goo blog サービス終了のお知らせ 

日本人イスラム教徒ゆとろぎ日記 ~アナー・イスミー・イスハーク~

2004年に入信したのに、2003年入信だと勘違いしていた、たわけもんのブログです。

死海で浮いて浮かれてプカプカ

2005年08月31日 06時09分05秒 | 中東ヘロヘロ紀行
ヒジュラ暦1426年ラジャブ(7月)26日 ヤウム・アルビアーィ(水曜日)

この姿を見て、オバサマがたが言ったひとこととは…?(本文参照)

 多くの日本人にとってヨルダンはあまり馴染みがない。‎
‎ 「ヨルダンに旅行に行く」と言うと、「危なくないのか?」とか「何か見るものあるのか?」‎などという反応が返ってくることがほとんどだ。
 ペトラでさえ、それほど知名度が高いとは思えない。‎

 

 そんな中で、ほとんどの日本人が知っているのが死海である。とは言っても、死海はイスラエルにだけあると思っている人も多いけど。‎

 

 世界で一番海抜が低い場所にある湖であり、塩分が濃いため、どんな人でも浮くということは、日本国民のうち8900万人くらいは知っていると思われる(根拠は無い)。‎

 

 デッド・シー・スパ・リゾート・ホテルで海パンに履き替え、死海に向かってダッシュ!‎
 浅いのだが、海底の泥に足がズブズブとめり込み歩きにくい。‎



 ‎ とりあえず座るような体勢を取ると体が浮いた。「おお!」というよりは「なるほど」という感じだ。‎
‎ 「死海は浮く」ということがあまりにも常識になりすぎていて、実際やってみても、思‎ったほどの感動が無い。面白いんだけどね。‎



 ‎ 横向きで浮いたり、腹ばいで浮いたり、いろいろやってみる。「浮きながら本を読む姿勢」‎をやっている人はいなかった。あのポーズはいまや流行遅れなのだろう。‎
‎ 泳ごうとするが、浮力が強すぎて泳げない。その場で空回りするような感じだ。‎



 6月27日の記事で書いたような「苦難」は無かった(良かったら後で確認してね)。‎
‎ しかし、油断して鼻の穴に海水が入ったときは死ぬかと思った。並大抵の苦しさではない。鼻の奥から脳ミソまで硫酸で溶かされているような苦痛だ。‎



‎ それにしても驚いたのは、こんなところでも、アバヤ(女性の体をスッポリ包む黒い民族衣装ね)を着たまま浮いている女性がいることだ。なにもそこまで無理して浮かなくても…。‎
‎ 敬虔なムスリマであることは間違いないが、死海に浮くだけでなく、雰囲気的にも浮いている。ヨルダン人ムスリマでも、ここでは水着の人がほとんどだしね。‎



 ひとしきり浮いた後、ビーチでは、従業員がサービスで、体中に死海の泥を塗ってくれる。健康に良いということだが、ドブのにおいがするのがキビシイ。‎



 体中に泥を塗った私の姿を見て、「あら、変質者みたい!」「まあホント、裸の上にスーツの絵を描いた変な人みたい!」という暖かい言葉をかけてくださったオバサマ方、ありがとうございます。‎
‎ 心の中で密かにムッとしながら、思い切り笑顔で応えさせていただきました。‎

もっとヤル気を出さんかい! アンマンの国立博物館

2005年08月29日 19時07分41秒 | 中東ヘロヘロ紀行
ヒジュラ暦1426年ラジャブ(7月)24日 ヤウム・ル・イスナイニ(月曜日)


ロケットパーンチ! という感じの、巨大ヘラクレス像の手。

‎ アンマン中心部から離れた場所に国立博物館がある。‎
 世界最古の偶像とか、「死海写本」の一部(本物)だとか、相当にスゴイ収蔵品があるわりに気合は感じられない。‎
‎ イスラム圏や中央アジアの博物館は、どうしてこう、やる気が感じられないのか? (カイロ考古学博物館やアンカラ考古学博物館などを除く)‎


‎ まず、係員が呑気オヤジだったりする。テキトーに鍵を開けて、テキトーに友人とおしゃべりして、まったく監視や管理をしていない(ように見える)。‎


 それからパンフレットやガイドブックが無い博物館が多い。ヨルダン博物館もそうだ。‎
‎ どういうきっかけか忘れてしまったが、呑気オヤジ(まさか館長じゃないだろうな?)と話し込んでしまい、「この博物館のパンフレットやガイドブックは無いのか?」と尋ねると、‎‎「ちょっと待て」と言ってキッチンに入っていった。‎
 そして食器棚から、こぼした油でツルツル、テカテカ、ビチビチになった、ペトラの地図をくれた。てんぷらにしたら、サクサクに揚がりそうだ。‎
‎ いや、気持ちはありがたいが、私が欲しいのは、この博物館のパンフレットである(もらっといたけど)。‎

‎ ‎
 写真が撮り放題なのはいいんだけど、後で写真を見返しても、どんなものだったのか思い出せないことが多いんだよね。見たものの説明すべてを覚えているほどの記憶力を持ち合わせていないし。‎
 それにショーケースに、カメラを持った自分の姿が微妙に写っていて、一瞬心霊写真と間違えちゃったりするし(そんなヤツはいない!!)。‎
 やっぱ、ガイドブック欲しいぞ。‎


 そういえば、数ヶ月前、日本でもヨルダン考古学展やってたなあ。この博物館からも何点か日本に行ったはずだ。そのときには、きちんとしたガイドブックあったのかなあ?‎
 知っている人がいたら教えてください。‎


 でも、こんなこと力説しても、博物館ってツアー客にはあまり人気無いんだよね、実は。‎遺跡とか風景をバックに記念撮影するのがメインという人が多数派だし。‎
‎ 室内で、写真撮影もできず、ガイドのアカデミックな説明を聞くのが


「んもう~! 退屈~っ!!」


という人も多い。‎


 しかし、そういう人を責める気にはなれない。やはり博物館もガイドも、もっと客の興味を引く方法とか、素人にもわかりやすい説明とか、工夫するべきことはいっぱいあるんぢゃないか?(ついでに各旅行会社も)‎



‎ いきなり展示品の前で、年号や昔の人物の名前を散りばめて説明しても、みんな理解できないと思うぞ。説明のまったく無い展示品もあるし。‎


‎ ここはひとつ、各国のやる気の無い博物館と、旅行会社が手を取り合って、博物館好きが増えるような努力をしていただけるとありがたい。ぜひお願いします。‎


「死海文書」いろいろ。銅の巻物になっていた「死海文書」。
人間の頭蓋骨に粘土などを塗った像。昔は信仰の対象。日本にも来た像。表情が「さくらももこ」の漫画的。

 

イスラムにゃんこ①/ペトラのホテルの猫

2005年08月27日 11時43分48秒 | 中東ヘロヘロ紀行
ヒジュラ暦1426年ラジャブ(7月)22日 ヤウム・サブティ(土曜日)


国を問わず、アラブ圏の猫は、精悍なヤツが多い。

 ええと、実は単なる猫好きなのですが、「イスラム教徒日記」と名乗っている以上は、イスラムに関係の無い記事は気が引けます。でも、旅行先で撮った猫の写真は載せたい…。


 ということで「イスラムにゃんこ」と銘打ってみました。イスラム圏はやっぱり犬より猫でしょう。


 ペトラのクラウン・プラザ・ホテルのレストラン付近に住み着いている猫です。客へのサービス精神もあるので従業員なのかもしれません。ハードな日程の疲れを癒してくれます。写真より実物のほうが可愛いです。


客になされるがまま。
 

ヨルダン、アンマンのホテルで見かけた結婚式

2005年08月26日 06時19分04秒 | 中東ヘロヘロ紀行
ヒジュラ暦1426年ラジャブ(7月)21日 ヤウム・ル・ジュムア(金曜日)



友人や親族に囲まれて幸せそうなカップル。いつまでもお幸せに!

 本などで読んでいた、イスラム式の結婚式と様子がだいぶ違った。西洋の影響を受けた新しい形式かもしれない。ホテル自体がフランス資本だし。


 新郎・新婦が二人で腕を組んでホテルのロビーを練り歩き、その周りで楽団が演奏し、友人たちが手拍子しながら、はやす。 
 男性はみな坊主頭だから、軍の関係者かもしれない。


 披露宴が終わって、一般の人にもお披露目しているらしい。男女別に三日三晩くらい祝い続けるということはしないらしい。


 そしてこの後、ホテルの外に停めてある車に乗り込み新婚旅行へ。車にはでかいリボンがかけてある。
 そういえば、ベトナムで見た新婚さんも、こんな車に乗りこんでいた。やはりフランスの影響なのか?


 結婚式の形はどうであっても、いつまでもお幸せに。通りすがりのものだけど、




 結婚おめでとう!



楽団や関係者のみなさん。



 

みやげもの① 大音量! アザーン・アラーム・クロック

2005年08月24日 06時03分23秒 | 中東ヘロヘロ紀行
ヒジュラ暦1426年ラジャブ(7月)18日 ヤウム・スラーサーィ(火曜日)


開くと、右側が「第1章:開端章」、左側が「第2章:雌牛章」の第5節までとなっている。

 ドバイのスーク(市場)‎の、インド人のオヤジが経営する店で、アザーン・アラーム・クロックなるものを二つ買った。
 その名の通り、アラームの音がアザーン(礼拝の呼びかけ)になっている。‎

‎1個は「クルアーン型」、もう1個は「モスク型」である。値段は2個で7ドル。1個400‎円ほど。時間があればもう少し値切れただろう。‎


‎ 写真の整理なども見通しがつき、昨日初めて箱を開けてみた。‎


 よく見ると箱に صبع في تايوان と書いてあるので台湾製のようだ。

‎ 台湾製はいいが説明書も何も無い。時間はもちろん目茶苦茶。電池ボックスを開けると、‎中から茶色い汁がとろ~りと垂れてきた。腐った単3の電池が2本鎮座していた。‎


‎ 新しい電池に変えて、アラームを試す。‎



‎「アッラ~~ホ~~・アックバル!」




 ムスリムなのにこう言っちゃなんだが、やかましい。‎


 たぶん、ご近所にも我が家から思いっきりアザーンが響いてしまったものと思われる。‎三軒先の犬を飼っているじいさんは「なんじゃあ?」といぶかり、気難しい肉屋のオヤジは「やかましいなあ、もう」と吐き捨てたことだろう。ラーメン屋のばあさんは「ナンマンダブ」とつぶやいたかもしれない。


 単3電池2本で動く安物のくせして、音量だけは本物のモスクのアザーンなみだ。‎


‎ 音量調整はできないようで、これだけデカイ音でアザーンをかまされれば、いやでも目が覚めるだろう。‎


 礼拝の時間にアラームをかけるという使い方はしないだろうな、おそらく。別にアラームをかけなくても大体礼拝の時間になれば気づくのが普通だし、次の礼拝に向けて1回1‎回アラームを設定するのは面倒くさい。アラームはひとつしかついていないのだ。‎


 そのわりに、「朝のアザーン」と「昼のアザーン」の2種類の切り替えが可能という点が芸が細かい。‎
 と言っても「朝のアザーン」には「アッ・サラート・ハイルン・ミナ・ンナウム(礼拝は眠りに勝る)」という語句が2回加わるだけだが。‎


 いつか、我が家がモスクになる日が来たら(来るのか?)、ぜひ有効に活用したいと思っている。
左側はクルアーン型クロックを閉じたところ。右側はモスク型クロック。和室で浮くことこの上無し。

体調不良の原因がわかった

2005年08月23日 18時18分07秒 | 中東ヘロヘロ紀行
ヒジュラ暦1426年ラジャブ(7月)18日 ヤウム・スラーサーィ(火曜日)

実に10日以上にわたって私を苦しめた病気の正体がわかった。
今日病院に行ったところ、「大腸菌O-6(おーろく)」が原因の体調不良ということだった。
なんとなく、O-157よりは弱そうなので安心した。
 

原因は、やはりシリアあたりで食べたものらしい。具体的に何なのかは今になっては知るすべは無いけど。


それにしても、担当の若いドクターが微妙に面白い。
「ええと、便からしかうつらないので、口にしなければ周りの人は大丈夫ですよ。」
何を口にしなければだ?
というより、それではまるで私がシリアで便を口にしたみたいではないか。
と、疑問に思っていると、
「あ、シリアの食べ物からもうつりますが、日本の食べ物は大丈夫です」
シリア人が聞いたら怒るな、きっと。 
 

地味なような派手なような世界一。ヨルダン自慢の世界最大の国旗掲揚棒

2005年08月23日 05時14分18秒 | 中東ヘロヘロ紀行
ヒジュラ暦1426年ラジャブ(7月)18日 ヤウム・スラーサーィ(火曜日)

シタデルからの眺め。アンマン市内に翻るヨルダン国旗。

  高さ142mで、ギネスブックに申請中。国旗自体の大きさは30m×60m。‎

 半旗になっているのは、先日亡くなったサウジアラビアのファハド国王への弔意を表している。


‎‎
ヨルダン国旗。アラブの色(赤・黒・白・‎緑)を使用。7つの光が出る星は、『クルアーン』第1章:開端章の全7節を表す。‎‎

なかなか美味いぞ! グログロ羊くん頭

2005年08月20日 09時52分57秒 | 中東ヘロヘロ紀行
ヒジュラ暦1426年ラジャブ(7月)15日 ヤウム・サブティ(土曜日)

シリアの名物料理「マンサフ」。パルミラのレストランにて。

 今回のツアーで最も印象に残った料理が「マンサフ」だった。
 大皿の上にサフランライスを敷き詰め、子羊の丸焼きをドーン!と乗せた豪快な料理だ。
羊はイスラム圏ではもっとも食べられている肉である。


 ウェイターたちが手でコイツを解体して取り分けてくれるのだが、頭がもっとも貴重な部分である。
 その貴重な部分をふるまってもらえる幸運(…かな?)に恵まれた。
 ことの起こりは、私がチーフウェイターに気に入られたことだった。

羊の頭の部分。右の方に歯が見える。中央上のほうには目が見える。

 私の体格を見たチーフウェイターが「空手をやっているのか?」と尋ねてきた。
「うむ、その通りである」と答え、「日本人=カラテ民族」という偏見を強化すると、「では、ナツメヤシを1日10個食べるとよい。私は昔ボディビルをやっていた」と突然謎のアドバイスをされた。
さらに仲間のウェイターたちに「彼はジャパニーズ・カラテ・マスターだ」と余計な紹介をしてくれた。


 そして私が羊の頭を見ていると、チーフウェイターが羊の頭を厨房に持ち帰り、時間をかけて解体して、特別プレートとして持ってきてくれた。それが下の写真である。
ウェイターが一生懸命ほじくってくれた頭部の肉たち。最もおいしく、最も歓迎の意が強いとされる部分。


 ツアーの女性客の皆さんは先ほどから、顔をしかめフルフルしている。
 目玉が二つあるので、ひとつをみなさんに勧めてみたが、誰も食べようとしない。ありがたくひとりで二つとも食べた。


 目玉は口に入れると、「ぬちっ!」という感触がする。トロトロを越えている。ヌルみの強い食感。どうやらこれは白目らしい。まるめた糸のような「ぐぢゃらぐぢゃら」とした感触が微妙に混じる。これが黒目だな。
「ぬち」「ぐぢゃら」のなんとも言えないハーモニー。うまいとかまずいとかを超越している。粘土とゼラチンを混ぜて、かにみそで味付けしたような感じか?



 はいわゆる「タン」なのだが、スライスでなく、原型のまま「でろ~ん」としているところが衝撃的。豪快にかぶりついてみた。羊とディープキスしているような錯覚が一瞬頭をよぎった。
 うん、味はふつうのタンだ。コリコリした食感もいい。これはおいしい。



 脳みそは大脳から延髄までついてワンセットそのままの形。大脳を少し取って食べてみた。ちょっとパサパサした感じはあるものの、まずくはない。
 味付けせず、ソースもかけていないハンバーグのような食感と味。淡白な感じは白身魚にも通じるものがある。
 しかし脳みそは生の方がうまいかもしれない。以前、赤坂の某韓国料理店で食べた、羊の生脳みそのパクチー添えは、とても美味だった。
 なお、延髄は硬くて食べられなかった。



 ほほ肉は、マグロのかぶと焼きのほほ肉と似た味。脂が乗っていておいしい。ただし脂が乗りすぎているのが難点でもある。
 魚の不飽和脂肪酸と違って、肉の飽和脂肪酸なので、たくさん食べるとおなかがもたれる。



 前菜や、子羊の体の肉も食べた後だったので、さすがに頭の部分すべては食べ切れなかった。



 食事の時間が終わり、「どうだ!?」という感じで誇らしげに立っているチーフウェイターと抱擁し、レストランを後にしたのだった。

コレラ!!?

2005年08月19日 18時55分45秒 | 中東ヘロヘロ紀行
ヒジュラ暦1426年ラジャブ(7月)14日 ヤウム・ル・ジュムア(金曜日)

 やはり下痢が止まらない。頭痛と微熱も現れた。


 さすがにおかしいので、近所の医者へ。


医者「下痢といっても、白く濁ったりしてないでしょ?」
私 「濁っています」
医者「入国のとき検査したよね?」
私 「関空から羽田行きへの乗り継ぎ時間が短く、検査は省略されました」
医者「薬は飲んでないんでしょ?」
私 「正露丸も強力ワカモトも呑み続けましたが下痢が止まりません」
医者「ええと、コレラかもしれないね。紹介状書くからすぐに大きな病院に検査に行ってみて」


 ということで緊急検査が行われることになった。
 便を取り、採血して、点滴を打ちながら検査の結果を待つ。


 結果―とりあえずコレラ菌は見つからない。ただし、採取した便を数日間培養してみないと詳しいことはわからない。コレラでなくても法定伝染病の可能性はわずかながら有り―


 結局、抗生物質をもらって今日は帰宅した。ホントに帰ってきちゃってよかったのか疑問だが。
 たまっている仕事も気になるが、今はそれどころではないような気もする。
 ましてやブログを書いている場合じゃないような気もするが、相変わらずこうやってタラタラ書いてしまっている。


 なお、絵はがきを受け取ったみなさんは不安のドン底かもしれないが、羅病の可能性のある法定伝染病は、「絶対に絵はがきからは感染しない」ということでした。
 第一、伝染病と確定したわけではない。単なる消化不良や神経性胃炎の可能性もあるそうで、なかなかストライクゾーンが広い。


 血液の「炎症性蛋白」なるものと、白血球のバランスが崩れているのが激しい頭痛の原因となっており、薬で頭痛を抑えつつパソコンに向かっている。


 という状況で頭が働くわけもなく、イスラムと関係の無いことを綴っている。ただでさえ、最近イスラムライフやクルアーンについて書いていないので気にしているのに…。


 心配なのは、この記事を読んだ人が「うわぁー、やっぱり中東ってアブナイんだあ!」と思ってしまうのではないかということである。


それに対してひとこと:
 ぜーんぜん平気だよ! ヨルダンもシリアもレバノンもとても楽しく明るく安全な国。まるでこの世のパラダイス!


        あまり説得力が無いかな…。

アンマンのショッピングモールの宗教用品店

2005年08月18日 20時58分24秒 | 中東ヘロヘロ紀行
ヒジュラ暦1426年ラジャブ(7月)13日 ヤウム・ル・ハミースィ(木曜日)

メッカモール遠景。バスの中から撮影した写真の一部をアップしたので見づらい。

 午前中はドバイをうろついていたのに、夕方以降はヨルダンのアンマンをうろつくこととなった。 
 パッケージツアーにも拘わらず、今回の旅の目的のひとつに本の買出しというのがあった。
 アラビア書道の本やアラベスクの技法書などがあったら買いあさるつもりだ。
 

 ホテルからタクシーを拾い、アンマン最大のショッピングモールへ。添乗員さんの情報だと、ここに大きな書店があるらしい。「メッカモール」というイスラミックにベタな名前のモールである。約20分で到着。


 6階建てのモールに突入し、中をうろつく。
 うーん、なんか異国情緒がまったく無い。日本のデパートにいるみたいだ。アラブ人も普段見慣れているから新鮮な感じしないしなあ。などと、実に身勝手なことを思いながら歩いた。

メッカモール店内。おしゃれなデパートという感じで日本でもよくある雰囲気。


 すると、「宗教用品店(と言うのかな?)」を発見。
 聖クルアーンの句を書いたタペストリーだとか、アッラーと刻まれたシルバーのアクセサリー、礼拝用数珠、礼拝用絨毯などいろいろ売っている。


 さらに店内を歩くと、キリスト像だとか、マリア像、イコンなどのキリスト教グッズも売っていた。
 さらにさらに店内を歩くと、シヴァ神の模型や、インドの神々の絵なども売っていた。


 こういう言い方すると怒る人がいるかもしれないけど、宗教ってあまり俗からかけ離れて、聖の中で純粋培養されちゃうと、かえって本質が失われてアブナイんじゃないかと思うことがある。
 
 この店みたいに、日常の生活の中にいろんな宗教が共存していて、気軽に人々が出入りしているのっていいなあ。客には、信仰深そうなおっちゃん・おばちゃんも、普通の兄ちゃん・姉ちゃんもいる。
 
 日本は宗教に関しては寛大な(節操が無いという人もいるけど)国なんだから、いずれこういう店が現れるといいと思う。
 仏教、神道、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教などの関連グッズや書籍などを売っている店。そして特に宗教を持たない人も気軽に入れる店。そんな店があれば、もっと宗教への偏見がなくなるんじゃないかなあ?
 
  その後、6階の本屋でナイスな本を何冊も見つけ、「本買いあさりツアー第1弾」は無事に終了した。
 
  なお、帰りにタクシー乗り場の列に並んでいたら、ヨルダン人たちが後から後から横入りをし、しまいには私の前に止まったタクシーにダッシュしてきて乗り込むオバハンがいたりして、「神も仏も無いのか、この国は!?」と思わず心の中で叫んだのだった。
 もっと思いやりと信仰心を持たんかい、ヨルダン人!
 
  PS:最後には、見かねた係員が無線でタクシーを呼んでくれました。ありがとう、名も知らないヨルダン人青年…。