入間カイのアントロポゾフィー研究所

シュタイナーの基本的な考え方を伝えたいという思いから、日々の翻訳・研究作業の中で感じたことを書いていきます。

ミニブタの気質?

2006-03-18 18:25:06 | 日々の雑感
今日、「テレビチャンピオン」という番組で、ミニブタの調教とレースというのを見た。
僕の住んでいる鹿児島では、オンエアの時期にかなりずれがあるので、実際にはいつごろ放映されたのだろうか。僕にとっては発見だった。ミニブタという存在さえ、知らなかった。最近では、ペットとして人気があるらしい。
移動動物園の園長として長年動物の調教に携わってきた人、イノシシの調教の専門家、ミニブタのショーのトレーナーである若い女性の3人が、初めは言うことを聞かず、飼い主をてこずらせているミニブタを一匹ずつ、14日かけて調教し、最後にレースにのぞむ。
番組全体を見られなかったのだが、僕にとってインパクトがあったのは、「ミニブタにも、明らかに気質がある」ということだった。

気質というのは、シュタイナーの人間観の基本で、地水火風の四つの元素で人の体質や気質を見ていく。
地の気質は、「憂鬱質」とも言われ、体型は痩せ型、思索的だが、くよくよと悩んだりする。
水の気質は、「粘液質」とも言われ、体型は丸みを帯びていて、自分に耽溺する傾向があり、食べることが好きである。
火の気質は、「胆汁質」とも言われ、体型はずんぐりしていて、いわゆる「猪突猛進」タイプ、意志の力で障害をはねとばそうとする。
風の気質は、「多血質」とも言われ、体型はすらっとしていて、風のように関心が移ろいやすい。

調教されている三匹のミニブタを見ていて、さすがに悩み多き地の気質(筋張った痩せ型のブタ?)はなかったが、それ以外の気質が見事にあらわれていると思った。
白いミニブタの「チャンプ」は、小さくて愛らしいが、気に入らないことがあるとすぐに人を噛む癖があった。動きはすばやいが、注意力が散漫だった。手押し車に前足をのせて二足歩行で進むレースでは、鼻で押すワザを自分であみ出し、風のように疾走していた。
白黒のミニブタの「ミルキー」は、からだも大きく、すごい力で飼い主をずんずんと引っ張って歩く。苗の新芽が好物で、それを食べているときは、いくら引き離そうとしても、頑としてその場を動こうとしない。ボールをゴールに入れるサッカーの練習では、ボールの前に手をおくと、エサをとられると思って突っかかっていく。でも、トレーナーとともに、大いなる意志の力を発揮して練習に励んでいた。
黒いミニブタの「トム」は、ずんぐりした体型で、最初は周囲の人々に対してまったく無関心だった。おかしかったのは、レースのとき、最初はリードしていたのに、リンゴを食べるところで、後からきたミルキーに追い抜かれたことだ。水の気質は、ゆっくり味わって食べるのが好きなのだ。トムだけは、普段から「水」が大好きだったし・・・。

以前から、動物にははっきりした性格の違いがあると思っていたが、こうした気質の違いを意識したことはなかった。シュタイナーの用語でいえば、動物には、物質の体(地の元素)と生命体(水の元素)に加えて、感覚体(風の元素)がある。人間の場合は、そこにさらに自覚体(火の元素)が加わる。
でも、このミニブタたちを見ていて、動物には「四つの体」(元素)がすべて備わっているのではないかと思うようになった。人間の特徴である、「自分はいずれ死ぬ」という意識や、「自分はどこから来て、どこへ行くのか?」といった自己の運命に対する意識は、いわゆる第五元素(Quintessence)から来ているのではないか・・・。

なんにしても、あのミニブタさんたちは「愛されて」いた。家族からも、トレーナーの人たちからも。食って寝るばかりと思われているブタさんの潜在能力を引き出すのは、人間の子どもと同様、コミュニケーションとか、愛情といったものなんですね。

子ども時代から霊学へ

2006-03-18 07:24:22 | 霊学って?

このブログを始めるにあたって

まずこのブログを始める理由を書いておきたいと思う。
ひとつのきっかけは、「シュタイナー研究所」の活動を責任をもって引き受けることにした、ということ。
実は、これ、僕が一番やりたくないことだった。

バカみたいだが、そんなことをして、他の人々からどう思われるか、という思いがある。息子さんが帰ってきたのね、とか、結局あの人も親の側につくのかとか、そんなことを言われるのではないかと思ってしまう。
人は、そんなに他人のことをあれこれ考える余裕はないし、そもそもシュタイナー研究所なんてものに、多大な関心を払っている人なんてほとんどいないだろう。
それでも僕は気にしている。シュタイナー研究所にかかわると思うだけで、冷汗が出てくる。

たぶん、僕のプライドが邪魔をしているのだ。僕はこれまで、父のシュタイナー思想への向かい方にも、母の幼児教育やシュタイナー学校建設のやり方にも、きわめて批判的だった。というか、僕は(42歳にもなって)いまだに父と母のことが大好きなのだが、彼らは僕がどうしても賛成できないようなことばかりしてくれる。
僕がシュタイナーの思想と自分自身で取り組み、自分自身の理解をもつにつれて、ただ親だからという理由で、彼らの側に立つことは、自分自身の自由を損なうように感じられるようになった。まあ、40年以上生きているのだから、いろんなことはある。悲しいけれど、別々の道を行くことになったのだと考えていた。

ところが、ある事情から、父母が始めたシュタイナー研究所に全面的にかかわる必要が出てきたのだ。
今度は、父も母も、僕がかかわることを喜んでくれているようだ。僕も自分が生まれるときに選んだ親の力にはなりたい。僕の好きなようにやっていいという。だったら、僕自身が以前からやろうと思っていた「シュタイナーの基礎資料や最前線の情報を提供する」という作業をシュタイナー研究所でやってみようか。でも、親は、とくに母親のほうは、本当に僕に全面的に任せてくれるのか。そのうえ、他の人たちからは、僕がこれまでの経緯にもかかわらず、親と一緒になったと思われたりしたら、どうしようか。そんな不安を拭いされないのが、今の僕の状態である。

そこで、このブログを始めることにした。自分自身の現在の思いをつづって行きたい。もちろん、第一には自分自身の精神安定のためである。自分が何を目指して、シュタイナー研究所を引き受けることにしたのか、それをどこかに書き付けておかなければやってられない、という感じなのだ。これを読んだ人のなかには、潔くないとか、優柔不断だとか、思う人もあるだろうが、残念ながら今の僕はそういう人間である。

でも、もうひとつ、このブログに託している思いがある。それは自分が見ているシュタイナー思想の基本的な部分を、その時々の自分の状況に引きつけながら、書いていきたいということだ。
僕はこれまでの人生のなかで、シュタイナー思想に傷つけられもしたが、やはり大いに支えられてきたと思っている。いや、正確にいえば、傷つけられたのは、シュタイナーをめぐる状況にであって、シュタイナー思想そのものが僕を傷つけることはなかった。むしろ、シュタイナー思想との取り組みのなかで、そしてそんな僕を理解してくれる人々の愛のなかで、僕は生きてこれたのだと思う。

僕を傷つけたのは、シュタイナー思想にかかわる人々が、僕自身を含めて、外に対しては美しい、耳に心地のよい言動を続けながら、それとは正反対のありとあらゆる問題を内部に覆い隠しているという状況だった。不安や猜疑心や嫉妬や敵対心などの感情を持つこと自体が悪いわけではない。差別や偏見は誰の心のなかにも多かれ少なかれ、潜んでいるだろう。つらいのは、そういったものをおくびにも出さず、美しい言葉だけをならべたて、その実は、相手を一切信用していないといった状況である。あるいは、現実には経済的にもさまざまな問題をかかえているのに、表向きは一切問題ないという装いを示すことである。

もちろん、そんなことはどこにでもある。ウソはいたるところに蔓延っている。問題は、そういう人たちが実のところ、シュタイナー思想を信じていないということだ。結局、シュタイナー思想はただの理想主義で、現実の社会、現実の物質世界には通用しないと思っている節がある。そして「シュタイナーだけではダメだ」といって、ほかの宗教やら物質的世界観やらにすがっている。でも、そういう人たちは、そもそもシュタイナー思想の基本すら理解していなかったりする。

シュタイナー思想は、宗教ではないから、信じれば救われるというものではない。逆に、自分に突きつけられるもの、自分ひとりで考えるしかない場面が増えるかもしれない。それでも、シュタイナーが提示した「ものの見方」、「人間の見方」は、世界をまったく新しい角度から見せてくれることには違いない。

僕はやはりシュタイナー思想に大きな可能性を見ている。きょうも、小学5年生の男の子が自殺したというニュースがあった。今の社会のすさみ方、生きにくさに対して、本当に有効なオルターナティヴ(べつのあり方)を示せるのは、シュタイナー思想だけだろうとさえ思っている。しかし、それはシュタイナー思想が「あらかじめ出来上がった、既存の思想」として提示されることによってではなく、シュタイナー思想のなかの一つひとつの考え方が、一人ひとりの生きた人間に触れて、その人自身が考えるきっかけとなり、その人自身の「私の思想」として、主体的な行為につながる、という形で作用した場合である。

僕は子どもの頃は不登校だった。幸いにして、中学と高校の時に欧米のシュタイナー学校に留学することができ、大学にも入った(そして退学になり、ご丁寧にも復学して卒業までした)。いまは人から「お仕事は何を?」といわれれば、「通訳・翻訳業」とか「自由業」と答えている。しかし、僕の社会になじめない体質は子どもの頃から変わらない。僕の魂は「ひきこもり」の魂である。

だから、シュタイナー学校に通ったことは、僕にとって社会に受け入れられるための恵みではあったが、シュタイナー学校だから楽しく通えたということではなかった。むしろ、シュタイナー学校にさえ通えなかったら、自分にはもう行き場がないという思いで、必死に通っていた。僕はいまだに学校が苦手だ。ドイツのシュタイナー学校でさえ、子どもたちが集団でいるのを見ると、息苦しくなるのだ。だから、シュタイナー思想でも、教育の部分はずっと避けてきた。

でも、僕は最近、この学校問題にももう一度向かい合おうと思うようになった。シュタイナーが目指していたことが少しずつ見えてきたからだと思う。シュタイナーにとって、「子ども時代」は、すべての人間の原点であり、社会の原点だった。子どもの発達をどう理解するかが、シュタイナー教育やシュタイナー医学、そして彼の革命的な社会論の基盤になっている。
要するに、僕は自分自身の子ども時代に向き合おうとあがくなかで、自分なりにシュタイナーの思想を理解してきた。そこで見えてきたものによって、たぶん僕は自分自身を支えてきた。たとえ、きわめてぐらぐらした、不安定な自分であり続けてはいても。

僕が見ているものをこれからつづっていきたい。繰り返しになるが、それは自分で自分を支えるためであり、同時に、僕自身のあり方を通して、シュタイナー思想の基本的な部分を伝えたいと思うからである。そして、僕が見ているそのシュタイナー思想の基本的な部分が誰かに伝われば、それによってまた僕自身が支えられるのである。

なお、上の写真は、1970年にドイツで撮られたものである。当時、僕は7歳だった。いま僕は、シュタイナー研究所を引き受けることによって、ふたたびこの人たちとかかわろうとしている。