入間カイのアントロポゾフィー研究所

シュタイナーの基本的な考え方を伝えたいという思いから、日々の翻訳・研究作業の中で感じたことを書いていきます。

那須と祖母と祖父と・・・シュタイナーが目指した社会

2006-03-25 23:42:28 | 日々の雑感
今日は、那須へ行ってきた。
母がやっている幼稚園の理事会に出席するためだ。
この幼稚園は、祖母が建てたものだった。

幼稚園に向かう那須街道をタクシーで通りながら、祖母のことを思い出していた。
那須街道の両側に続く赤松林は、僕が子どもの頃からあった。
当時、幼稚園はまだなく、2万坪もあるという広大な敷地に、ぽつんと(子どもの僕にはそのように見えた)祖母が建てた小さな家が建っていた。

当時は、まだ大学に勤めていた、もしくは辞めたばかりであった父と、母と、妹とこの家に泊まり、近くの畑からトウモロコシをもいできたのを思い出した。
確か夏休みで、父は一日中、推理小説やSF小説を読み、僕は頭が痛くなったり、目が痛くなったり、風をひいたりしていた。
近くの小学校を見学に行ったこともある。おそらく当時の父母は、那須に移住することを真剣に考えていて、子どもたちが通う学校を下見したかったのだろう。
ということは、父はもう大学を辞めた後で、祖母がつくろうという幼稚園を引き受けるかどうかを考えていたのかもしれない。

夕方、赤い空に激しい稲妻が光ったのを鮮明に覚えている。

祖母は幼稚園の初代園長となり、それを母が引き継いだ。そして、この幼稚園は、日本で最初に「シュタイナー」を掲げた園のひとつとなった。

幼稚園の園庭のとなりの「タイヤ遊園」には、祖父の銅像が立っている。
祖父は、代々木学院という予備校をつくった。大学受験のための予備校の、いわば先駆けとなった人である。

以前、祖父の遺稿集を読んだとき、彼が「大学への門戸をできるだけ多くの若者に開く」ために予備校の設立を思い立った、ということを知った。
彼の文章には、国家や、天皇への熱い思いが垣間見られる。

今日の理事会では、母が、祖母は「報国」ということを大事にしていた、と語った。

僕の中で、先日、父と向き合っていたときの思いが、ふたたびよみがえってくる。
僕たちが研究し、実践しようとしているシュタイナー思想は、この国の歴史とどのようにかかわっているのか?

僕は、祖父や祖母は、ただ単に「お国」を振りかざしていたとは思わない。
シュタイナー思想でいえば、「国」もしくは「国家」は、法律の領域である。本来の国家は、民族や血筋とはまったく関係がない。そこで目指される理想は、「法のもとにおける万人の平等」である。
だから、祖父が、できるだけ多くの若者に大学教育の機会を与えようと努力したことは、彼の「国への思い」と合致する。

実際、祖父は、戦後の混乱期に、2級建築士の免許をとり、破損した家を安く買い取っては、自分で修繕して少し高く売り、そうやって自分の願いである学校建設の資金をつくったという。後から、その時期のことを「教育者としては恥ずかしいアルバイトの期間」として、あまり語りたがらなかったらしいが、「国」に仕えようとする思いのために、それだけの努力を払っていたことを知って、僕はむしろ誇らしく思ったものだ。

その熱い思いを「報国」ということばや、「天皇」に託すことは、いわば個人の「自由の領域」に属する。
祖父は、自分の思いを他人に押し付ける人ではなかった。

シュタイナーは、社会のなかに三つの領域を明確に区別していた。
万人の「平等」を法律によって保障するのは、国家(行政)の仕事である。
一人ひとりの個人の「自由」は、教育や文化活動などの「精神生活」のなかに働いていなければならない。
そして、経済とは、人々が社会の中でお互いを認め合い、それぞれの個性に基づく活動を支えあう「友愛」の原理によって動くものでなければならない。

もちろん、これは理想であって、そこに至る道はまだまだ遠いのかもしれない。
けれども、これらの三つの原理を混同しないことは、僕たちの日常生活にとっても有益だろう。

今日では、経済活動が「自由」の原理で動くことが当然とされている。
「平等」を基盤とすべき役人の仕事が、特定の政治家や企業への「友愛」(偏愛)によって歪められている。
本来は多様性があってしかるべき教育・文化の「精神生活」の領域には、自由ではなく、「出る杭は打たれる」とか、個人の内面に干渉してまで全員に同じ理念を強要するといった、間違った平等の原理が働いている。

特に、シュタイナー思想に基づいて活動しようとしている僕たちは、たえずこの三つの原理を自分の身近な現実にひきつけて、問い直していくことが必要だと思う。

シュタイナーのいう「経済の友愛」は、豊かな人が貧しい人にお金を恵むことではない。友愛とは、お互いの異なる立場を認め合うということだ。(ただ単に「許容」するとか、勝手にさせておくということではない。おたがいがどういう人たちで、どういう状況にあるのかを、いわば客観的に認識するということである。)

しかし、何より大事なのは、一人ひとりが精神的に自立していて(つまりシュタイナーのいう意味で「自由」であり)、社会や共同体のなかに「平等」の原理が保障されているということだ。
それがあって初めて、「経済の友愛」という原理が働くことができる。
それなしには、一人の豊かな人に全員が寄りかかったり、一人の力強い指導者が全員を引っ張り、牛耳ったり、あるいは皆が「自由」に自分の責任において考え、発言し、行動すべきところなのに、「平等」であろうとしてお互いに譲り合い、自己を抑圧して身動きがとれなくなる、といった事態が生じるだけだろう。

僕の祖父や祖母が思っていた「報国」は、決して「国の名のもとに個人の自由を抑圧すること」などではなく、一人ひとりが「自分らしく」生きられる社会をつくることではなかったのかと思う。
なぜなら、シュタイナーがいうように、個々人が自分が本当に好きなことを見出し、自分らしく生きられることこそが「社会にとっての資本」であり、国家とは、一人ひとりが自分らしく生きることを「平等」に保障するものだからである。

今日は、久々に訪れた那須の地で、祖母への思いから、そんなことを改めて思った。