ヒジュラ暦1427年ラマダーン(9月)23日 ヤウム・ル・イスナイニ(月曜日) |
土曜日購入した、アラビア書道の本を昨日読んで、ややエネルギーが回ってきた。言葉の力はすごい。
逆に言葉によって凹まされることもある。
ラマダーンの途中で断食をやめてしまったら、もう一生何をやってもそれを償うことはできないなんてハディースもあるらしい(とある人が言っていた)。
そういうことを聞くと「それじゃー、もうイスラームなんか信仰してもしょーがないかなぁ。どうせ地獄行きだしなぁ…」という気持ちになったりする。違うことをいう人もいるのが救いだ。
ムスリムになったばかりの頃、某日本人ムスリムに、
「3週連続で金曜日にモスクに来ないようなヤツはムスリムじゃない」と言われたことがある。
「じゃあイスラームなんかやめるよ。どうせオレはムスリムじゃないんだろ?」と反発したものの、礼拝や喜捨は結局やめられず、「自称:日本人イスラム教徒」というようなスタンスで現在に至っている。
というわけで、「○○しないとムスリムじゃない」「○○したらムスリムじゃない」なんてことをよく聞くが、その一方でイスラームをやめる手続きもあるはずもなく、破門も無いし、ムスリム失格なら自由奔放な生活を送ろうと思うとそういうことでもないらしく、結局自分が今ムスリムなのかムスリムじゃないのかわからずに、かと言って自殺なんてのはバカバカしい上に教義上も禁止されており、じゃあ結局どうしたらいいんだ? と考えているうちに面倒くさくなってなんとなくイスラームから離れる日本人ムスリムも多いのではないかと思う。
どれほどエライのかは知らんが、一部の日本人ムスリムが、せっかくイスラームに入信した日本人の気持ちを挫いている部分は間違いなくある。
私は、礼拝して喜捨して断食(できる範囲で)していればいいやと開き直っている。それで「オマエはムスリムじゃない」という人がいるなら勝手にそう思ってもらってかまわない。大切なのは、「人にどう見られるか」ではなくて「神にどう見られるか」なのだと思う。
モスクで随分と威張っている日本人ムスリムに会ったこともあるが、「神の前では人間なんて無力」と信じている人間が、なぜにそれほど尊大に振る舞えるのか不思議だ。
以前イスラミックセンタージャパンの方が「知識ばかり増えてもムスリムとは言い難い態度の人もいるし、知識は少なくても信仰深くて立派なムスリムの方もいる」と言われていたことを思い出す。
こんな状況じゃ日本人ムスリムは増えまい。私のような中途半端な者はぼちぼちブログのタイトルを「元・日本人イスラム教徒日記」と変えた方がよいのだろうか?
と思ったこともある。しかしその前にとりあえず「はみだしムスリム宣言」をするくらいでとどめておこう。
以上、言葉は人を力づけもするし、凹ませたりやけくそにしたりもするというお話でした。
ですから、自発的に正しい知識を求めたり、知識のある人に教えを求めたりすることは、非常によいことでしょうが、知識を振りかざして他者を攻撃する、視野の狭い「信心の深いヒト」がどの宗教にもいるのは困ったものですね。
「アンタはアンタ、オレはオレ」で、いいと思いますよ。神は、人を絶望させるためでなく、救うためにいるのですから。
まあ、なんか美味いもんでも食って、気晴らしを・・・(結局こうなる)。
では、ではまとまりのない文章ですが。。。
セラームアレイクン!
もしいま聖預言者が生きていたら相当お怒りをこうむるようなことがあるのではないかと思っています。結局すべては神様が決めることであって人間が人の行動を(それがムスリムであろうと異教徒であろうと)あれこれ批判するのは間違っているのではないかと思います。
現在イスラム圏に住んでいますが、入信して日が浅い私にはまだわからないこと、できないことがたくさんあります。しかし周りのムスリムたちはけっして責める言葉は言いませんし非常に協力的です。これがイスラームの姿なのだと思っています。
私は日本人ムスリムの世界をまったく存じ上げませんが、最終的には神様が決めることですので威張っている人は威張らせておけばいいと思います。神様はその方たちが威張っていることを猶予されているのでしょうから。
ちょっと残念な内容でしたので思わずコメントさせていただきました。あまり気を落とさないようになさってくださいね。
はじめまして。ぜふらと申します。
ラマダーンの日々の日記をつけている人はいないかなあと探していたら、たどり着きました。
きっちりつけられていてすごいなあと思いました。
残りわずかですが、お互いぼちぼちいきましょう!
またおじゃまします。
イスハークさんのブログに出会い
ここ数日 一番最初の日記から読ませていただいてます。
私はイスラム教徒ではなく、仏教徒ですが、
以前からテロだのなんだのときな臭い話題ばかり報道されていますよね。
「純粋なイスラム教徒さんはそんな人ばかりじゃない!」
「あれほどたくさんの人が信仰しているイスラム教だから、きっと平和を望んでいる宗教のはず!」
私にとって、イスラム教への理解を深めるに
とても自然体のイスハークさんのブログは大変役立っています!
今は 2005年10月の日記を楽しく読ませていただいています♪
これからも応援しています!
「ハーフィズ」目指して頑張ってくださいね!
(頑張るイスハークさんの姿は 今トライしている勉強を私も頑張らなくちゃ!って気にさせてくれるんです!ありがとう!)
これを機会にアラビア語も勉強してみようかなぁ~♪♪
最近、突然イヤガラセメールなどを送りつけてくる「熱心な」ムスリムも多いもんで、ついつい過激っぽい内容になってしまいました。
もちろん知識は重要ですし、教わったことは実践するように努力したいと思っています。
しかし、「教える」というよりは、いきなり「オマエは良くない」「オマエはムスリムじゃない」などの攻撃ばかり綴ったメールはいかがなものかと。
たぶん本人はイヤガラセメールのつもりはなく、信仰深くてマジメなのでしょうが、終始攻撃的なことを書かれるとうんざりです。
やはりここは何かうまいモンを食べに行くしかないですね
私はこの世で一番困った存在の、「B型のくせに理想主義者で完璧を求めたがる」という人間です。
そういう人間にとっては、自分のやるべきことをマジメにこなせる人は尊敬の対象でもあります。
ただ困るのは、立派な人の中には「自分ができたんだから他人もできるだろう」と固く信じている人がいて(それだけなら問題ない)、それを人に強制することです。
日本のイスラームは小さなコミュニティなのでしょうけれど、立派な方も多いです。しかし知識のある人同士が違うことを主張しあっていたりすると、私のような無知な人間にしてみれば「どっちなのよ?」と感じたりします。
議論は必要だと思いますが、こと信仰に関わることなので、「自分はこう信じる」と固く信じるほど議論が平行線になるのも事実で、信念と柔軟性のバランスというのはなかなか難しいものだなと感じます。
いろいろ書きましたが、まずは初心に戻って自分の足下を見つめながらできることからやっていこうと思っています。
イスラーム圏に住んでいらっしゃるのですね。うらやましいです。
私自身、なぜ日本でムスリムになったのか未だにわからなくなることがあります。ある日、どうしてもムスリムにならなきゃいけないという衝動に動かされて、その日のうちに改宗しましたが、なかなか理想のムスリムになれません。
「そんなにイスラームの教義が守れないならムスリムなんかやめればいいのに」と思う人もいるのでしょうけれど、信仰ってそんなものではないと思います。
言葉は悪いですが、やめたくてもなぜかやめられない、守れないことも多いのに離れてしまうことには恐怖を感じる。自分でもなぜそうなのか理由が説明できません。
私がイスラームを真に理解するにはまだまだ時間がかかりそうです。現在の感情の揺れはそれまでの試練なのでしょう。
ラマダーンの記録は、昨年はきちんとつけていたのですが、今年はボロボロでした。
なんとなく挫折感を感じることも多かったですし。いろいろなことがありますが、これがアッラーの試練なら耐えるしかないですね。
来年はもっときちんとラマダーンをして、日記もきちんとつけたいと思います。それこそイン・シャア・アッラーですが。