散日拾遺

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知識の効用 / おせっかいな臨床家

2016-01-02 23:50:07 | 日記

2015年1月2日(土)

 「新春のおよろこびを申し上げます。息子にやっと発達障害の診断が下りました。私としてはホッとしています。大学~大学院と、このために学んできたのだと感じつつ、知識のおかげで笑顔の子育てをしています。」

 教え子を抱きしめてやりたい。知識はこうして使うものだ。彼女を支える知識の周りに体験が幾重にも層を重ね、いずれ確かな知恵の実を結ぶことだろう。その日にはあらためて、後に続く人々を君が支えることになる。頑張れ!

 

 池下さんより来信:

 「はがき詩信104、おじゃまさま。穏やかな正月を迎えられたことと思います。本年も、気まぐれにおじゃまします。」

 さっそく転載。

  

 「おせっかい」「おせっかい2」という連作が「詩」にあたるものかどうか、僕は判断する立場にない。僕はあまり詩を読まず、一方ではエッセイが無類に好きなので、これらはエッセイではないかと言ってみたいのだ。しかしそんなことはどうでも良い。

 意志的な声の主が、意志的な最期を遂げた。その生について僕らは何も知らない。ただ、彼が何ほどか僕ら自身に似ており、僕らが少なからず彼に似ていることを、直観せずにはすまない。池下さんはそのような現場に通いつめている。人生の臨床家とでも評すべき姿である。