけじゃないというのがもっと普通になれば日本の状況は変わるかも。」
ほんとだね、だけど早速聞いた第一話、『パナンペ、鬼の手から逃れる』ってのは、通俗常識からすると相当ひどい話だね。それで「アイヌ民話は没義道で残酷」などとならないよう願いたい。グリムだって、日本のだって、民話とか昔話ってのはそもそも日常の裏側にするりと入り込む超常のワザなのだ。残酷や不条理はその必然的な副産物、ディズニーとは違うんだからね。
後で全部、聞いてみよう。
Ω