耳を洗う

世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清める。~『史記索隠』

“朝青龍”問題~あなたはどう思いますか?

2007-08-11 22:22:21 | Weblog
 “相撲”は「国技」と思っていたらそうではないらしい。

 「相撲」:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E6%92%B2

 “朝青龍”問題は、日本相撲協会が朝青龍に「ナメラレ」ていることのあからさまな証明である。

 私の見解は、「虚偽(嘘八百)」の申告によって所属協会の名誉が傷つけられ、他に示しがつかないほどの勝手な行為が発覚したのだから、今回の処分は本人にとって当然受け入れるべきもので、とやかく言うべき問題ではない。名誉ある地位にある彼のこれまでの言動からすれば、目の前の処分を「不服」だと言わんばかりの現在の態度は、相撲愛好家ばかりでなく、私のように相撲を「国技」と思い込んでいる多くの国民を「小ばか」にしたものと言えるだろう。潔く公式の場で詫び、真摯に反省しない限り相撲をとらせるべきではあるまい。

 日本相撲協会や親方“朝潮”らの対応をみていると、すぐ“キレル”こどもを前にオロオロしているPTA・学校や親の姿がダブって見える。

 この問題に対する二人の見解をあげておく。

 江川紹子:http://www.egawashoko.com/c011/000229.html

 田畑光永:http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-101.html

 ご両人の見解にほぼ同意するが、「人間は“素直”でないと、結局、自分が損をする」というごく当然のことを、“駄々っ子”の朝青龍が受け入れるかどうかにかかっているといえないだろうか。

 

“長崎原爆の日”~「高校生平和大使」は未来を照らす

2007-08-09 08:42:03 | Weblog
 長崎は今日、あの日から62年、決して忘れられない記憶を呼び覚ます。
 
 私は、8月6日の秋葉忠利広島市長の「平和宣言」に心打たれた。

 「平和宣言」:http://www.city.hiroshima.jp/www/contents/0000000000000/1110537278566/index.html

 軍事産業に依存する国、「戦争中毒」といわれるアメリカは、世界のいたるところで紛争(戦争)を撒き散らし、「軍縮」を叫ぶ世界の平和勢力と敵対し続けてきた。まことに恨めしく嘆かわしい。北朝鮮やイランの「核」問題をことさらに煽りたて、イスラエルの「核」には眼を瞑る自己矛盾は、世界の良識からみれば許される「道理」ではありえない。この矛盾に長崎の高校生たちが「異議」を唱えだしたのが、「高校生平和大使」の誕生といえるかも知れない。

 未来を語りえるかすかな手ずるが、ここにある。この芽を大切に育てたいと思う。彼らの10年の足跡を綴った『ビリョクだけどムリョクじゃない 高校生平和大使』(長崎新聞社刊)はすばらしい話で一杯。大きな拍手を送りたい。

 「高校生平和大使」:http://mytown.asahi.com/nagasaki/news.php?k_id=43000110707100001
 
 「…大使・youtube」:http://youtube.com/watch?v=JcvNa_w5MHM

 「長崎原爆の日」の悲しみを乗り越えて、若者たちが確実に育っていることを一人でも多くの人に知っていただき、声援を送ってほしい。(久間前防衛大臣のような人物は、長崎では例外中の例外です!)


『にんげんをかえせ』      峠三吉

ちちをかえせ
ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ 
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ

にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ

人間失格の“宰相”

2007-08-07 08:54:14 | Weblog
 『荘子』(「中国の思想」第12巻/徳間書房)「外篇」によく知られたこんな話がある。

 <聖人が存在するかぎり、大盗賊はあとを絶たぬ。それを防ごうと躍起になって、聖人の知を動員すればするほど、大盗賊は肥えふとる一方だ。
 聖人が枡(ます)を定め秤(はかり)をつくれば、これをそっくり盗んでしまう。割符を定め玉璽をつくれば、これまたそっくり盗んでしまう。仁義を説けば仁義までそっくり盗んでしまうのだ。
 帯止めを盗む者は極刑に処せられるが、国を盗むものは諸侯になれる。国盗人どもはいずれも仁義を看板におし立てて、諸侯の地位におさまっているではないか。仁義聖知を盗んだといわずになんといおう。
 仁義を盗み、治国の法を盗む大盗賊の所行が、天下に公認されている時世に、恩賞や刑罰がなにほどの効果を持つであろう。たかだかコソ泥を防止する程度の役に立つだけのことだ。
 このように大盗賊をますます肥えふとらせ、悪を抑えるすべをなくしてしまったのは、ほかならぬ聖人の責任なのである。>

 
 わが国の宰相は、「出処進退(用行舎蔵)」をわきまえぬ人らしい。もっとも、幾人かの「大盗賊」どもをたばねる首領だから、いったん「盗みとった国」をやすやすと手離すことはありえないだろう。この先、「盗みとった国」をいったいどうするつもりか、他人事ではいられない。

 この宰相は、「地球は自分を中心にして廻っている」と狂信している。「総理大臣の私」「私の内閣」「私、わたし、ワタシ」の国・日本国。この人にとっての「神霊」が、祖父岸信介(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%B8%E4%BF%A1%E4%BB%8B)であることはいうまでもなかろう。祖父が残した課題(自主憲法の制定)を成し遂げるまでは、宰相の職は手離さないと決めている。そうとでも解釈しないと、崖っぷちの足の踏ん張りどこが見えてこない。


 「一燈園」同人・石川洋の詩『生きる』から。

 苦労した
 ことのない
 人は
 自分のことを
 先にしたがる


 心に
 くもりなき
 ときは
 多くの
 言葉を
 必要としない


 失敗から
 立ち直るには
 恵まれ
 過ぎた不幸に
 目を覚ます
 ことである


 誰もが
 ウラをしりたがっているのに
 なぜ
 悪いものを
 ウラにかくしたがるのだろうか


 自分に対して
 他人に対して
 これで
 いいのか
 社会に対して
 家族に対して
 

憎い“イノシシ”~実は“百姓のつくり神”

2007-08-05 08:15:54 | Weblog
 10日ほど前、地主のおばさんがすぐ側の畑に作っているカボチャやサツマイモをやられてガックリしていたが、作地全体をトタン板で囲いをしている本家はカボチャだけでなく水を張った稲田にも入って水浴びしたらしく、働き者の奥さんが恨めしそうに話していた。
 5日前の夜十時ころ、外につないだ犬が激しく吠えるのでおばさんが出てみたら、先日荒らしたすぐ上の畑に子牛ほどのイノシシがいたという。その日早朝には、10匹ほどの子連れのイノシシを見かけた人がいるそうだ。

 その時には、幸い当方の畑に被害はなかった。まだヒゲ根の状態のサツマイモをなんでイノシシがほじくるのか理解できないが、昨年の経験からサツマイモの周囲だけは一通り網を張って、缶ビールの空き缶を音が出るよう2個ずつくくって全体にぶら下げていた。そのうえ、障害物のつもりで畑の周囲に枝のついた竹を置いといたが、なんの役にも立たなかった。待ち望んだ雨が台風とともにやってきて「ヤレヤレ」と安堵し、雨上がりに畑を覗いたらこの始末である。

 イノシシによる農作物の被害は、年々増大しているらしい。県北の町では、「害獣駆除」と「ふるさと産品」の一挙両得を狙った“猪(シシ)料理”をはじめていると聞くが、それでイノシシが減ったという話は届かない。地主のおばさんと知恵を絞って本格的な防除作を講じなければならなくなった。


 ところで、このイノシシが伝承上重きをなしているという。『古事記』の倭建命(やまとたけるのみこと)伝承には猪が山の神として登場する。

 <伊吹山の神を素手でとろうとして、倭建命は姨(おば)の倭姫親授の神剣、草薙剣を美夜受姫の許において山の神退治に赴く。山に登ると途中で巨大な白猪に出逢う。この白猪こそ山ノ神であったのに、命はそれと気づかず、これは山の神の使者であろう、帰りに殺せば十分である、として見逃す。山の神は大氷雨をふらせて命を惑わす。命は足萎えとなり、精神ももうろうとして、美濃・伊勢桑名をへて、鈴鹿で崩じる。>(吉野裕子著『陰陽五行と日本の民俗』/人文書院より。以下<>は同書による)

 猪がなぜ「山ノ神」なのか、吉野裕子著は「陰陽五行」から解き明かしているが、ここで詳しく紹介する暇はない。ただ、旧十月亥日もしくは十月十日の夜、「亥子突(いのこづ)き」といって子供達が藁包をもって大地を叩く風習が全国各地にあることと、それに関連した十月亥子(いのこ)の日に祭る「亥の神(イノカミサマ)」の伝承歌をあげておく。

 <祝いましょうよ、猪の神様を
  これは百姓のつくり神 (熊野地方)

  十月亥日にゃ餅をつく。
  餅をついても客はない。
  亥の神さまを客にして、
  わたしも相伴いたしましょう。(長崎県島原半島)>


 槇佐知子著『くすり歳時記』(筑摩書房)には次のような記述がある。

 <中国では則天武后が、ライバルの手足を切断して「人豚」と呼び、狭い畜舎に推しこめた話は有名である。中薬では単に「猪」と書けば家猪(かちょ)、すなわちブタのことで、イノシシは「野猪」と書き、イノシシの脂肪は古代から母乳の分泌をうながす薬として用いられて来た。>

 
 また、いつも引用する山崎郁子著『中医営養学』(第一出版)に「イノシシの肉(野猪)」の性味・効用が記されている。

・性味 平、甘[かん](しお偏に咸)
・帰経 脾、胃経
・効用 補養する力が大なので、虚弱体の者には特によい。また解毒止血作用があり、血便などにも有効である。

 
 「山ノ神・イノシシ」には悪いが、「百円野菜コーナー」を出しているおばさん一族に、「シシ肉」も加えて出してもらうよう進言してみるとするか?

“農政”で負けた自民党?~出稼ぎ未亡人たちの怨念

2007-08-03 11:27:39 | Weblog
 インターネット新聞“JANJAN”記者の佐藤弘弥氏は7月31日、『参院選:小沢民主党の歴史的な勝利の秘密と田中角栄』という記事を書いている。

 勝利の第一のポイントは「一極集中に対する地方分散的視点」、第二のポイントは「官僚政治へのノン(ノー)」をあげ、「今回の地滑り的勝利を民主党が納めた最大の原因は、私(小沢)の約束の3.の“農家への個別所得補償制度の創設”にあったと視る」としている。その三つの約束とは、

 1.「年金通帳」で年金不安を払拭する
 2.「子ども手当」一人月額2万6千円の支給
 3.「農家への個別所得補償制度の創設」

である。佐藤記者は定数2から1に削減された栃木県の選挙結果、つまり地元農協出身の自民党現職が宇都宮大学農学部出身ながら他県(徳島)出身の新人に敗れた例をその特徴としてあげている。

 去る6月24日『“ご飯一杯20円”~新聞記事で再認識』でふれたが、わが国農政はわれわれ一般消費者から見ても首を傾げたくなるような実態である。もう一度、理論経済学者・宇沢弘文氏の簡明な指摘を再掲する。

 <現在(1994)、農協職員は35万人いるのですが、給与水準が非常に高くて安定している。…農水省関係の職員もまた30万人近くいるのです。ですから、専業農家の数よりも多い数の農政担当者、農民を搾取する農協施設の機構があるわけです。…>

 「小泉改革」やらで、病院や学校までもが民営化されただけでなく、農家も「株式会社化」した大規模営農が奨励され、高齢者で支えあう小・零細規模の農家はますます生きづらくなってきた。先祖伝来の山間農地の荒れようは、まことに目を覆うばかりである。宇沢先生は、「わが国農政の危機は、1940年前後につくられた制度に起因し、決定的な要因は1961年制定の“農業基本法”にある」と指摘する。その“農業基本法”下で起きた出来事をみてみよう。

 
 手元に1976年発行の『土と女~出稼ぎ未亡人とその周辺』(真尾悦子著/筑摩書房)がある。著者は冒頭に書いている。

 <テレビや新聞で“出稼ぎ”という言葉をよく聞くようになってから、もう十年あまりにもなるだろうか。最初は、ほんの一部の現象だとしか思わなかったので何気なく聞き流していた。
 45年になると、減反政策・休耕田・古古米・離農などという文字がいたるところで眼についた。人口はふえているのに、せっかく何代も作ってきた田んぼを潰して草ぼうぼうにするほど米が余るなんておかしい、と私は首をかしげた。そして、47年には農家の大半が兼業化し、出稼ぎが最盛期を迎えたのである。…>

 この“出稼ぎ”最盛期は“高度経済成長期”と重なる。大企業の下請け・孫請け、さらにその下請けという何層もの階層からなる零細企業に吸い寄せられ、農村から臨時工・季節工として供給された。本書は村に残された女たちの記録である。
二、三の例を拾ってみよう。

 

 半分騙されて、死ぬほど嫌だった百姓と結婚した伊村ヤエさん。次男の夫がもらった地震が来たらきっと潰れる家とわずかばかりの土地を、夫の出稼ぎ中、“意地になって”豚飼いを始め、土地を増やし家を改築するという目標を立てる。ある日、彼女は配合飼料を購入している農協を訪ねる。(ヤエさんは中学卒業後約10年間東京暮らしで、言葉はほとんど東京弁)

 <飼料が高くてやりきれないから、なんとかしてうちで作ったものを混ぜたいと思って、その方法を農協へ相談に行ったんです。そしたら、係りの人がタバコばっかり吸ってて話をゴマ化すんだものねえ。養豚部ちゅう札ぶら下げて、立派な椅子に頑張ってる人たち、ほんとに豚にさわったことあるのかって首ひねりたくなっちゃった。農協もさまざまなんだろうけど、百姓のための組合ちゅうことを忘れてもらっては困ると思うんです。デパートみたいに贅沢な品物並べて、高い利子をとって金貸しするだけではわたしらの生活は楽になるわけないでしょう。農協のお偉方だって、もとはみんな同じ百姓のはずなのにねえ。あそこの椅子に坐ったら、急にわたしらから絞り上げることばっかりやるんだからー>

 念願だった家の改築を果し、これをみて喜んでいた夫は、半年後、出稼ぎ先で死亡。東京電力横浜火力発電所のタービン冷却用取水路に通じるマンホールで、湯沢市出身の出稼ぎ者三人が、取水路の底のヘドロから発生したメタンガス中毒で絶命、その中の一人だった。まだ三十半ばを過ぎたばかりのヤエさんは二人の男の子をかかえ、このあとも地べたと格闘しながら生きていく。


 中村あやさん。仕立ておろしの上っぱりと、きちんとセットした髪が印象的な四十代の、立ち居の静かなうつくしいひと。

 <農協さ行ってみっせ。贅沢な品ばっかり並べてまず、さァ買え、さァ買えとてでかいこと宣伝してるべよ。冬場の堆肥作りして土かン回しても、そりゃ田は肥えるべども誰も賃金くれねスかンな。複合経営するたて、やっぱり何十万て経費かかるしよ。いちばん手っ取り早いとこ銭ンコとれるのが出稼ぎでねスか? 腕一本ありゃ、どこさでも行ってカネとってこれっかンな。誰でもまず人並みに暮らそうとすれば、そのほうさ走るの、仕方ねえてことや。>

 中村あやさんのまじめ一方の夫は、息子と一緒に出稼ぎに出ていた。その日も親子で風呂に入ったり、いろいろ話して寝た。朝起きてみると父親が急死、解剖では心臓動脈硬化症という。
 職場は、鉛をいったん溶かして固めたものを粉末にして色素を混合し、顔料や塗料の原料をつくっていた。もうもうと立ち昇る粉塵で、黄色い製品の作業場は室内の空気そのものが真ッ黄色になり、手足も顔も黄色に染まる。赤い部屋は赤一色、という作業環境。どうみても鉛中毒としか思えなかったが、動転していた若い息子がそのことに気づいたのは葬儀の後だった。

 あやさんはつぶやくように言う。<長い間看病したあげくなら諦めもつくべども、見ねえとこでポックラ死なれたべ。いまでも、ほんとは東京で働いているんでねかて、ひとォりでバカな考えしたりしてな>


 寺本君江さん、三十五歳。夫は出稼ぎ先の会社の車に轢き殺されたという。恰幅のよい君江さんの姑が語る。

 <こんな話語ってみたたて、もうハアすんでしまったことださけの。それに、せけんはまず、昔の戦死者は国のために働いて死んだと受け取ったどもの、出稼ぎの事故死は自分の家のためで、残された者のつらさは同じでも見る眼はまるきり違うもんの。一生懸命に田ァ作りさえすりゃ暮らされる世の中なら、どこさも出はる必要がなかったんださけの。都会で人手が要る、せば百姓はカネほしくて稼ぎに出る。なるべく安うく使って、死ねば適当な涙金でハイそれまで。魂胆がちゃんと見えてるんださけ>

 百姓以外ならどんな職場で働いても、日収四、五千円を下ることはあるまいというのである。そうすれば、二、三日で米一俵の代金をかるく稼ぐんではないか、と。

 <そしてこんどは減反だ。せっかく作ってる田んぼ休め、ていう。少々の奨励金もろたたて、休耕すれば田は荒れてしまうこと分からねんださけ。人間も、出稼ぎさばり心向けて百姓でなくなるしのう。そういう、そんときそんときのおかみのやり方が、おれにゃ納得できねのよ。何かといえば米高ェ騒ぎばりして、農家こと踏んだり蹴ったりだ。まったく百姓は割に合わねのう>

 長男が死んだあと、横浜の大手建設会社に勤めていた次男が呼び戻され、君江さん親子(中1の娘)は姑と義弟夫婦と住んでいる。4時半から田仕事をすませ、昼間はパートで働く。義弟が話に割り込んで、「これからまず、かならず食糧難の時代がくる、俺はそう睨んでるがの」と言った言葉が鮮烈だ。


 秋田県では、昭和42年に500人もが出稼ぎ先で蒸発したという。著者は「当初は活発に父親さがし運動が行われたというが、いつか沙汰やみになった。蒸発者が絶えたのではなく、徒労だったからではないだろうか」と書く。秋田、山形の行政当局に出稼ぎ者数、出稼ぎ中の死亡者数、蒸発者数など問い合わせても、「わからない」と言うばかり。

 著者は「あとがき」で、「表面化こそしていないが、農村の女たちの出稼ぎに対する呪いが極限に達している事実もイヤというほどこの眼で見聞きした。これはもはや農村だけの問題ではない。都市に住む者もその実態にしっかりと眼を据えて、ともに真剣に取り組まねばならぬ課題だという思いが切実である」と言っている。

 「東京一極集中」と言われる現象は、こうした地方・農村の犠牲なくして成立し得なかった。「小皇帝」石原慎太郎らは、あたかも自分らの政治的手腕で都市の繁栄を作りあげたかのように喧伝しているが、「従軍慰安婦・南京大虐殺」問題同様、歴史の事実を正面から見つめようとしない勝手な言い分である。


 この著書の発行から30年、「出稼ぎ未亡人」たちもすでに60から70歳。夫が残した遺児たちのほとんどが都会に出て、後継者はいなくなった。田舎で暮らしたくても、暮らせる条件が整っていないからだ。そこで出てきたのがアメリカ流の「大規模経営」、「農業の株式会社化」なのだろう。

 「農業基本法」制定に際し、農林省は農政の大御所・東畑精一氏を会長に据え調査会を設置した。晩年、農業基本法がもたらした弊害について非常に苦しんだ東畑氏は、自分は農業経済学者としての資格がいっさいないといって、農業問題に関し発言を絶ったという。これにくらべ、農民を食い物にしてきた官僚や農協・政治家たちは何の痛痒も感じず、いよいよわが国農政を荒廃へと導く。


 『JANJAN』佐藤記者が指摘するとおり、今回の参議院選挙の結果はここ3,40年のあいだ溜まりに溜まった農村の女たちの怨念が爆発したのかも知れない。かつての「出稼ぎ未亡人」の記録を読みかえしつつ、はたしてこれからの農政が変わりえるのかどうか、しっかり見守りたいと思った次第である。

   

 

40年前の8月1日~“氷焔”の記事は…

2007-08-01 08:46:12 | Weblog
 参議院選挙は与党大敗して終った。当然のこととはいえ、国民の見識は健在と見るべきか、はたまた、安部政権の失政に対する一過性の「腹いせ」なのか、因果は定かではない。

 すでに8月、「原爆慰霊の日」も近いが、久しぶりに“氷焔”(『週刊エコノミスト』巻頭コラム:筆者・故須田禎一)を引いてみる。いつみても引き締まった文に魅せられる。


 <“わが軍は1968年に南アラブ(アデンなど)から完全に撤退する。
 1970年代のなかごろまでにシンガポールおよびマレーシアからも撤退する。
 ただし、香港の駐留部隊は維持する”

 “七つの海”を支配したユニオンジャック、斜陽のなかを“名誉ある退場”へのプログラム。

 香港だけは維持したい、というのは感傷か、虚栄か、それともソロバンか。

 耳をすますと、地軸のきしるような、世界史のあしおとが聞こえる。

 
 歌人ウノノサララ姫(のちの持統女帝)は父の天智と夫君の天武とのあいだに立って苦しんだが、彼女のきずいた藤原京の址に立ったとき、律令国家の草創期の“草いきれ”を感じることができる。

 人間の歴史は、つねに鋭角に旋回する。

 “富士は冷たく旅人を拒絶したが、筑波は暖かくねぎらった。それで筑波にはみどりの樹々がしげり、富士は氷雪に閉ざされるようになった”(常陸風土記)。

 いま富士は山頂を一神社に占拠され(名古屋高裁は神社側に軍配をあげた)、中腹を星条旗の影で穴だらけにされている。
 そして筑波は“研究学園都市”とやらに。

 滄海は桑田となり、スズメはハマグリとなるたぐいか。

 
 炭鉱の主婦たち、まなじりを決しての座りこみ。
 CO(一酸化炭素)中毒対策の立法は未来を志向する。
 過去になずむ引揚者補償や農地報償に熱心な議員諸君が、COに冷淡なのはなぜか。
 化学記号に弱いからのみではあるまい。

 アメノウズメのしりふりダンスも“歴史教育”でおしえたいそうな(教育課程審議会ちかく中間報告)。

 なるほど、アカカガチ(引用者注:ほうずき)のような眼をしたお歴々によって“皇国史観”を復活なさるおつもりか。

 
 英国のジャーナリストのアンドルー・ロスら三人、ボリビア共和国の政府軍に捕われ、アンデス山中で消息を絶つ。
 このリベラルな文筆家がチェ・ゲバラとどの程度の連絡をもっていたのかは知らない。
 しかしラテンアメリカの支配層(およびその背後にいる“北方の巨人”)にとっては、いまや枯尾花さえゲバラの影に見えるらしい。

 
 武智鉄二の『黒い雪』が“精神生理学的に”法解釈される日本は、その点でまだ“ぬるま湯”なのだろう。
 ともあれ、東京地裁の無罪判決を支持したい。
 風紀上の“しめあげ”をゆるすならば、すべてに自己検閲の風潮を生み、風霜にめげぬ士気が地をはらうにいたるであろうから。

 魂の自由を、瞳のように大切にしたい。

                  (1967年8月1日)>


 いつもながら、時代がかさなって見えはしないか。