散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

非選択的不注意?

2015-03-05 23:54:23 | 日記

2015年3月5日(木)

 

 自分のアタマの不思議な抜け方に、ときどき感心することがある。

 選択的不注意の体系というのは、サリバンか誰かがヒステリーについて言ったことだが、僕の場合は非選択的不注意かしらん、かなり偶発的・非特異的に起きる不注意のようなのだ。たとえば・・・

 

 放送大学でもう8年目に入るというのに、自分の担当科目の受講者が何人いるのか、よく知らずにいた。

 知らないはずはないので、単位認定試験の後には必ずデータを見ながら結果の確認をするから、その際に数字をちゃんと見ているはずである。しかしここが不思議なところで、そうした際に平均点や得点分布ばかりに注目すると、いの一番に記された「登録者数/受験者数」を見ていながら見過ごすということが、いとも簡単に起きるのが僕の上等のオツムなのだ。この数字を見逃すことに心理的利得も何もありえないから、ほんとに訳が分からない。

 

 ふと知りたくなり、確認して、たまげた。

 

 3,000人

 

 ・・・ マジ?

 しっかりしなくちゃ。

 30人でも3,000人でも、全力投球に変わりはないのだけれどもね。


コウがあるかも/15分の出会い/はがき詩信 99

2015-03-05 19:26:41 | 日記

2015年3月5日(木)

 

 打ち掛け図の中央上部に、ひょっとするとコウ狙いがあるかも知れない。仕掛ける準備に2手かかるから遠い話だが、ダメが詰まってきたら案外決め手になるかもな。

 

***

 

 などと考えながら都内某所へ診療に出かける。

 職域健保組合のK保健センター、15年前には精神衛生相談と呼んだが、いまではメンタルヘルス外来である。保健師・看護師やカウンセラーのサポートがしっかりしているので、非常に仕事がしやすく、長いつきあいになった。

 15分枠の診療、通院頻度もたかだか一ヶ月に一回という人と、どれほど交流が深まるものか、他人事として聞けば疑問に思うに違いない。けれども、あながちそうではないことを、ここで繰り返し体験している。時間の長さや頻度が全てではない。むろんこちらの技量の問題でもなく、要はその人がどんな望みを抱き、どんな覚悟でやってくるかにかかっている。そして、それを受けとれるかどうか。

 今日もわずか数件の面接の中に、どれほどの人生が語られたことだろうか。

 

***

 

 そういえば一昨日、千葉のIさんから久々に「はがき通信」が届いた。『母の詩集』『父の詩集』を上梓した、生活詩人のIさんである。その宛名面に、

  健やかであることの、穏やかであることの奇蹟を感じます

とある。まことにも。

 

 「インタビュー」という詩を引いておく。

 

  ボランティアをはじめて間もないころ

  NPO法人の広報を担当する仲間から

  「ボランティアのきっかけは」と訊かれた

  「たいせつな人をなくしたから」と答えた

  「実際に参加して気づいたことは」

  「河畔に住まう人たちと私との距離が紙一重であることを実感しました」

  つい最近までスカイツリーを見あげながら

  花見や花火見物の場所にすぎなかった河畔で

  私は相も変わらず

  うそをついたり

  本当のことを言ったり

 

これを長歌にいただいて

 

  嘘も言い まことも言いつ たそがれつ

これは自分のこと

 

  嘘も言い まことも言いつ 逃げもせず

こちらはIさんのこと

 

 そうか、15日の愛媛県松野町の講演では、Iさんを大いに紹介してこよう。うん、それがいい。

 

 

 


強いやつほどよく守る

2015-03-05 01:09:23 | 日記

2015年3月5日(木)

 

 碁敵(ごがたき)は 憎さも憎し なつかしき (作者不詳)

 

 有名な川柳だが、僕にはよくわからない。碁敵という感覚がピンとこないのだ。囲碁好きなら敵ではなくて仲間だし、負けるより勝ったほうが嬉しいけれど、それが目的ではないので。

 ことさら対決姿勢をむき出しに、石を取るか取られるか挑んでくるケンカ好きのおじさんは碁会所に山ほどいるし、この道ではあんがい女性が好戦的でもある。源氏物語にも宮中の女性らが碁を打つ場面があるが、さだめしきな臭くけたたましかったことだろう。それは石取りゲームというもので、棋道との間にはやくざのケンカと剣道にちょうど対比できる開きがある。

 Fさんは職場ではほとんど唯一の、貴重な同好の士である。火曜日の昼休み、再開してワリコンだ瞬間、Fさんが座り直して考え始めた。「よくないねぇ、どうも」とボヤく時は、彼の本音なのだ。面白いもので、ワリコミを発見したのは僕なんだが、僕よりも打たれたFさんのほうが、事の重大さをはるかに速く正確に察知している。

 数分考えて ~ 僕らの数分は、トップ棋士らの番碁なら1時間を超える長考に相当する ~ Fさんが打った手は、僕の予想に全くないマガリだった。いくらかソンな打ち方だが、事態の深刻さを知って紛れを求めたのだろう。こうなってからのFさんが日頃恐いんだが、この局では紛れる余地が残っていなかった。作って11目半は、ぴったり予想どおりの差である。

 

 昼休みは残り25分、手番を入れ替え時間のあるだけ打ち進める。写真が

今回の打ち掛け図、白番だ。

  右下に侵入した黒を追う中央側の白6子が浮き石になっている。まずは断点を守らないといけないが、面白いことにカケツイで守ればその瞬間に中央の黒の上下が連絡できなくなっている。すると次に下辺のハネで黒4子を大きく取り込めるから、今度は黒が守らないといけない。これを黒が見落としたら、その瞬間に碁はほぼ終わる。気づいて守ってくれれば、白は先手で断点を補強したことになる。気分は良いが、しかしまだはっきり生きてはいない。

 その次はどうするのかな。右辺の黒に薄みがあり、上辺の黒は眼形がはっきりしない。狙いが複数あるときは、自分の弱点を補っておけばどれかの狙いを実現できる。性急に狙いを追っていくと、二兎を追って一兎をも得ないことになりかねない。たとえば右辺の薄みをついてめいっぱい地を稼ぐと、黒の中央側が厚くなってとたんに白6子が攻め立てられる。

 そうか、カケツイだ石からさらにコスんで、浮いた一団を左辺の白につながっておくのだな。それで盤面全体に弱い白石が皆無になるから、後顧の憂いなく追い込んでいける。次が黒番でも、右辺か上辺か、どちらかには寄りつけるだろう。ああ、それでいいや。そのように打てれば打ち方に花丸、結果はどちらでもよろしい。

 

 碁の強い者は、必ず守りが強い。「強いやつほどよく守る」は石倉先生から教わった金言だ。ただし、ただの守りではなく、次の狙いをもった守りをもって上とする。

 奥ゆかしいゲームだ。