散日拾遺

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たまには本のことも ① ~ 『翻訳できない世界のことば』

2016-06-27 17:58:43 | 日記

2016年6月27日(月)

 たまには本のことも書かないと、こいつは全然読んでないんじゃないかと思われそうなので。

 もうだいぶ前になるが、教会のS姉が素敵な陣中見舞いをくださった。『翻訳できない世界のことば』と題された絵本である。世界のさまざまな言語の中から、103の「翻訳不能語」が紹介されている。あらゆる単語が厳密な意味では翻訳不能とする論もあるだろうから、これは中でもとりわけ翻訳が難しいもの、あるいは翻訳の難しさに面白みのあるもののリストである。

 取り上げられている言語はおおむね五十音順に、アイスランド語、アラビア語、イタリア語、イディッシュ語、イヌイット語、インドネシア語、ウェールズ語、ウルドゥー語、オランダ語、韓国語、ギリシャ語、ゲール語、サンスクリット語、スウェーデン語、スペイン語、カリブ・スペイン語、ズールー語、タガログ語、トゥル語、日本語、ドイツ語、ノルウェー語、ハワイ語、ハンガリー語、ヒンディー語、フィンランド語、フランス語、ペルシア語、ポルトガル語、ブラジル・ポルトガル語、マレー語、ヤガン語、ロシア語、ワギマン語、計34にのぼる。

 メジャーなところでは英語と中国語がないね。インドネシア語とマレー語は事実上同じと思っていたが、前者から「ジャユス(逆に笑うしかないくらい、実は笑えないひどいジョーク)」、後者から「ピザンザプラ(バナナを食べるときの所要時間)」が選ばれている。トゥル語、ヤガン語、ワギマン語の三つは寡聞にして初耳である。トゥル語はドラヴィダ語族の一つ、ヤガン語はチリの一部で使われる先住民の言葉、ワギマン語はオーストラリア先住民の言語の一つだそうだ。

 で、日本語からは4つもの言葉が紹介されている。4つとも言い当てるのは不可能というものだ。順に解説の方を先に書いておこう。

「木々の葉のすきまから射す日の光」「なにも特別なことを考えず、ぼんやりと遠くを見ているときの気持ち」「生と死の自然のサイクルを受け入れ、不完全さの中にある美を見いだすこと」「買ってきた本をほかのまだ読んでいない本といっしょに、読まずに積んでおくこと」

 3番目なんか、ヒントがあっても難しいでしょう。答は「こもれび」「ぼけっと」「わびさび」「つんどく」である。「わびさび」ってそういうことだったんだ~?

 

 Ω


しまなび賛歌

2016-06-27 17:58:06 | 日記

2016年6月23日(木)

 5月26日に書きかけていたことの、1か月ぶりの仕上げである。

 沖ノ島(宗像・沖ノ島)についてこんな番組が作られたらしい。

  

 考えるだに不思議な位置取りの島で、糸島半島から北へ60km、対馬市から東へ50kmの海原に浮かんだ孤島である。対馬市-沖ノ島-壱岐市を結ぶとほぼ正三角形になる。沖ノ島というとまず連想するのが『坂の上の雲』で、その第8巻、日本海海戦の場面にこんなくだりがある。

「・・・日露戦争当時、この沖ノ島の住人というのは、神職一人と少年一人で、要するに二人きりである。二人とも神に仕えている。神職は本土の宗像大社から派遣されている宗像繁丸という主典で、祭祀をやる。少年は雑役をする。宗像大社の職階でいえば 「使夫」 である。」

「少年の名は佐藤市五郎といった。明治十九年筑前ちくぜん 大島の生まれで、海の中から生まれたように泳ぎが上手だった。明治三十五年三月福岡県大島高等小学校を出るとすぐこの神体島の使夫になった。この少年佐藤市五郎が、この沖ノ島の頂上に近い大きな木の上に登って、眼下に展開する日本海海戦を目撃したのである。」

 佐藤市五郎は『坂の上の雲』が書かれた時期になお健在であり、司馬遼太郎は直接聞き取ったことを作品の中に書いた・・・のであったように記憶する。

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 福岡での面接授業から帰って5万分の一地図を買い込んだことは前に記したが、その時、神田小川町の小さなビルの上の方にある「内外地図」のカウンターに、『しまなび』というタイトルの冊子が積んであった。手にとってみるとこれが綺麗で面白く、パラパラめくっていたら「無料ですので、どうぞお持ちください」という。ウソでしょ?

 A4判で80頁あまり、第1章「日本の歴史と島」、第2章「島の自然」、第3章「島の文化」、第4章「島を体験」という構成、豊富な地図と写真に的確な解説で実に楽しいパンフレットに仕上がっている。編集発行は公益財団法人・日本離島センターとある(HP「しましまネット」http://www.nijinet.or.jp/)。日本宝くじ協会のサポートによって無料頒布に至ったらしいが、この一冊はそれなりの対価を払う価値が十二分にある。

  

 「日本は島国」という時、領土全体を矮小なひとつの島のようにイメージし、米・豪・中・露といった対岸の大陸国家と比較するのが普通だと思うが、『しまなび』の視点でひとつひとつの島の個性に丹念に注目していくなら、われらが国土は数千の個性群から成る豊かな複合体に姿を変える。「島国万歳」などとつぶやいているところへ、6月5日に「謎かけ好きのY」さんからコメントをいただいた。

 「韓国には山がないので、山登りに惹かれる韓国人旅行者が引きもきらない」という話を、博多でも伺ったと記憶する。そう、島国日本は、世界に冠たる山国でもある。それはとりもなおさず、森の国でもあるということだ。田植え後の美しい水田風景が一方の原型なら、そこに影を落とす故郷の山々がもう一方の原風景である。水平の広がりと垂直の高まりが、おらが国土の衣装なのだ。

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・タイトル:空を見上げて

 さて私は今、玄界灘に浮かぶ日本書紀の国産み神話にも出てくる「対馬」という、面積は日本の島では10番目に大きな島に来ています。韓国が近くて古くから朝鮮半島との交通の要衝で、今は年間20万人近い韓国人観光客が訪れ、風光明媚な山々とリアス式海岸の大自然の景色、海の幸に恵まれ、人口はわずか4万人で、そして地元の方々は大変親切です。

 博多の広い空をお褒めいただいた記事を嬉しく拝見しました。博多よりさらに、この対馬の何の遮る人工物もない川の辺りで夜空の天の川ので様な蛍を見ました。蛍の光の瞬きが、夜空の星との境が区別出来ないほど星も多くて星の瞬きも美しくまた、川面に映る蛍の光までもが一連の景色となって…新緑の匂い、川のせせらぎ、目に優しい月明かりと共に私の身体の隅々までスーっと染み入りました。

 何百年も、ひょっとして何千年も前からこうした景色と匂いが、変わらずここにはあるのかもしれない。その偉大なる自然に抱かれている感覚、タイムマシンにでも乗って宇宙の一部に帰ったような不思議な感覚になりました。そして、無数の幻想的な光は、時々私たちの手の届くか、届かないくらいの頭上を舞うのです。

 まるで亡くなった両親や友人、祖先…が漂って、「見守っているよ」と、言ってくれているようでした。

 Ω