日本人イスラム教徒ゆとろぎ日記 ~アナー・イスミー・イスハーク~

2004年に入信したのに、2003年入信だと勘違いしていた、たわけもんのブログです。

ローマ法王発言問題収束の影で

2006年09月18日 18時32分18秒 | イスラムライフ
ヒジュラ暦1427年シャアバーン(8月)25日 ヤウム・ル・イスナイニ(月曜日)
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 ドイツの大学でのローマ法王の講演内容を見ると、確かに古い文献の中のビザンチン皇帝の言葉を引用しているのであって、ローマ法王の言葉として聖預言者(サッラッラーフ・アライヒ・ワ・サッラム)を批判しているわけではない。
 でもねぇ~。世界最大の信者を抱えるカトリックの頂点に立つ御方の言動としてはちょっと思慮が足りなかったよなぁ。何もあの文献を引用しなくてもいいでしょうに。
 イスラーム各国やイスラーム諸団体が抗議を表明したのは正しいと思う。

 法王の発言→イスラーム側の怒りの表明&「なぜ怒っているのか」という説明→法王の釈明と遺憾の意→イスラーム側の理解

 …という流れで、大人の対応だったのではないかと思っている。ムスリム同胞団なども矛先を収める姿勢だし。いつまでも怒りが収まらない、いつまでも釈明しないでは、いずれ大きな衝突を迎えるだろうから、これで良かったのだろう。
 「表現の自由」を盾にとって、いつまでも相手のいやがることをやっていた某国のバカ新聞よりは、どっちもずっと大人だ。

 しかし、ソマリアでカトリック側に犠牲者を出してしまったことは誠に遺憾だと思う。犯人はまだ捕まっていないが、ムスリムである可能性はあると思う。
 もしそうだとしたら、法王が不用意な発言をしたからといって、一介の修道女を射殺するというのはどういう了見なのか? 犯人はこのような行動をジハードだと考えているのか?
 だとしたら、相当なバカモノである。いったい、この行動のどこがイスラームを守る戦いなのか? むしろ、こういうことをやっているから「ジハード(聖戦)」が誤解されたりして、いらん対立を招くのではないか? こういうことをする人がイスラームを守るための戦いをしているとは、私には到底思えない。

 言葉に対しては正々堂々と言葉で対抗しろ! やたらと暴力に訴えるのは、某大国の大統…じゃなくて、獣以下だ!


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