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夏目漱石を読むという虚栄 1310

2021-01-31 17:47:43 | 評論

   夏目漱石を読むという虚栄

1000 イタ過ぎる「傷ましい先生」

1300 あらすじすらすらすらと読めない

1310 「上 先生と私」のあらすじ

1311 解けない謎はない

 

小説に限らず、Nの文章は意味不明だ。だから、人々はつまみ食いをし、パッチワークをし、異本を拵え、それに対する印象を述べてきた。『田園交響曲』(ベートーヴェン)を聞いてカッコウしか耳に残らないようなものだ。断章取義。牽強付会。お手盛り。

異本を作るのは個人の自由だ。換骨奪胎。だが、その異本がまた原典と同様に意味不明なので困る。Nの言葉遣いに違和感を抱かない人の作文は、私には意味不明であることが多い。

 

<漱石の『こころ』も、かなり謎の多い小説として知られていますね。若い学生の「私」があるとき、「先生」を見かけ、関心を抱き、知りあいます。彼はやがて先生の秘密にひかれ、それを知りたいと言う。先生はいまはダメだと言い、その後、帰省している彼のところに告白の手紙を送ります。でも、それは遺書で、それを私が読むときにはもう先生は死んでいる。そして、小説も、驚いて先生のところに(ママ)急ぐ彼が車中でその先生の遺書を読む、その先生の遺書が読者に示されるだけで、終わっています。

この小説の謎の一つは、私が鎌倉の海水浴場ではじめて先生を見かけ、関心を抱く場面に、「どうも何処かで見た事のある顔の様に思われてならな」い、「然し何うしても何時何処で会った人か想い出せ」ない、というくだりがさしはさまれていることです。私は、そのことを先生に会ってからほどない時期に口に出して確かめます。でも先生は、「人違(ママ)じゃないですか」と答える。私は「変に一種の失望を感じ」るのです。

(加藤典洋『小説の未来』)>

 

「謎」は不適切。謎は解けるものだ。ところが、この「謎」は解けていない。謎が解けるまで、謎と謎めいた表現を区別することはできない。『なぞ』(デ・ラ・メア)に謎はない。〈解けない謎〉や〈永遠の謎〉などというのは文芸的表現だ。「知られていますね」の「ね」が念押しなら、〈『こころ』が意味不明であることは常識だ〉ということになる。

「若い学生」は変。「学生」は、普通、「若い」ものだろう。「その時私はまだ若々しい書生であった」(上一)という文を誤読したか。「若い」は「若々しい」の含意を不当に無視したものだ。「学生」も、「書生」の含意を不当に無視したものだ。なお、この時点で語られるPは、まだ「大学生」(上十一)になっていなかったろう。

「秘密」は「不思議」(上七)の記憶違いか。Pが「ひかれ」たのなら、Sがひいたか。

「でも」は、機能していない。「それを私が」は〈「それを」彼「が」〉と、ちゃんと書きなさい。「もう先生は死んでいる」は誤読。Sの死期は不明なのだ。ちゃんと読みなさい。

次の段落の「私」は、すべてPだ。「謎」が何なのか、不明。

「そのこと」がどのことか、不明。したがって、「確かめます」は意味不明。

「でも」は不可解。Pの質問に対するSの返事は、筋違い。

「変に」は〈「変」な〉が適当。「一種の失望」は〈「失望」の「一種」〉か。〈一種の人災〉は〈天災の一種〉だろう。「一種の失望」は、普通の意味での「失望」とは違うようだ。どんな返事だったら、Pは「一種の失望」を感じなかったのだろう。

加藤は、この後、謎解きを始めてくれるが、奇妙奇天烈、てけれっつのぱ。

 

1000 イタ過ぎる「傷ましい先生」

1300 あらすじすらすらすらと読めない

1310 「上 先生と私」のあらすじ

1312 「恋に上(のぼ)る階段」

 

青年Pは、Sを〈理想の父〉と重ねていたはずだ。

 

<ところで「私」がしばしば父と「先生」を一緒に連想し、両者を比較したという事実は、この両者がその表面的な相違にも拘らず、彼の心理の深い所でつながっていることを暗示している。すなわち精神分析の言葉でいえば、彼の「先生」に対する感情は父転移である。という意味は、彼がかつて幼い時に父に向け、その後父に幻滅して吐け口を失っていた感情が、「先生」に新たな対象を見出して向けられたということである。彼が最初「先生」に会った時déjá vuの体験を持ったのは、この父転移のいわば前兆であった。

(土居健郎『漱石の心的世界』)>

 

作品論としての「父転移」説は危ない。「父転移」はNの混乱の露呈だろう。

 

<しかし「先生」には私の感情が何か深い個人的な心理に発していることがわかっていた。それは一種の恋愛に類したものであり、すべての恋愛がそうであるように、遂には幻滅に至る運命にあると「先生」は信じていた。であればこそ「先生」はあんなに執拗に「私」に対し警告を繰り返したのである。

(土居健郎『漱石の心的世界』)>

 

「しかし」は無視。「私の感情」の「私」に鉤がない。校閲、起きてるか? 

「一種の恋愛に類したもの」は「すべての恋愛」に含まれるらしいが、なぜだろう。「幻滅に至る」は笑える。「運命」は意味不明。Sが「信じていた」という証拠はない。

「私の感情」について、次の部分が参考になるか。

 

<「あなたは物足りない結果私の所に(ママ)動いて来たじゃありませんか」

「それはそうかも知(ママ)れません。然しそれは恋とは違います」

「恋に上(のぼ)る階段なんです。異性と抱き合う順序として、まず同性の私の所へ動いて来たのです」

(夏目漱石『こころ』「上 先生と遺書」十三)>

 

SとPの会話。

「恋に上(のぼ)る階段」は「恋」ではない。〈二階「に上る階段」〉は〈二階〉かな。

 

<かいだんをはんぶんのぼったところに

二かいでもない 一かいでもないところがある

(A・A・ミルン『クリストファー・ロビンのうた』「はんぶんおりたところ」)>

 

〈Pは同性愛者から異性愛者に変わりつつあった〉と推定するのさえ無理。

 

1000 イタ過ぎる「傷ましい先生」

1300 あらすじすらすらすらと読めない

1310 「上 先生と私」のあらすじ

1313 仮面夫婦

 

Pは、Sと知り合いになってから、その妻の静とも親しくなる。

 

<先生は奥さんに対してやさしく、仲の好い夫婦の一対に見えるが、どことなく淋しいかげりがあるように思われる。先生は大学を出て、深い学識もありながら、何もしないで遊んでいるので、世間に知られていない。先生を尊敬する私がそのことを残念がると、先生は沈んだ調子で、「何(ど)うしても私は世間に向って働ら(ママ)き掛ける資格のない男だから仕方がありません」というばかりである。奥さんに聞いてみても、その理由はわからない。そのことで、奥さん自身も苦しい悲しい思いをして来(ママ)ているという。

(『明治・大正・昭和の名著●総解説』「こころ」木村幸雄)>

 

「やさしく、」は〈「やさしく」してやっているので「、」二人は〉の不当な略。「見えるが」の「が」は接続詞として機能していない。「夫婦の一対」は「幸福な一対」(上二十)からだろう。ただし、Sは「私達は最も幸福に生れた人間の一対であるべき筈(はず)です」(上十)と語り、Pは「あるべき筈(はず)」という言葉に拘って、「不審」(上十)を抱いた。「思われる」の主語はPだ。S夫妻は仮面夫婦で、「仲の好い夫婦」を演じていた。その芝居の観客として、世間知らずのPが招待された。「どことなく」は不要。本文のさびしい系の言葉は意味不明であることが多い。「かげり」が「変な曇り」(上六)のことなら、「それは単に一時(いちじ)の結滞に過ぎなかった」(上六)とされている。「結滞」は意味不明。

Sの「深い学識」について、どこにも示されていない。Pの買い被りだろうが、作者の意図は不明。「遊んで」は「生業をもたずにぶらぶら暮らす」(『広辞苑』「遊ぶ」)という意味だろう。「世間」(上十一)は意味不明。

「残念がる」のはPだ。本文では「惜(おし)い事」(上十一)となっている。Pが何を惜しがっているのか、不明。「沈んだ調子」(上十一)について、Pは「何しろ二の句の継げない程に強いものだった」(上十一)と語る。不可解。「世間に向って働き掛ける」は意味不明だから、その「資格」も不明だし、「資格」の取得の「仕方」も不明で、それを失った理由も不明。作者は、〈Sは社会的不適応者だ〉という真相を隠蔽しているようだ。

『こころ』に謎らしいものがあるとすると、「その理由」だろうが、「その理由」は最後まで明らかにならない。明らかになったような気がする人は異本を創作しているはずだ。

「そのことで」の「その」が指す言葉は不明。「奥さん自身」の「自身」は不要。本文の「奥さん自身」(上二十)も変。「苦しい悲しい思い」は、「そう思われるのは身を切られるより辛いんだから」(上十八)という静の発言からか。「そう思われる」を詳述すると、〈結婚後、Sが引きこもりがちになってしまった「責任」(上十八)は、妻である自分にあると「思われる」〉などだ。つまり、妻としての「責任」を問われることが「辛い」のであって、Sの苦しみが移ってくるように感じて「苦しい悲しい思いをして来て」いるのではない。「身を切られるより」って、「切られ」たことがあるのか。なければ、静は嘘つき。

Pは、S夫妻の仲を疑い、彼らに真情を問う。静ははっきりと答えない。Sは、口頭で答えず、「遺書」をPに送りつける。「遺書」に関するPの感想文はない。

(1310終)

 


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