2020年1月17日(金)
朝の最寄り駅ホームが常ならぬ混雑。埼玉あたりで明け方に保安点検を行い、4時間後の今まで遅れや運休が生じているという。例の「過剰な非分節化」の悪影響だが、そんなこと言っても当座の役に立たない。頭の中の路線図を頼りに別経路を辿り、少し大回りして新宿に着いた。これで大丈夫かと思ったら、今度は中央線が妙にノロノロ運転してる。高尾・相模湖間で電車がイノシシと衝突したのだという。
もとより患者さんを待たせるのは御法度だが、それより厄介なのがクリニックのルールで、出退勤は指(ゆび)認証でピピッと管理、わずかでも遅刻すると始末書を出さねばならない。これには決まった書式があって、その末尾に「今後、かかることのないよう注意いたします」という文言が予め印刷されている。冗談じゃない、そんなものに判が押せるか。この部分には引き出し線を引き、「電車遅延等の不可抗力に関して、かかる約束は致しかねます」と付記することにしているが、こんな面倒をできるだけ避けたいのである。幸い1分と5秒前にピピッをクリアした。
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白衣に着替えながら二つのことを思う。
一つ、なぜ万事がこんなにもせちがらいのか?自分の職場だけではない、世の中全体のことである。働き方改革の名で断行すべきことがあるとしたら、抜け穴だらけで実効性のない就労時間の形式的制限ではなく、この種の愚かしい強迫性の解消ではあるまいか。
二つ、イノシシが可哀想である。猪突一撃は勇ましいが、相手が電車ではよも無事では済むまい。このところクマやイノシシの人里への出没が頻々と報ぜられるが、背景に里山の荒廃があるという。手入れの行き届いた里山は人の気配を感じさせ、野生動物を遠ざける役割を果たしている。里山が荒れればその分だけ野生動物らの活動域が居住地に近づくことになる。
一昨夏、郷里の家の裏山にある墓所の一隅がイノシシに手ひどく掘り返されたのも同種の現象に違いない。高齢化と後継者不在でミカン栽培を放棄する家が増え、これまで墓所を囲んでいたミカン山が急速に荒れてきた。その現れであろう。
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この件を家族LINEで送ったら、神戸の大学時代に六甲のイノシシやウリ坊を見慣れている長男が、そそっかしい返信をよこした。
曰く、人間にとっての「開発」が進むにつれ、野生動物にとってはさぞかし住みにくい世界となっているのだろう、『平成狸合戦』を思い出した云々。
里山は人間による自然の管理加工だから、系列としては「開発」の一端とも言える。昨今のイノシシ問題は乱開発の結果ではなく、逆に開発を放棄したことに依るのだから、『平成狸合戦』とは話が違うよ
・・・と書きかけて、思い直した。
「開発」は直線的な進行過程であり、「里山の管理」は定常状態の維持を意味するから、互いにまったく別のことであろう。というか、ある意味で逆のことではないか。「(乱)開発」は人間の都合による直線的な進行と退却、対する「里山」は無思慮な進行/退却に対するアンチテーゼとしての平衡状態。だとするなら、「商品栽培としてのミカン山の放棄」は「開発」の裏現象であって、そう考えれば長男のコメントはそのままで良いのである。
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白衣を着て対する相手は、何らかの意味で平衡を失った人々である。心の里山を回復すべく、ここへ足を運んでくる。自然のありようと人の心は、いつでもどこでも連動している。
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