散日拾遺

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土曜日③ ~ 実はてんこ盛りだった一日

2015-06-03 21:53:56 | 日記

2015年5月30日(土)

 

 暑さと心理的視野狭窄のため、その時は気づいていなかったが、結構いろんなことがこの一日に起きている。

 

 午前中に "Paradigms Lost" の訳本が届いた。怖くてページが開けない。

 こんなにも早く、しかしそうか、来週の精神神経学会に間に合わせるため、無理を押して作業を進めてきたんだもんな。

 僕はほとんど何もしていない。同労者たちの尽力の賜物である。だからこそ、これが少しでも何かの足しになることを切に祈る。

 

 やはり午前中、田舎から荷物が届いた。一便一便に超高齢の両親の祈りがこもっている。僕らの生を支えるのは、誰かの祈りを置いて他にない。祈られずに生き続けられるものはいない。祈りを必要としないものはいない。祈らずに生きられるものはいない。

 生きるとは祈ることである。それに気づいていないだけだ。

 

 これまた午前中、碁楽会のFさんから電話、6月14日は大会なので是非、と。

 不思議なんだな、これが。僕は碁が好きだが、そんなに強いわけでもなし、僕一人行かなくても彼は少しも困らない。それがこれでもう両三度、何かしら口実を見つけては誘ってくれる。

 これ既にひとつの伝道だ。この人は棋道に魅入られており、脈のある者を一人たりとも漏らしたくないのである。

 「明日は行けると思います」とは、リップサービスではなく、手帳を見ながら考えていたことだった。対局したい、特に、上手い人に教えてもらいたい。

 

 その同じ夕方、通夜に向け更衣のためいったん帰宅の際、石倉先生から封書が届いていた。何事かと思えば、何事でもない。それが驚きである。

 順を追って言うと、年賀状を下さって「近々NHK杯の解説をするのでぜひ御覧いただきたい」と御案内あり。その後3月末までに2回の御登壇あり、お礼と感想をハガキで書き送ったのに対して返事を下さったのだ。

 これはしかし、何でもないことではない。彼はこの領域では超売れっ子で、多数の連載記事に金曜・土曜の講座の主宰、東大の講師まで勤めていて時間は何より貴重なはずである。便箋2枚にわたり、簡潔ながら温かみある文面を追って、あらためて敬服した。

 明日は、碁楽会に行ってみようかな、やっぱり。

 

 ところで、僕はこれまで経験のない変調をきたしている。この寝坊助が、なぜか眠れない、寝つけないのである。

 原因の一半はわかっているが、だからといって眠れない理由はやはりわからない。

 なぜだ、どうした?

 

 


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