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自己満足的電脳空間

完全自己満足主義。テーマはない。自分の趣味・関心事を偏った嗜好と思考でダラダラと書き綴る自分のための忘備録。

ニューヨーク・ヤンキース サングラス

2017-10-29 00:05:00 | その他グッズ等諸々
ニューヨーク・ヤンキース サングラス



フツーのスポーツサングラスではあるが、ニューヨーク・ヤンキースのロゴが記載されているので、ニューヨーク・ヤンキースからライセンス付与された商品。長年、使用していたスポーツサングラスが壊れたので、昨年購入。

球団名がニューヨーク・ヤンキースに変更になった1913年から
(多少のマイナーチェンジはあるものの)変わらず使用されている「NY」ロゴ




#3 ベーブ・ルース(1920年NYY移籍直後撮影)


#4 ルー・ゲーリック(1937年撮影)

人気球団であるニューヨーク・ヤンキースのグッズを所有するなんて、ひねくれ者の自分の信念に反すると長らく当球団グッズの購入を控えていた私だったが、偉大なる歴史と伝統を有するニューヨーク・ヤンキースに対して敬意が欠けていたことに気づいた私は、その偏見に満ちたこだわりを破棄。近年はキャップの購入、Tシャツを自作することを厭わなくなった。サングラス購入もその一環である。

100年以上に渡り、偉大なる伝統を守るニューヨーク・ヤンキースに敬意を示す。

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2013 MLBオールスターゲーム記念ボール

2017-10-15 00:05:00 | その他グッズ等諸々
2013 MLBオールスターゲーム記念ボール

2013年、新規開拓した某スポーツメーカーの日本法人から契約を頂けた際に「野球好き」ということをアピールしたら、ご担当の方がプレゼントしてくれた(笑)【ちなみに翌年、私の所属していた会社は吸収合併により消滅。いいことは続かないものである

84回目のオールスターゲームである「2013 MLBオールスターゲーム」は、2013年7月16日にニューヨーク・メッツの本拠地シティ・フィールドで行われた。その関係で、よ~く見ると記念ボールの縫い目の刺繍はニューヨーク・メッツのチームカラーであるブルーとオレンジで縫い付けられている。





監督は、ナショナルリーグはサンフランシスコ・ジャイアンツ監督ブルース・ボウチー、アメリカンリーグはデトロイト・タイガース監督ジム・リーランドが務めた。試合は3対0でアメリカンリーグが勝利。地元ニューヨーク・メッツからは、ファン投票でデビッド・ライトが、監督推薦によってマット・ハービーが選ばれ、それぞれ先発出場。

#5 デビッド・ライト(NYM)/捕手は#13 サルバドール・ペレス(KC)


#33 マット・ハービー


しかし、同年のオールスターで最も注目されたのは、この年限りで現役引退を表明、本試合では8回に登板し、MVPを獲得したニューヨーク・ヤンキースのマリアノ・リベラであろう。

#42 マリアノ・リベラ(NYY)




ほとんど記念ボールやサインボールは収集することはないのだが、レジェントであるマリアノ・リベラが最後に出場した「2013 MLBオールスターゲーム記念ボール」は、私のコレクションの中でも特に価値ある一品であろう。(いただきものだけど)

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困った時の神頼み

2017-10-04 00:05:00 | その他グッズ等諸々
念仏機【仏像(阿弥陀仏)タイプ】

念佛機(電子念佛機)は中華仏教圏ではかなりメジャーな法具らしい。香港に住んでいたときに、ちょっと気になってたので15年ぐらい前に下北沢のヴィレッジヴァンガードで購入。

涅槃サウンドで我が家もインスタント極楽浄土

普段からお祈りしているわけではないが、困ったときだけ敬っている(苦笑)。多少なりとも心のカタルシスを感じることができる。


箱に記載されている『老實念佛』っていうのはなんだろう?直訳すれば「真面目な、誠実な念仏」だけど、何かの商品名かブランド名かなぁ?検索すると同名の念仏アプリもヒットする。


祖父は熱心な浄土真宗信者で、僕自身も仏教系幼稚園と高校に通っていたから仏教には親近感がある。宗教は異なるがカナダに住んでいる時は毎週、教会に通っていた。特定の宗教に対し熱心な信仰心があるわけではないが、基本的に私は神を否定しない。それが仏様か、キリストさんか、アラーか、あるいはそれ以外の神様なのかはわからないけど。

普段、神の存在を信じていなかったり考えもしていないのに、人は何か辛い事に直面すると、目に見えないものに頼ろうとする気持ち・本能がある。それが「困った時の神頼み」だと思う。日本人は無宗教と言われているが、『信仰心』は誰の心にもあると思う。

寧ろ、日本人は家に神棚やお仏壇があったり、教会や神社に行ったり、パワースポット巡りをしたり、お祭りやクリスマスなど、無意識に多くの神様に囲まれ日常生活を送っている。



アメリカの心理学研究によると…信仰心のある人は、孤独感に陥ることが少なく、心も安定するらしい。また、信仰心は幸福感のみならず、体の健康にも良い効果を及ぼすらしい。

神様を信じようが信じまいが、無宗教だろうが、それは個人の自由。「信仰心」というものは自然に発生するものだから。でも、無意識に何かに依存することで(イリーガルなものに依存するのはNGだけど)人の心は救われのではないか。と僕は思っている。

オークランド・アスレチックス スーベニアヘルメット

2017-10-03 00:05:00 | その他グッズ等諸々
オークランド・アスレチックス スーベニアヘルメット

はっきりは覚えていないが、アメリカ在住時に行った「オークランド・アラメダ・カウンティ・コロシアム」で野球観戦した際に購入したようなきがする。

一応ヘルメットの形状はしているが、ヘルメットとしての機能性は皆無、日常生活で着用する機会も皆無のため、インテリアにしかならない。20年ぐらい前だと、この手の商品はグッズショップでよく見かけることもあったが、現在はほとんど見る機会がないなぁ。

あくまで観賞用のヘルメットのため、当然のごとく耳あてはなし。耳あてなしヘルメット着用者で個人的に印象的だったのが篠塚利夫選手(巨人)、駒田徳広選手(巨人、横浜)、デーブ・ウィンフィールド(SD,NYY等)等が思いつくが、オークランドで印象的な選手と言えば…

レジー・ジャクソン!



1967~1975年まで在籍時の背番号は「9」で現在は永久欠番(1967年のみカンザスシティ・アスレチックス)


現役最終年の1987年、古巣オークランドに復帰。背番号はNYY、CALで着用した「44」を復帰の際にも着用


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HONDA Marlboro McLaren MP4/4 壁掛け写真

2017-09-28 00:05:00 | その他グッズ等諸々
HONDA Marlboro McLaren MP4/4 壁掛け写真

10年ぐらい前、同時の職場の同僚からいただいた。

マクラーレン・MP4/4は1998年に16戦15勝を挙げ勝率93.7%「無敵」の強さを誇った歴代マクラーレン最強マシン。ターボ時代を象徴するような低いフォルムが輝きを放っていた。カラーリングはマクラーレンの代名詞であるタイトルスポンサーのマールボロ。

#11 アラン・プロスト


#12 アイルトン・セナ




ブラバムから移籍してきたゴードン・マーレーが最後に手がけたF1マシンであり、先代MP4/3に比べてより低重心の扁平なものとなり、彼がデザインしたブラバムBT55を彷彿させるフォルムである。マーレー曰く「88年のマクラーレン (MP4/4) はマールボロの皮を被ったBT55だ」と表現している。

ブラバムBT55(1986年) #7 リカルド・パトレーゼ ※平たい特異なフォルムは「フラットフィッシュ(ヒラメ)」とも揶揄された

話をマクラーレン・MP4/4に戻すと、エンジンはTAGポルシェからウィリアムズで成功を収めていた第2期ホンダを採用し、かなり突貫で製作されたマシン。ブラバムBT55のコンセプトを引き継ぎ低重心化を狙い、先代からのフロントサスペンションのプッシュロッドをプルロッドに改良。以後MP4/5Bまで採用される。シャシーは従前通りオス型成型のカーボンモノコックにアッパーカウルを被せる手法で、こちらはMP4/6まで継続して採用される。

最強を世に知らしめたこのマシンも「ターボエンジン禁止」間際で、1.5ℓターボから翌年1989年は3.5ℓNAに切り替わりる。まさにいい時期のホンダエンジンとアイルトン・セナとアラン・プロストの融合により、F1史上最強マシンになった。当時のF1はずんぐりしたフロントノーズが主流だったが、MP4/4は細く洗練されたシャープなノーズに仕上がっており、ひときわ目立ち美しかった。


我々世代の人間にとっては「マクラーレン・ホンダ」は特別な響を奏でる固有名詞だったが、それから約30年後の2017年9月4日、「マクラーレン、ホンダと別離へ」のニュースが飛び込む…。

かって、憎たらしいほど強かったマクラーレンとホンダの2度目のジョイントは…ホンダがマクラーレンに見捨てられる形で終焉を迎える。(前回はホンダが惜しまれつつ撤退したのとは大違い)今と昔のホンダは違う…。分かっているけど、そんなこと想像したくなかった…寂しい限りである。

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王貞治監督退任記念サイン色紙

2017-09-18 00:05:00 | その他グッズ等諸々
王貞治監督退任記念サイン色紙

2008年9月27日、千葉マリンスタジアムにて購入。

当日は福岡ソフトバンクホークス王監督 関東最終戦。野球を始める切っ掛けは、当時ブラウン管の向こうから輝くほどの大活躍を目の当たりにした原辰徳選手(巨人)や掛布雅之選手(阪神)の影響からだったが、野球を愛するきっかけを与えてくれたのは王貞治監督だった。

まだ、私が小学生の頃、後楽園球場のスタンドにて畏れ多くも王監督に「僕、大きくなったら巨人に入るから待ってねぇ~」と話しかけてしまうという非礼を犯したにもかかわらず、王監督は笑顔で「おぅ、待ってるぞ~」を微笑み返してくれた。偉大な選手であり、偉大な監督であった王監督は人間性も偉大な方であった。

それから、王監督の現役時代に関する本をむさぼるように読み返し、その野球に対する真摯な姿勢に感銘を受けた。

2008年9月27日、千葉ロッテは偉大なる王監督のために千葉マリンスタジアムでサヨナラセレモニーを実施。その偉大なる配慮にも感銘を受けた。

千葉ロッテ ボビー・バレンタイン監督から花束を受け取る王監督



私は、大声で王監督に感謝のエールを送った。試合は大粒の涙でほとんど見れなかった。憧れの人がグランドから去ることがここまで私を感傷的にするのかと、自分でも驚いた。

そんな王監督の記念品が欲しく購入したのが王監督の写真入りサイン色紙。もちろんサインは直筆というわけではないが、監督として最後の勇姿を常に自宅で拝見できることは大きな喜びである。

巨人監督時代(1984~1988)


福岡ダイエー監督時代(1995~2004)




福岡ソフトバンク監督時代(2005~2008)


WBC日本代表監督時(2006)

イチロー選手とともに。監督としても世界一の栄光に輝く


王監督が宙に舞う姿は誰よりも美しかった。


ありがとうございました、王監督!

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球団消滅とバンクーバー・グリズリーズ

2017-06-06 00:05:00 | その他グッズ等諸々
2004年、プロ野球再編問題で球団が事実上消滅してしまった「大阪近鉄バファローズ」。多くの野球ファン、そして当事者である大阪近鉄バファローズ関係者、ファンの悲しみは計り知れないものがあったはず。

私も大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブの合併は断固反対の立場で微力ながら署名活動に参加した。しかし、両球団の合併に伴い新球団を創立するという話を聞いてから合併反対の立場から急にトーンダウンした。

私は以前、地元チームが消滅するという憂き目に遭っていたにも関わらず、大阪近鉄バファローズ存続活動から新球団を含めて12球団維持なら、合併もやむを得ないという方向へシフトしてしまった。何が何でも「大阪近鉄バファローズ」の存続を求めたのではなく12球団制を維持することが最終目的だったに過ぎなかったのだ。当事者の悲壮感・虚無感というものが共有できていなかった。これは大阪近鉄バファローズ関係者、ファンに対し裏切り行為だったと今でも後悔している。

さて、私が地元チーム消滅という事態に直面したのはバンクーバー在住時。NBAに所属する「バンクーバー・グリズリーズ」が2001年にメンフィスに移転してしまった。そう、正確には移転のため「グリズリーズ」は消滅したわけではないが、もうバンクーバーのチームではないと言う時点でほぼ消滅と同様のニュアンスであり、虚無感が拭えなかった。

恐らく、この感覚は福岡から所沢に移転してしまった「ライオンズ」のファン、大阪から福岡に移転してしまった「ホークス」のファンと同じような空虚感だったと思えた…。


さて、その「バンクーバー・グリズリーズ」。
とにかく弱かった!(笑)


#10 マイク・ビビー


#3 シャリーフ・アブドゥル=ラヒーム


#50 ブライアント・リーヴス


バンクーバーに居を構えた6年間の通算成績は101勝359敗。勝率は.220。単純に5回に1回しか勝てない計算になる。これはNBA史上最悪の成績だそうだ。移転の際は「ありがとう、今までになかったぐらい最悪のチーム」といったボードが掲げられるぐらいだったし…



NBA過去最悪10チームの中で1997年のバンクーバー・グリズリーズが9位にノミネートされている(1分16秒あたりから)

さらに選手の給料等支出はアメリカ・ドルなのに、収入は当時米ドルに対し約3/4の価値しかなかったカナダ・ドル。で、この低成績で人気が出ない→客は入らない→収入が増えないの悪循環。正直、メンフィス移転は仕方なかったとも思えるが、地元チーム流出は相当ショックだった。頭では理解できている、でも理性はコントロールできない状態だった。

また、バンクーバーという街はスポーツに関して言えばNHLのカナックスが中心に添えられていてグリズリーズに興味を持つ人は、それに比べ極端に少なかった。それも移転の原因の一つだったかもしれない。


グリズリーズの試合観戦のため、私も数十回とGMプレイスに足を運んだが勝った試合を見たのは僅か1回のみ!通算勝率は2割だが、私が観戦した試合に関しては勝率1割以下だった。そうか、私がグリズリーズの疫病神だったのか!(苦笑)

でも、人気のない対戦相手だと5ドル(約350~400円)で入場できて、NBAをそれだけ安価で観戦できたのは大きな魅力であった。(過去存在したbjリーグや現在運営中のBリーグでは、当然そんな安価で観戦なんかできないしねぇ)


そんなこんなでバンクーバーを去ることになったグリズリーズ。で、私が今最も後悔していることが手元にグリズリーズグッズがない!デザインがダサいからといって買い控えしなければよかった…

唯一あるのがマグネットぐらいか…

上段左より「バンクーバー・グリズリーズ【NBA】」「バンクーバー・カナックス【NHL】」
中断左より「エドモントン・オイラーズ【NHL】」「モントリオール・カナディアンズ【NHL】」「オタワ・セネターズ【NHL】」
下段左寄り「オークランド・アスレチックス【MLB】」「モントリオール・エクスポズ【MLB】」

1歳の娘がかじりまくるので「バンクーバー・カナックス」「エドモントン・オイラーズ」「モントリオール・カナディアンズ」「オタワ・セネターズ」は塗装がはげてもうた…娘めぇ~(苦笑)



さて、グリズリーズがバンクーバーを去ってから、NBAは全く観戦しなくなった。

日本に戻ってからも、しばらくはバスケットボールを見ることはなかったが、仕事で関わることになった「2006年バスケットボール世界選手権」の開催がきっかけとなり、当時居住していた東京に本拠地を構えるbjリーグ・東京アパッチ戦を観戦するようになった。

Go!アパッチ Go! 大好きだったなぁ、東京アパッチ

が、東日本大震災の余波でチームが消滅…。また観戦する機会が途絶えた。でも、Bリーグになってからはbjリーグと異なりプレイオフはTV感染できるようになったので、バンクーバー・グリズリーズに熱を上げていたときほどではないにしろ、少しづつバスケットボールを見る機会が増えてきた。栃木が初代チャンピオンに輝いたプレーオフ、面白かった!現在住んでいる千葉にはホームチームがある!地元:千葉ジェッツの試合を見に船橋アリーナに今年こそ足を伸ばしてみよう!

※ちなみに昨年、メチャ近所のキッコーマンアリーナで、NBLの日立サンロッカーズ東京がスポットで対西宮ストークス戦を開催していたが…どちらも地元チームじゃなかったから積極的に行く気にならなかったんだよねぇ…



大学時代にちょっとだけスリーオンスリーをしていた時期はあるが、基本的にはバスケットボールとはあまり接点がなかったオレが多少なりとも、そこそこ関心があるのは、マンガ「SLAM DUNK」の影響なんだろうなぁ~。この前、息子がよく行っている児童館の図書室で久しぶりにSLAM DUNKを読んだが…面白かった!ホント偉大な作品だったと再認識。



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野球日本代表アクリルキーホルダー

2017-03-20 21:11:29 | その他グッズ等諸々
先日、息子の依頼で「野球日本代表&巨人 ストラップ」を作成

遠慮という言葉を知らない彼から(笑)、今度は日本代表でキーホルダー作ってと頼まれ…





「野球日本代表アクリルキーホルダー」作ったさ。


写真で見るとよくわからんが、実物はまぁまぁ、それなりに大きなサイズでした。


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野球日本代表&巨人 ストラップ

2017-03-15 12:39:30 | その他グッズ等諸々
ワタクシは大の野球好き。

息子のその影響を受け、徐々に野球を観戦するようになる。うん、いい傾向だ(笑)

現在、開催中の「2017 WBC」も興味あるのは日本代表だけだけど、就寝時間ギリギリまでしっかりTV観戦してる。とーちゃんは嬉しいぞ!
巨人ファンになってしまったのは少々計算外だったが(苦笑)野球に興味ある訳だから、とーちゃんは嬉しいぞ!


そんな、カワイイ息子の頼みでオリジナルストラップを作ってみた。




初めての試みだったので、細かいところで少々失敗はあったが、まぁ、素人作だからこんなもんだろ。

喜んでくれたら嬉しいなぁ~

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