散日拾遺

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読書メモ:xxx ~ スコ無理のススメ

2016-01-14 10:08:52 | 日記

2015年1月14日(木)

 小林秀雄さんがどこかに書いておられたことですが、「人は、その性格に合った事件にしか出会わない」のです。「こんな女に誰がした」と言うように、こういう事件があったから私はこんな女になったんだと普通の人は考える。小林さんは、そうじゃないんだと言う。こんな女だから、こういう事件に出会うのだ。小林さん流の逆説ではありますが、けれど、これは人生の真理じゃないか。(P.24)

→ 今の自分にはまったくもって拳々服膺すべき「真理」だと思う。ただ、たとえば城山氏自身にとっての「戦争」や「海軍体験」が、そのように自分自身の招いた「事件」であったかどうか、こうした原体験の不条理について氏がどう考えたか、是非とも訊いてみたかった。

 

「発表する当てもない原稿を書きながら、何を考えていたんです?」と訊いたら、王さん(註:中国の元・文化相、王蒙氏)は「先行きはどうなるかまったくわからなかった。わからなかったから、自分は何かやっているより仕方がないと思ってた」と答えたのです。わからないから、とにかく何かをやる、勉強する、翻訳をする、作品を書く。「僕はただひたすら書いてました。先のことはもう考えなかった」 (中略) 一橋家に命からがら逃げ込んで建白をし続けた渋沢栄一と、どこか似ていますね。(P.42-43)

 

 小説を書くというのは、書くことが全てでないといけない。これから書いていく小説の世界に、自分を空しくして入っていかなくてはならないのに、バックさん(註:『かもめのジョナサン』の著者、リチャード・バック)は小説より上に禅があったわけです。これでは、いい小説は書けない。(P.72)

 

 夏目漱石の『文学論』を読みますと、作家にとってのインスピレーションというのは人工的インスピレーションだ、とある。つまり、ぼんやり待っていたら何かがパッとひらめいた、じゃなくて、インスピレーションは自分で作り出すものだ。だから、インスピレーションを生み出すように絶えず努力しなくてはならない。自然な状態で待っていてはだめなんです。負荷をかけるというか、(少しだけ)無理をしなくてはいけない。(P.85)

 

 中曽根さんは大江さんの本も読むべきでした。人間というものを大事にするというか、自分と合わない人間でも、その人の生き方とか生きている姿勢には興味をおぼえ、理解していく。それは必ず自分の戦力になっていくものです。(P.125)

 

 水上さん(註:三井物産の復興に尽力した水上達三)は「戦後の何もない時に、そんな小さな会社の社長になって、まずは発展よりも充実を考えた」と言っていました。普通だったら、小さな会社だから早く大きくなろう、発展しようと考えるだろうに、まず充実を考えた。充実さえすれば、自然と発展していくだろう、という考え方ですね。

 そして、充実するために大事なのは、人材だというのです。人間だ、というのです。(P.128)

 

 彼(註:田中正造)の残した遺品は、反対運動に打ち込み、谷中村を乞食のようにさすらい歩いていたわけですから、ほとんど何もない。汚れたずだ袋が一つきりでした。その中に鼻紙とボロボロになった新約聖書と、いくつかの小石が入っていた。彼の残したものはそれだけです。彼はクリスチャンではありませんが、聖書を熱心に読んでいました。それが彼の支えになっていた。そして、被害地を歩いていて気に入った石を拾う。それが彼の慰めでした。これが、次は衆議院議長かといわれた、政界の頂点に登り詰めようとしていた人の晩年です。(P.156-7)

***

 以上、父がサンタからもらって一読三嘆した『少しだけ、無理をして生きる』(城山三郎)からの抜き書き。

 ついでにもう一つ、「self、intimacy、achievement」の重要性を、精神科医・石塚幸雄氏から教わったとある。日曜の講演で使わせてもらおう。P.165-7あたりだが、アメリカ人のストレス因に関する記載など、さすが城山さんはよく勉強している。

 父と同年、名古屋の生まれ。没後もう9年近く経つのか。

 少しだけ、無理・・・スコ無理だ、流行語大賞、狙えないかな。