散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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たかが仕事/希望は夜明けと共に

2015-11-08 07:27:46 | 日記

2015年11月8日(日)

1.金曜日の診察室で

 「回りに期待され、御自身でもやる気満々、抜擢に応えるはずだったんですね。ところが新しい部署はわからないことだらけで、皆それぞれ重要な役割を負って忙しくしているから、訊こうにも訊けない。はかどらないから時間がかかり、毎晩遅くまで頑張って疲れをため、睡眠不足でかえってパフォーマンスが落ちるという悪循環、気がつけば今の状態でとうとう出社できなくなった。」

 「・・・だいたい、その通りです・・・」

 「だいぶ御自分を責めているんじゃないですか?」

 「上司にも同じことを言われました。」

 「上司の方に?」

 重い瞼の下で、目が少し赤らんだ。

 「そう自分を責めるな、たかが仕事だ、と」

 「たかが仕事」

 「はい」

 「素晴らしいですね」

 「そうですか」

 「そう思います」

 身の丈185cm、野球で鍛えた堂々たる体躯が、ストレス食いと数ヶ月の過労で傷ましくむくんでいる。ただしばらくの辛抱だ。健康は君の中、すぐそこにある。

 

2.土曜日の教室で

 「そやき、僕が思うには、パンドラの箱っちゅうことです。箱は開けすぎてはいかん、開けたい箱の中に、実はありとあらゆる災いが入っとる、小出しにせんといかん。」

 「でも」と異議が出た。

 「パンドラの箱には、最後に希望というものが隠れてるんです。全部開けないと、希望も出てこられませんよ。」

 「そう、そうですね。しかし、歌劇『トゥーランドット』の中の『誰も眠ってはならない』に歌われるとおり、」

 演者が負けずに胸を張る。歌われるとおり・・・?

 「希望は夜明けと共に消え去る、そういうことです。」

 へえ、そう来ましたか。なかなか見事な応酬だけど、それだと君の研究はどうなっちゃうの?

 

 忙しかった先週を終えて、心に残った二つの言葉である。いつになく言葉のやりとりの豊かな一週間だった。寝て起きて、働いて、食べて寝る、それが日常の全てだけれど、それでも人が言葉で生かされているという確かな実感は、どこから来るのだろう。

 今日はこれからまず教会学校、午後からは久々の桜美林大学で、言葉を中心に一日を過ごす。楽しいことだ。