散日拾遺

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1月3日 ジョン万次郎

2024-01-04 07:38:44 | 日記
 晴山陽一『新版 365日物語 上巻: すべての日に歴史あり . Kindle 版』

1月3日 ジョン万次郎が日本に帰るため琉球に上陸する

> 一八五一年(嘉永四年)一月三日、ジョン万次郎は日本に帰国するため、琉球に上陸した。万次郎は十年前、仲間四人とスズキ漁に出て嵐で漂流し、半年間無人島で生き延びた。彼らを救助したのはアメリカの捕鯨船で、以後万次郎はアメリカを拠点として暮らすことになる。漂流した時、万次郎はまだ十四歳の少年だった。
> 捕鯨船の船長ホイットフィールドは機敏で才気のある万次郎をことのほか気に入り、「ジョン・マン」という名を与えてアメリカ本国まで連れ帰った。万次郎は家族として教育を受け、アメリカ社会で生活できる人間に育てられた。
 
 歴史の絶妙なアヤは、万次郎の帰国がペリー来航の直前だったことである。鎖国下では罪人に等しい扱いの「帰国者」が、一転、通訳として重用されることになる。苗字を許された中濱萬次郎、後年咸臨丸の一行に加わって渡米し、恩人ホイットフィールド船長との再会を果たした。
 万次郎の辞書には、たとえば water を「ワタ」と記すなど、理屈にとらわれない実践的な工夫が見られて面白い。
 
 だいぶ前になるが、井伏鱒二の『ジョン万次郎漂流記』をたまたま読むことがあり、その痛快な筆致に魅了されて井伏文学への傾倒を深めた。この作品が昭和13(1938)年に第6回直木賞を受賞したことや、それがきっかけで「ジョン万次郎」の呼び名が世に拡がったことなど、すべて後から知った。
 文政10(1827)年生〜明治31(1898)年没。明治3(1870)年頃に軽い脳卒中を患ってからは、社会活動からやや距離を置いて30年近くを過ごしたようである。井伏の上記作品は、この時期のジョン万について「志を養って」暮らしたとさらりと記す。
 「志を養う」という奥深くも力強い表現を、僕はここで学んだ。

 明治13(1880)年頃の写真
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E4%B8%87%E6%AC%A1%E9%83%8E

 「明治五年、再び病を発し、以来幽居してもっぱらその志を養った。ただ一つ思い出すに胸の高鳴る願望は、捕鯨船を仕立て遠洋に乗り出して鯨を追いまわすことであった。それは万次郎の見果てぬ夢であった。」
井伏鱒二『ジョン万次郎漂流記』角川文庫版、P.85

 井伏鱒二の不思議なところは、誰でも書けそうな平易な書き方でありながら、真似しようとしても決してまねできないことである。分かりやすく、美しくてカッコよい。これが昭和10年代、つまり90年近く前に書かれたものである。

Ω

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