散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

キジを見る幸

2021-03-21 17:35:30 | 日記
2021年3月21日(日)
 カワセミは宝石のように美しい。田舎の家のすぐ南側を河野川(二級河川)が流れており、運がいいと川沿いにカワセミが飛ぶのを見ることができる。この春の幸運はカワセミではなく、キジを見かけたことであった。
 少し前に父から予告があり、わが家の敷地内も台所の端からわずかに4m、サルスベリの脇の草むらを悠然と闊歩していたという。話だけで十分、そう易々と実見できるものではあるまいと期待もしていなかったが、二日目に南の方角をぼんやり眺めていたら、隣家の軒の上をゆったり歩む大きな鳥が目に入った。
 一階の屋根の上、低い二階の軒下が壁沿いに日陰を作っている部分をついついと歩んでいく。歩みにあわせて首が前後に動くのは鳩と変わらないが、その動きが大きさに応じて鷹揚である。遠目ながら動く頭の赤をはじめ、青や緑や紫が茶褐色に混じってとりどり控えめに輝いている。
 長い尾がすばらしく形良い。ヤマドリもまた人麻呂の歌にある通り、長い尾と似た姿をもっているが、キジの特徴は雄の色彩と雌の尾の長さであるという。いま見えているそれは雄ということか。

 キジが日本の国鳥と定められた由来などはつゆ知らないが、おおかた日本の国土に広く分布し、逆にまたわが国土に比較的固有であり、人々によく親しまれていることなどが考慮されたことだろう。ユーラシア大陸に分布するコウライキジとの関係については議論があるらしい。
 「キジ撃ち」という山男の隠語があるぐらいだから、そもそも山に住むものだろう。廃村の脅威にさらされつつあるとはいえ、人里にこれほど接近するとは思わなかった。隣家はずいぶん前に先代が亡くなり、市内に住む跡継ぎさんが土日に戻ってきて、草を刈ったり蜜柑の手入れをしたりしている。今日はその家に人気のないのを承知の出張であろうが、山側から寄りつくためには、わが家を含め二、三軒の敷地を通らなければならない。狎れたものである。人間世界とのこの距離の近さが、イヌ・サルと並んで桃太郎の眷属に選ばれた理由であろう。
 翌日も隣家の同じ屋根の一隅に同じ姿を認めたが、あいにくカメラは持たずE君のように証拠写真を挙げることができない。キジの姿は Wiki に譲り、代わりにこの一週間の庭の花々をいくつか紹介しておく。
wikipedia より拝借

ユキヤナギ(左下の赤丸がキジのいた隣家の屋根)

   水仙と黄水仙
 

ムスカリ

一面のツルニチニチソウ 
斑入りの葉には花が付きにくいとあるが、どうして十分に。

 クリスマスローズ


スノーフレークことオオマツユキソウ
スズランスイセンの別名は「いみじくも」といったところ

 そしてもちろん春の庭にはこれが欠かせない。甘い香りでむせ返るようである。足下にはツクシ、みっちり太った一本を手に取った途端、小さな窓が一斉に開いて胞子の煙を吐き出した。これはなかなか写真には撮れない。



Ω



3月20日、今日は何の日?

2021-03-21 11:51:53 | 日記
 朝のラジオ放送での聞き込みに、補足を付けてたどる3月20日。

◆ 1882(明治15)年3月20日、東京都恩賜上野動物園開園。当初は農商務省博物局の博物館の付属施設として創立。1886年3月25日宮内省に移管、1924(大正13)年東京市に下賜された。当初は牛、馬、山羊など珍しくもない動物が飼育されたという。
 
◆ 1960(昭和35)年3月20日、大相撲三月場所千秋楽で栃錦と若乃花の両横綱がともに全勝で対戦、大一番を若乃花が制して8度目の優勝を初の全勝で飾った。栃錦は続く夏場所の初日・二日目と連敗するや、潔く引退を決意する。栃若時代から柏鵬時代へ、これが高度成長の開始と同期することがしばしば話題にされてきた。

◆ 1995(平成7)年3月20日、地下鉄サリン事件。補足無用。

◆ 2003(平成15)年3月20日、イラク戦争(第二次湾岸戦争)開始。幻の「大量破壊兵器」等を口実としてブッシュ(子)政権が侵攻を強行したもので、フランス・ドイツ・中国・ロシアが強く反対する一方、日本は国連非常任理事国間でアメリカ支持のとりまとめを画策し失敗に終わっている。

***

 2021年3月20日は遷延するコロナ禍のただ中にある。誕生日を同じくするE君が長らくの海外滞在から数日前に帰国した。三日間はホテル隔離で御令閨とも別室の生活、食事はお弁当がドアに吊されるのを、館内放送を合図にマスクをかけドアを開けて取り込むのだそうだ。その間5秒。
 四日目からは近傍の別宿に移って自主的な引きこもり生活、人の少ない方角への散歩は自らに許しているらしく、その途上でカワセミを見かけたという。紛れもなく吉兆だが、言われなければどこにいるのか写真ではわからない。
 テロも戦争もなく、動物園の動物が飢えることも射殺されることもなく、質の変じたりとはいえ力士らの熱戦を楽しむことのできる今年この日を幸せと観じる想像力が、いま最もなくてはならないものである。

不忍池にてE君撮影、許可を得て転載

Ω