兄弟象(兄弟エレファンツ)ホーム・ビジター兼用
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2008年、台北市立天母棒球場にて購入。2007年まではナイキ製のプルオーバーの上着を着用していたが、2008年にユニフォームサプライヤーがミズノに変更になりボタン式に戻る。
基本的にホーム用は上着・パンツともに黄、ビジター用は上着が黄・パンツが黒のスタイルは中華職業棒球大聯盟(CPBL)初年度(1990年)から伝統的に継承されてきた。
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#50 陳致遠(チェン・チィユァン)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/45/e36b5e51cf708ff97eca1cfc70b0234f.jpg)
#34 オーランド・ロマン(羅曼)
中国信託商業銀行によるネーミングライツ形式での買収により、2014年から球団名が「中信兄弟(中信ブラザーズ)」と改称されてからも継続されている。(基本ユニフォーム以外にもカラーバリエーションは増えたが)
この派手な色遣いは日本でも有名で、CPBLの情報が入手しにくい時代でも台湾の真っ黄色のユニフォームと言えば「兄弟エレファンツ」!とある程度は認知されていたと思う。
日本人の感覚では理解し難いような派手派手なカラーリングではあるが、これは兄弟エレファンツのオリジナルではない。1970年代中盤にピッツバーグ・パイレーツが採用したカラーリングをそっくりそのまま模写したのが、兄弟エレファンツのユニフォームであろう。
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#8 ウィリー・スタージェル
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中央:#35 マニー・サンギーエン/右:#8 ウィリー・スタージェル
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/c8/2fd31d3248323ea979af6221008d7e9a.jpg)
#39 デーブ・パーカー
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#8 ウィリー・スタージェル
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#8 ウィリー・スタージェル ピッツバーグの英雄。背番号「8」はピッツバーグの永久欠番
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/49/31e8579bf8f8ba56ccd4f88ef6136a5f.jpg)
#27 ケント・テカルヴ
1977年から1984年まで、パイレーツはすべてのユニフォームルールを破り、ド派手なユニフォームを採用。ゴールド×ブラックの組み合わせは1977~80,82年はビジター用として、84年のみホーム用オルタネイトとして採用という資料もある。が、実際にはゴールド・ブラックの上着、パンツ、ピルボックスキャップ、アンダーシャツ、スターラップを組み合わせると数十以上のパターンが可能なため詳細はよくわからない。
本家パイレーツは復刻版、ないしはオルタネイトとして、この派手なユニフォームを現在も時々は着用しているが、遠い台湾にてこの配色は常用ユニフォームとして21世紀の今でも引き継がれている。
そう考えると…初めて兄弟エレファンツのユニフォームを見た時、度肝を抜かれたが、これは伝統ある配色だと思えば、まぁ、これもありかなと思えてくる。
●兄弟象・中信兄弟の歴代ユニフォームはこちら
※その他グッズはこちら
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2008年、台北市立天母棒球場にて購入。2007年まではナイキ製のプルオーバーの上着を着用していたが、2008年にユニフォームサプライヤーがミズノに変更になりボタン式に戻る。
基本的にホーム用は上着・パンツともに黄、ビジター用は上着が黄・パンツが黒のスタイルは中華職業棒球大聯盟(CPBL)初年度(1990年)から伝統的に継承されてきた。
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#50 陳致遠(チェン・チィユァン)
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#34 オーランド・ロマン(羅曼)
中国信託商業銀行によるネーミングライツ形式での買収により、2014年から球団名が「中信兄弟(中信ブラザーズ)」と改称されてからも継続されている。(基本ユニフォーム以外にもカラーバリエーションは増えたが)
この派手な色遣いは日本でも有名で、CPBLの情報が入手しにくい時代でも台湾の真っ黄色のユニフォームと言えば「兄弟エレファンツ」!とある程度は認知されていたと思う。
日本人の感覚では理解し難いような派手派手なカラーリングではあるが、これは兄弟エレファンツのオリジナルではない。1970年代中盤にピッツバーグ・パイレーツが採用したカラーリングをそっくりそのまま模写したのが、兄弟エレファンツのユニフォームであろう。
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#8 ウィリー・スタージェル
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中央:#35 マニー・サンギーエン/右:#8 ウィリー・スタージェル
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#39 デーブ・パーカー
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#8 ウィリー・スタージェル
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#8 ウィリー・スタージェル ピッツバーグの英雄。背番号「8」はピッツバーグの永久欠番
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#27 ケント・テカルヴ
1977年から1984年まで、パイレーツはすべてのユニフォームルールを破り、ド派手なユニフォームを採用。ゴールド×ブラックの組み合わせは1977~80,82年はビジター用として、84年のみホーム用オルタネイトとして採用という資料もある。が、実際にはゴールド・ブラックの上着、パンツ、ピルボックスキャップ、アンダーシャツ、スターラップを組み合わせると数十以上のパターンが可能なため詳細はよくわからない。
本家パイレーツは復刻版、ないしはオルタネイトとして、この派手なユニフォームを現在も時々は着用しているが、遠い台湾にてこの配色は常用ユニフォームとして21世紀の今でも引き継がれている。
そう考えると…初めて兄弟エレファンツのユニフォームを見た時、度肝を抜かれたが、これは伝統ある配色だと思えば、まぁ、これもありかなと思えてくる。
●兄弟象・中信兄弟の歴代ユニフォームはこちら
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