入間カイのアントロポゾフィー研究所

シュタイナーの基本的な考え方を伝えたいという思いから、日々の翻訳・研究作業の中で感じたことを書いていきます。

シュタイナーの「カミング・アウト」-霊能力をめぐって-

2006-03-21 23:54:17 | 霊学って?
シュタイナー思想について、僕が常々考えていることの一つが「霊能力」の問題である。「霊が見える」とは、どういうことなのか?

シュタイナーという人は、幼い頃から他の人々には見えないものが見えていた。自然の中の精霊や、死者の存在が身近に感じられたという。
この特殊な能力のために、シュタイナーは非常に孤独だった。すでに子ども心に、自分が親しんでいる「霊的な世界」について他の人たちに話したりすれば、理解されないどころか、白い目で見られてしまうことが分かっていたのだ。

若い頃のシュタイナーは、自分にとっての「現実」である霊的な世界と、他の人々にとっての「唯一の現実」である目に見える世界との折り合いをつけるために、大変な苦労を重ねた。科学や哲学を学び、自分が見ている霊的世界を「理解」しようとしたのである。

シュタイナーの自伝には、「私は沈黙しなければならないのか?」と題された章がある。彼が、自分にとって身近な霊的世界について語るべきか否か、を突きつめて考えたのは、40歳の頃だ。シュタイナーにとっては、霊的世界の存在は、それなしでは生きる意味が見出せないほど真実なものであった。でも、それを語ることは、無理解にさらされるし、それまで彼が一歩一歩築き上げてきた、「まともな評論家・学者」としての社会的立場を切り崩しかねない。

結局、彼は「沈黙」ではなく、「語る」ことを選んだ。そして、今日の僕たちが知っている「シュタイナー学校の創始者」であり、「オカルティスト」でもあるシュタイナーの生き方が始まった。

シュタイナーの人生におけるこの「転機」は、いわゆるシュタイナー派の人々の間では、「偉大な秘儀参入者」(一般社会からは隠された特別の秘密の知識を学ぶことができた人)が、ついに人類に対してその叡智を公開する覚悟を決めた偉大な瞬間であるかのように語られることが多い。

それはそうかもしれないが、僕は、基本的に、シュタイナーのこのときの決断は、今日でいうところの「カミング・アウト」だったと思っている。言わずもがなのことだが、カミング・アウトというのは、同性愛や性同一性障害の人々をはじめ、一般に「少数派」とされている人たちが、長いこと世間に対しては「本来の自分らしさ」を偽って生きてきて、それが苦しくなり、ついには「自分は~なんだ!」と公表することをいう。

シュタイナーの生きていた当時は、作家オスカー・ワイルドの例でも知られているように、同性愛はまったく許されることではなかった。また、シュタイナーのように「普通の人には見えないものが見える」などといえば、一種の精神障害とみなされる危険は十分にあったと思う。実際に、彼が霊的世界について語り始めてからは、それまで親交のあった著名な文化人たちは、一斉に離れていったのだ。

シュタイナーは、何よりも自分自身に忠実であろうとしたのだと思う。シュタイナーの思想は、「一人ひとりの自分らしさ」に最大の価値をおいている。そして、もし自分に、人には見えないものが見え、聞こえないものが聞こえるのであれば、そのような自分を全力を傾けて肯定するのである。

他の人には見えない「霊」の姿が見え、「霊」が語る言葉が聞こえることは、いわゆる精神障害とされる症状にも通じるところがある。つまり、いわゆる霊能力と精神障害は紙一重といえるのではないか。違いの一つは、自分の自由意志で何かを見ることができるか、また、そこに見えていることを自分で理解できるかどうか、ということだろう。しかしそれ以上に、いわゆる霊能力と精神障害のもっとも大きな違いは、「それが苦しいかどうか」ではないか、と僕は思っている。もちろん、霊能者の中には、自分の意志とは関係なく、勝手に何らかのヴィジョンを見せられてしまい、長いことそれに苦しめられた、という人は少なくない。しかし、何かが見えてしまうこと、聞こえてしまうことが、本人にとって苦しくてたまらず、そこから抜け出したいとあがいているなら、助けが必要である。

実際、イギリスの作家コリン・ウィルソンが評伝『ルドルフ・シュタイナー』の中で紹介しているエピソードに、確かこういう話があった(この本がいま手元になく、うろ覚えなので、もし違っていたら後で訂正したい)。人と会うたびに、その人の前世のイメージが見えてしまい、苦しくなった人が、シュタイナーのもとに相談に来た。シュタイナーは、その人に特殊な瞑想法を教え、それを続けるうちに、その人にはもはや他人の前世のイメージは見えなくなり、それに悩まされることはなくなったという。

これは幻視、幻聴といった症状に悩まされている人が、薬を処方されて、その症状から解放されることとまったく変わらない(もちろん、薬の副作用や、自分の意志で薬を飲むのか、飲ませられるのか、世間からどのように扱われるかなど、個別のケースで複雑な要素が絡むことはいうまでもない)。

いわゆる精神障害とされる人の幻視・幻聴は、現実とは一致せず、霊能者の霊視・霊聴は現実と符合する、という異論を唱える人があるかもしれない。しかし、およそすべての感覚は、何かを知覚しているのである。どのような感覚であれ、何かに対応して生じている。つまり、幻覚という症状からも、なぜそのような症状が起こるのかを考えること、そこから何かを読み取ることはできるのである。

この「考える」こと、そして「読み取る」ということに、すべてがかかっている。なぜ自分にこういう状況が降りかかってくるのか、それについて考え、自分の人生を理解しようとあがくという点は、「少数派」といわれる人々に限らず、すべての人に共通しているのである。

この点を見過ごすと、シュタイナーという人を特別視してしまう。確かに、彼は大多数の人とは違っていた。しかし、僕たちはみな、一人ひとりが「他の大多数」とは違う何かを持っている。シュタイナーという人の偉大さは、その「霊能力」にあるのではない。まだ同性愛も、精神障害も今よりももっと強い差別にさらされていた時代にあって、自分の「特殊な個性」を認め、さらに他の人々にも理解できるような言葉で、自分が見ているものを丁寧に語る努力をし続けていた、というところに、僕はシュタイナーの偉大さを見ている。

そして、今日でも、何らかの「少数派」の傾向をもち、世間の「白い目」にさらされることを恐れている人たちが、あえてそのような自分を認め、自分を理解しようと努め、それを一般の人々にも理解できる言葉で語ろうと試みるなら、それはシュタイナーと同様に偉大な行為である。そのような試みの中からこそ、アントロポゾフィー(人間の知恵)は生まれ、その知恵は多くの人を支えることになるだろう。
(上の写真は、18歳のシュタイナー)

霊学って?(2)

2006-03-20 04:40:29 | 霊学って?
「霊」って何だろう?
幽霊とか、守護霊とか、「肉と霊」といった言い方をするとき、その「霊」なるものは、いったい何なのだろうか?
まず基本的なこととして、「この私が、霊なのだ」ということに気づくことが重要である。たとえば、霊能者が相手に向かって、「あなたの前世は、お姫様でした」と言ったとすれば、それはその相手の「私」という意識が、今は記憶もないけれど、過去のある時点で、「お姫様である私」という意識をもって生きていた、ということだ。それが本当であるかどうかは、ともかくとして。

いまの「私」は、会社員とか、学生とか、フリーターとか、男とか、女とかいう自己意識をもっているかもしれない。しかし、その同じ「私」が、過去のある時点では、サムライとか、騎士とか、お姫様という自覚をもっていたとすれば、その時々の「私は~である」という「~」にあたる部分は変化するとしても、「私」そのものはずっと存続していることになる。
「霊は存在する」ということは、「私は、不変である」といっているのと同じことだ。変わるのは、その時々の「私」を形容し、特徴づけている女とか男といった性別や、性格や、生きている状況などの属性にすぎない。

ということは、「私には霊が見える。あなたの背後には霊がいる」と言っている人は、そこに何者かの「私」を知覚しているということになる。その「私」には、目に見える属性はない。しかし、幽霊とか守護霊などというように、恨みや悲しみといった感情や、守護するという働きなど、目にみえない属性をともなうことがある。
ただし、一般に幽霊とか怨霊とか、生霊という場合、それが強烈な感情の痕跡であって、その痕跡が気配として感知されているのか、それとも本来の「霊」(つまり「私」)そのものが存在しているのかは、区別がむずかしいところだ。

シュタイナーは、徹底してこの「私」にこだわった。シュタイナーの霊学とは、「私とは何か?」「私は何者なのか?」を探求する学問だといってよいだろう。なぜなら、霊とは、すなわち「私」なのだから。

ちょうど先ほど、日テレの「ドキュメント’06」という番組を見た。あるご夫婦についてのドキュメンタリーだったが、涙が出るほど心を揺り動かされた。夫はアルツハイマーの認知症が進行していて、記憶をどんどん失っていく。その彼の「私」を支えているのが、歌うという行為である。妻は、「夫が歌を歌っているあいだは、彼自身でいられる」といって、ついにはお店をたたんで、彼が最後まで歌を歌えるように支えている。
お二人のお店が、ちょうど三鷹のシュタイナー学校が移転した先の神奈川県藤野町にあることにも驚いたが、僕は、この女性がひたすらパートナーの「私」に向かおうとしている姿に感銘を受けた。それは、シュタイナー思想(人智学/アントロポゾフィー)が目指していること、そのもののように思えた。
夫の「私」を感じ取るのは、妻自身の「私」である。たぶんテレビには映らないこと、外からはうかがい知ることのできないご苦労や、きれいごとでは済まされないこともたくさんあるのだろうが、人間の価値は、「私」のなかにあるということを感じさせてくれる番組だった。
人間の尊厳や、自己としての一貫性は記憶のなかにあるので、事故やアルツハイマー病などで脳が損なわれ、記憶を失えば、「私」そのものが消えていくように感じられる。けれども、シュタイナー思想の観点からいえば、脳は「霊」を映し出す鏡である。鏡が壊れてしまえば、霊(すなわち「わたし」)の働きは、この世には反映されなくなる。アルツハイマー病の人の活動は、だんだんに物質の次元から霊の次元に移っていくことになる。
霊そのものに目を向けようとするなら、一人ひとりの「私」が失われることはない。けれども、この物質の世界にあって、霊を感じ取ろうとすることは、ものすごい意識的な努力が必要である。

シュタイナーはあるとき、アントロポゾフィーとは何か、という問いに対して、このように答えた。「アントロポゾフィーとは、自分が頭で理想として目指していることと、実際の自分の身体がどっぷり浸っている社会的価値観との間で引き裂かれ、そんな自分に絶望することのなかに生じるものである。人間の歴史のなかで、およそすべての価値あるもの、創造的なものは、悲しみのなかから生まれたのだ。」

僕は、シュタイナーのこの言葉のなかには、彼が自分の思想に「アントロポゾフィー/人智学」(人間の知恵)という名前をつけた理由が込められていると思っている。
サンテグジュペリの『星の王子様』ではないが、「本当に大切なものは、目にはみえない」。社会からすぐには認められないもの、自分ひとりにしかその価値が感じ取れないもの、そういうものこそ、シュタイナーのいう「霊的」なものなのである。
一人ひとりの「私」が、霊的なもの、目にみえないものを守ろうと懸命に努力するとき、その努力のなかで、アントロポゾフィーが、つまり人間本来の「知恵」が働くというのである。(アントロポゾフィーとは、ギリシャ語で、「アントロポス=人間」と「ソフィア=知恵」の合成語である。)

その意味で、シュタイナーのいう霊学は、特殊な「霊能力」をもった人が伝える「教え」などではなく、一人ひとりが自分が感じる「大切なもの」を守ったり、育てたりするための道具なのだと、僕は思っている。
(上の写真は、43歳のルドルフ・シュタイナー)

霊学って?(1)

2006-03-19 20:39:51 | 霊学って?
スイスに、バーゼルという都市がある。ドイツとフランスに国境を接したところで、バーゼル駅としては、ドイツ側とスイス側に二つの駅がある。
スイス側のバーゼル駅から、さらに電車で10分ほど行ったところに、ドルナッハという村がある。ドルナッハ駅を降り、坂道を歩いて登っていくと、丘のうえに「ゲーテアヌム」という大きな建物が見えてくる。
この建物は、正確には「第2ゲーテアヌム」と呼ばれている。「第1ゲーテアヌム」のほうは、木造の建物だったが、1922年大晦日に焼けてしまった。おそらく何者かに放火されたのだろうといわれている。
現在のゲーテアヌムは、シュタイナーが模型をつくり、彼の死後に完成された(写真はシュタイナーによる第2ゲーテアヌムの模型)。

シュタイナーの思想は、教育、農業、医学、自然科学、芸術など、さまざまな分野に応用されている。そうした活動を「人智学(アントロポゾフィー)運動」ともいう。そして、世界各地で展開されている「アントロポゾフィー運動」の窓口、もしくはまとめ役になっているのが、このゲーテアヌムというわけだ。

ゲーテアヌムは、いわゆる「アントロポゾフィー(人智学)協会」の中心地なのだ。
こういう「協会」には、シュタイナー思想にどっぷりつかって、すっかりそれを信奉している人が入るのだろうと思われるかもしれない。でも、実のところ、シュタイナー自身はそういう会のあり方を避けようとしていた。
シュタイナーは、はっきりと「この協会は、アントロポゾフィーの正しさを信じている人ではなく、アントロポゾフィーとはどんなものか、もっとよく知りたいと思う人が、気軽な気持ちで入れる場所でなければならない」と書いている。
それでも、実態としては、そういうシュタイナーの意図にもかかわらず、がちがちのシュタイナー主義者が集まる場所になってしまった感もある。しかし、現在のゲーテアヌムの人たちは、ふたたび協会を外に開き、気軽に訪問できるような情報センターのようなものに変えようと努力しているようだ。

さて、このゲーテアヌムには、さらに「霊学のための自由大学」というものがある。シュタイナーは、この「霊学のための自由大学」には、実際にアントロポゾフィーがどんなものかが分かって、アントロポゾフィーと自分との結びつきをしっかり感じた人に入ってほしいと願っていた。
ただし、この「自由大学」も秘密結社のようなものではなく、普通の大学や学校と同じように、「霊学」を段階をおって習得できる場所であるはずだった。それなのに、どこか人に入会をためらわせるようなものになってしまったのは、「霊学とは何か?」、「霊とは何か?」ということが、あいまいなままになっているからではないかと思う。

とくに、日本では、シュタイナーが使った「ガイステスヴィッセンシャフト(Geisteswissenschaft)」という言葉を「霊学」と訳したり、「精神科学」と訳したりしている。霊学といえば、どこか宗教的、場合によっては怪しげな印象を与えるかもしれない。その点、精神科学といえば、アカデミックな響きもあって、無難かもしれない。しかし、シュタイナーが、「生まれ変わり」(輪廻転生)のように、明らかに日本語で「霊的」といわれるような現象についても語っているのも確かなのである。
日本でシュタイナーについて語るときは、無難であろうとして、「霊」という言葉を避けるよりも、シュタイナーが「霊」や「精神」(どちらもガイスト/Geistの訳語)という言葉で、何を意味していたのかを明らかにする必要があるだろう。

そこで、まずは「霊とは何か?」ということを見ていきたい思う。

ミニブタの気質?

2006-03-18 18:25:06 | 日々の雑感
今日、「テレビチャンピオン」という番組で、ミニブタの調教とレースというのを見た。
僕の住んでいる鹿児島では、オンエアの時期にかなりずれがあるので、実際にはいつごろ放映されたのだろうか。僕にとっては発見だった。ミニブタという存在さえ、知らなかった。最近では、ペットとして人気があるらしい。
移動動物園の園長として長年動物の調教に携わってきた人、イノシシの調教の専門家、ミニブタのショーのトレーナーである若い女性の3人が、初めは言うことを聞かず、飼い主をてこずらせているミニブタを一匹ずつ、14日かけて調教し、最後にレースにのぞむ。
番組全体を見られなかったのだが、僕にとってインパクトがあったのは、「ミニブタにも、明らかに気質がある」ということだった。

気質というのは、シュタイナーの人間観の基本で、地水火風の四つの元素で人の体質や気質を見ていく。
地の気質は、「憂鬱質」とも言われ、体型は痩せ型、思索的だが、くよくよと悩んだりする。
水の気質は、「粘液質」とも言われ、体型は丸みを帯びていて、自分に耽溺する傾向があり、食べることが好きである。
火の気質は、「胆汁質」とも言われ、体型はずんぐりしていて、いわゆる「猪突猛進」タイプ、意志の力で障害をはねとばそうとする。
風の気質は、「多血質」とも言われ、体型はすらっとしていて、風のように関心が移ろいやすい。

調教されている三匹のミニブタを見ていて、さすがに悩み多き地の気質(筋張った痩せ型のブタ?)はなかったが、それ以外の気質が見事にあらわれていると思った。
白いミニブタの「チャンプ」は、小さくて愛らしいが、気に入らないことがあるとすぐに人を噛む癖があった。動きはすばやいが、注意力が散漫だった。手押し車に前足をのせて二足歩行で進むレースでは、鼻で押すワザを自分であみ出し、風のように疾走していた。
白黒のミニブタの「ミルキー」は、からだも大きく、すごい力で飼い主をずんずんと引っ張って歩く。苗の新芽が好物で、それを食べているときは、いくら引き離そうとしても、頑としてその場を動こうとしない。ボールをゴールに入れるサッカーの練習では、ボールの前に手をおくと、エサをとられると思って突っかかっていく。でも、トレーナーとともに、大いなる意志の力を発揮して練習に励んでいた。
黒いミニブタの「トム」は、ずんぐりした体型で、最初は周囲の人々に対してまったく無関心だった。おかしかったのは、レースのとき、最初はリードしていたのに、リンゴを食べるところで、後からきたミルキーに追い抜かれたことだ。水の気質は、ゆっくり味わって食べるのが好きなのだ。トムだけは、普段から「水」が大好きだったし・・・。

以前から、動物にははっきりした性格の違いがあると思っていたが、こうした気質の違いを意識したことはなかった。シュタイナーの用語でいえば、動物には、物質の体(地の元素)と生命体(水の元素)に加えて、感覚体(風の元素)がある。人間の場合は、そこにさらに自覚体(火の元素)が加わる。
でも、このミニブタたちを見ていて、動物には「四つの体」(元素)がすべて備わっているのではないかと思うようになった。人間の特徴である、「自分はいずれ死ぬ」という意識や、「自分はどこから来て、どこへ行くのか?」といった自己の運命に対する意識は、いわゆる第五元素(Quintessence)から来ているのではないか・・・。

なんにしても、あのミニブタさんたちは「愛されて」いた。家族からも、トレーナーの人たちからも。食って寝るばかりと思われているブタさんの潜在能力を引き出すのは、人間の子どもと同様、コミュニケーションとか、愛情といったものなんですね。

子ども時代から霊学へ

2006-03-18 07:24:22 | 霊学って?

このブログを始めるにあたって

まずこのブログを始める理由を書いておきたいと思う。
ひとつのきっかけは、「シュタイナー研究所」の活動を責任をもって引き受けることにした、ということ。
実は、これ、僕が一番やりたくないことだった。

バカみたいだが、そんなことをして、他の人々からどう思われるか、という思いがある。息子さんが帰ってきたのね、とか、結局あの人も親の側につくのかとか、そんなことを言われるのではないかと思ってしまう。
人は、そんなに他人のことをあれこれ考える余裕はないし、そもそもシュタイナー研究所なんてものに、多大な関心を払っている人なんてほとんどいないだろう。
それでも僕は気にしている。シュタイナー研究所にかかわると思うだけで、冷汗が出てくる。

たぶん、僕のプライドが邪魔をしているのだ。僕はこれまで、父のシュタイナー思想への向かい方にも、母の幼児教育やシュタイナー学校建設のやり方にも、きわめて批判的だった。というか、僕は(42歳にもなって)いまだに父と母のことが大好きなのだが、彼らは僕がどうしても賛成できないようなことばかりしてくれる。
僕がシュタイナーの思想と自分自身で取り組み、自分自身の理解をもつにつれて、ただ親だからという理由で、彼らの側に立つことは、自分自身の自由を損なうように感じられるようになった。まあ、40年以上生きているのだから、いろんなことはある。悲しいけれど、別々の道を行くことになったのだと考えていた。

ところが、ある事情から、父母が始めたシュタイナー研究所に全面的にかかわる必要が出てきたのだ。
今度は、父も母も、僕がかかわることを喜んでくれているようだ。僕も自分が生まれるときに選んだ親の力にはなりたい。僕の好きなようにやっていいという。だったら、僕自身が以前からやろうと思っていた「シュタイナーの基礎資料や最前線の情報を提供する」という作業をシュタイナー研究所でやってみようか。でも、親は、とくに母親のほうは、本当に僕に全面的に任せてくれるのか。そのうえ、他の人たちからは、僕がこれまでの経緯にもかかわらず、親と一緒になったと思われたりしたら、どうしようか。そんな不安を拭いされないのが、今の僕の状態である。

そこで、このブログを始めることにした。自分自身の現在の思いをつづって行きたい。もちろん、第一には自分自身の精神安定のためである。自分が何を目指して、シュタイナー研究所を引き受けることにしたのか、それをどこかに書き付けておかなければやってられない、という感じなのだ。これを読んだ人のなかには、潔くないとか、優柔不断だとか、思う人もあるだろうが、残念ながら今の僕はそういう人間である。

でも、もうひとつ、このブログに託している思いがある。それは自分が見ているシュタイナー思想の基本的な部分を、その時々の自分の状況に引きつけながら、書いていきたいということだ。
僕はこれまでの人生のなかで、シュタイナー思想に傷つけられもしたが、やはり大いに支えられてきたと思っている。いや、正確にいえば、傷つけられたのは、シュタイナーをめぐる状況にであって、シュタイナー思想そのものが僕を傷つけることはなかった。むしろ、シュタイナー思想との取り組みのなかで、そしてそんな僕を理解してくれる人々の愛のなかで、僕は生きてこれたのだと思う。

僕を傷つけたのは、シュタイナー思想にかかわる人々が、僕自身を含めて、外に対しては美しい、耳に心地のよい言動を続けながら、それとは正反対のありとあらゆる問題を内部に覆い隠しているという状況だった。不安や猜疑心や嫉妬や敵対心などの感情を持つこと自体が悪いわけではない。差別や偏見は誰の心のなかにも多かれ少なかれ、潜んでいるだろう。つらいのは、そういったものをおくびにも出さず、美しい言葉だけをならべたて、その実は、相手を一切信用していないといった状況である。あるいは、現実には経済的にもさまざまな問題をかかえているのに、表向きは一切問題ないという装いを示すことである。

もちろん、そんなことはどこにでもある。ウソはいたるところに蔓延っている。問題は、そういう人たちが実のところ、シュタイナー思想を信じていないということだ。結局、シュタイナー思想はただの理想主義で、現実の社会、現実の物質世界には通用しないと思っている節がある。そして「シュタイナーだけではダメだ」といって、ほかの宗教やら物質的世界観やらにすがっている。でも、そういう人たちは、そもそもシュタイナー思想の基本すら理解していなかったりする。

シュタイナー思想は、宗教ではないから、信じれば救われるというものではない。逆に、自分に突きつけられるもの、自分ひとりで考えるしかない場面が増えるかもしれない。それでも、シュタイナーが提示した「ものの見方」、「人間の見方」は、世界をまったく新しい角度から見せてくれることには違いない。

僕はやはりシュタイナー思想に大きな可能性を見ている。きょうも、小学5年生の男の子が自殺したというニュースがあった。今の社会のすさみ方、生きにくさに対して、本当に有効なオルターナティヴ(べつのあり方)を示せるのは、シュタイナー思想だけだろうとさえ思っている。しかし、それはシュタイナー思想が「あらかじめ出来上がった、既存の思想」として提示されることによってではなく、シュタイナー思想のなかの一つひとつの考え方が、一人ひとりの生きた人間に触れて、その人自身が考えるきっかけとなり、その人自身の「私の思想」として、主体的な行為につながる、という形で作用した場合である。

僕は子どもの頃は不登校だった。幸いにして、中学と高校の時に欧米のシュタイナー学校に留学することができ、大学にも入った(そして退学になり、ご丁寧にも復学して卒業までした)。いまは人から「お仕事は何を?」といわれれば、「通訳・翻訳業」とか「自由業」と答えている。しかし、僕の社会になじめない体質は子どもの頃から変わらない。僕の魂は「ひきこもり」の魂である。

だから、シュタイナー学校に通ったことは、僕にとって社会に受け入れられるための恵みではあったが、シュタイナー学校だから楽しく通えたということではなかった。むしろ、シュタイナー学校にさえ通えなかったら、自分にはもう行き場がないという思いで、必死に通っていた。僕はいまだに学校が苦手だ。ドイツのシュタイナー学校でさえ、子どもたちが集団でいるのを見ると、息苦しくなるのだ。だから、シュタイナー思想でも、教育の部分はずっと避けてきた。

でも、僕は最近、この学校問題にももう一度向かい合おうと思うようになった。シュタイナーが目指していたことが少しずつ見えてきたからだと思う。シュタイナーにとって、「子ども時代」は、すべての人間の原点であり、社会の原点だった。子どもの発達をどう理解するかが、シュタイナー教育やシュタイナー医学、そして彼の革命的な社会論の基盤になっている。
要するに、僕は自分自身の子ども時代に向き合おうとあがくなかで、自分なりにシュタイナーの思想を理解してきた。そこで見えてきたものによって、たぶん僕は自分自身を支えてきた。たとえ、きわめてぐらぐらした、不安定な自分であり続けてはいても。

僕が見ているものをこれからつづっていきたい。繰り返しになるが、それは自分で自分を支えるためであり、同時に、僕自身のあり方を通して、シュタイナー思想の基本的な部分を伝えたいと思うからである。そして、僕が見ているそのシュタイナー思想の基本的な部分が誰かに伝われば、それによってまた僕自身が支えられるのである。

なお、上の写真は、1970年にドイツで撮られたものである。当時、僕は7歳だった。いま僕は、シュタイナー研究所を引き受けることによって、ふたたびこの人たちとかかわろうとしている。