2018年6月11日(月)
ブログに寄せられるコメントを、最初は自動的に公開される設定にしていたが途中から要許可に変えた。悪意ある/非建設的なもの ~ 滅多にないとはいえ ~ を弾くのが目的だったが、コメントの送り手があからさまな公開を望まない場合などにも有用である。こちらがそう思い込んでいるだけかもしれないが。
本日の送り手さんは、祝福の在り処を天に委ね「人間同士の裁き合いに心乱れる小さな自分を脱する」ことを願っている。「天爵」という言葉を連想した。願いが叶うことを切に祈る。真剣に願う価値のある、数少ない願いの一つである。
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ニライカナイは東方の海上にある楽園で、沖縄の人々の魂はここで誕生しここに帰る。それを七回繰り返すと親族の守護神に昇格するが、それもニライカナイで起きることである。
いわゆる「他界」の典型と見えるが、ある人によればむしろ「異界」だそうだ。両者の異同は微妙で興味深い。他界でもあり異界でもあると言えば言い抜けられそうでも、「それって要するに異界でしょ」とも言われそうで。いずれにもせよこの海は、原初の想像力に似つかわしい美しさと大きさに満ちていた。現実にその海からやってきて居座ったのは、こともあろうに米軍だったが。それでも1977年には、あたかも沖縄全体がひとつの異界のように思われた。今は完全に「こちら側」である。
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1994年から1997年にかけての留学先の研究室に、ジョアン・ラブリュエール(Joann Labruyere)という女性がいた。有能・慧眼の技官としてジョン・オルニー(John Olney)の研究室を支え、私生活ではいかにもポーランド系らしい敬虔素朴なカトリックの信徒だった。Labruyere という姓はフランス系の御主人のもので、推測通り彼もまたカトリックだと後に知った。
ジョアンのお母さんは認知症に陥って施設に入っており、糖尿病を併発して体の具合も良くなかった。ある日、仕事中に電話がかかり、ジョアンが珍しく血相変えて出て行った。それが確か金曜日のことである。週明けの研究室に彼女の姿があり、いつも通り穏やかな様子だったので、てっきり持ち直したものと安堵した。「お母さんはどう?」と声をかけたら、静かな声で返事があった。
"She passed away."
表情には微笑さえ浮かんでおり、てっきり自分の耳が間違えているのだと思った。やがて澄んだ緑の瞳のまわりが微かに赤らみ、間違いではないと知った。
"Thank you for asking, Masahiko, she is now in the better place."
better place という言葉をその後も何度か聞くことになる、たぶんこれが初めだったと思う。
"Gone from the earth to the better land I know,"
中学時代に音楽の授業で教わった "Old Black Joe" の一節である。ジョアンも親戚や友達から「ジョウ」と呼ばれていた。そのジョアンが、ずっと年長のオルニーに続いて2016年に他界したこと、想像だにしなかった。ジョアンの訃報は所属教会の関係でネットに公告されている。お母さんと同じ better place に移されたのだ。オルニーは僕の問に対して無神論者だと答えた。葬儀はどのようにしたのだろうか。
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俳句には観察(力)が必須であるということ、理論化と宣布は子規に待つとしても、そもそもの本質にあるのだろう。観察自我の働きといってもよく、脳トレに格好なのに違いない。
それで思い出したのが、やはりセントルイスでのこと。渡航直後のある日、Mac のノーパソ上で日本語文を打っていたら、目ざとく見つけて騒ぎ出したのがマイクル・セズマである。このやんちゃな男は母親が日本人で日本に住んだことがあると称し、「弁当」とか「便所」とかときどき単語だけ口にした。だから猶更かもしれないが、1994年当時 Mac のOSの日本語版(非欧米語版?)が米国人によほど珍しかった証明ではあろう。
ともかく騒ぎの好きなマイクがいつもの倍ぐらい大騒ぎして、向かいの部屋のマデロン・プライス(Madelon Price)をわざわざ呼んできた。こちらは、目から鼻に高速道路が通っているようなユダヤ系女性教授だが、声の大きさはマイクに負けない。駆け込んでくるなり画面の日本語を見て、人の頭上で節をつけて叫んだ・・・
"Oh, I am so impressed!"
この言葉の不思議にこちらの頭がフリーズした。
和訳するなら「あれまあ、何て面白いこと!」とでもなるのだろうが、英語のそれは"Oh"を取り除けば、「私は強い印象を受けている」という観察文でもある。それが驚きだったのである。すべての場合に当てはまるかどうかはさておき、英語は主観的な感動を表す場合にも観察が並起する。対する日本語は「まあ、きれい!」式の即自的な没入が本線であろう。ここを起点に何か言えたりしないだろうか。
結局何の展開も起きはしなかったが、この時の不思議の感覚がマデロンのよく通る声とともに、今日までずっと記憶に残っている。即自的な感嘆を身上とする日本語が、俳句において透徹した観察を求める面白さを、今は思う。
マデロンは健在らしい。
Ω