耳を洗う

世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清める。~『史記索隠』

“農政”で負けた自民党?~出稼ぎ未亡人たちの怨念

2007-08-03 11:27:39 | Weblog
 インターネット新聞“JANJAN”記者の佐藤弘弥氏は7月31日、『参院選:小沢民主党の歴史的な勝利の秘密と田中角栄』という記事を書いている。

 勝利の第一のポイントは「一極集中に対する地方分散的視点」、第二のポイントは「官僚政治へのノン(ノー)」をあげ、「今回の地滑り的勝利を民主党が納めた最大の原因は、私(小沢)の約束の3.の“農家への個別所得補償制度の創設”にあったと視る」としている。その三つの約束とは、

 1.「年金通帳」で年金不安を払拭する
 2.「子ども手当」一人月額2万6千円の支給
 3.「農家への個別所得補償制度の創設」

である。佐藤記者は定数2から1に削減された栃木県の選挙結果、つまり地元農協出身の自民党現職が宇都宮大学農学部出身ながら他県(徳島)出身の新人に敗れた例をその特徴としてあげている。

 去る6月24日『“ご飯一杯20円”~新聞記事で再認識』でふれたが、わが国農政はわれわれ一般消費者から見ても首を傾げたくなるような実態である。もう一度、理論経済学者・宇沢弘文氏の簡明な指摘を再掲する。

 <現在(1994)、農協職員は35万人いるのですが、給与水準が非常に高くて安定している。…農水省関係の職員もまた30万人近くいるのです。ですから、専業農家の数よりも多い数の農政担当者、農民を搾取する農協施設の機構があるわけです。…>

 「小泉改革」やらで、病院や学校までもが民営化されただけでなく、農家も「株式会社化」した大規模営農が奨励され、高齢者で支えあう小・零細規模の農家はますます生きづらくなってきた。先祖伝来の山間農地の荒れようは、まことに目を覆うばかりである。宇沢先生は、「わが国農政の危機は、1940年前後につくられた制度に起因し、決定的な要因は1961年制定の“農業基本法”にある」と指摘する。その“農業基本法”下で起きた出来事をみてみよう。

 
 手元に1976年発行の『土と女~出稼ぎ未亡人とその周辺』(真尾悦子著/筑摩書房)がある。著者は冒頭に書いている。

 <テレビや新聞で“出稼ぎ”という言葉をよく聞くようになってから、もう十年あまりにもなるだろうか。最初は、ほんの一部の現象だとしか思わなかったので何気なく聞き流していた。
 45年になると、減反政策・休耕田・古古米・離農などという文字がいたるところで眼についた。人口はふえているのに、せっかく何代も作ってきた田んぼを潰して草ぼうぼうにするほど米が余るなんておかしい、と私は首をかしげた。そして、47年には農家の大半が兼業化し、出稼ぎが最盛期を迎えたのである。…>

 この“出稼ぎ”最盛期は“高度経済成長期”と重なる。大企業の下請け・孫請け、さらにその下請けという何層もの階層からなる零細企業に吸い寄せられ、農村から臨時工・季節工として供給された。本書は村に残された女たちの記録である。
二、三の例を拾ってみよう。

 

 半分騙されて、死ぬほど嫌だった百姓と結婚した伊村ヤエさん。次男の夫がもらった地震が来たらきっと潰れる家とわずかばかりの土地を、夫の出稼ぎ中、“意地になって”豚飼いを始め、土地を増やし家を改築するという目標を立てる。ある日、彼女は配合飼料を購入している農協を訪ねる。(ヤエさんは中学卒業後約10年間東京暮らしで、言葉はほとんど東京弁)

 <飼料が高くてやりきれないから、なんとかしてうちで作ったものを混ぜたいと思って、その方法を農協へ相談に行ったんです。そしたら、係りの人がタバコばっかり吸ってて話をゴマ化すんだものねえ。養豚部ちゅう札ぶら下げて、立派な椅子に頑張ってる人たち、ほんとに豚にさわったことあるのかって首ひねりたくなっちゃった。農協もさまざまなんだろうけど、百姓のための組合ちゅうことを忘れてもらっては困ると思うんです。デパートみたいに贅沢な品物並べて、高い利子をとって金貸しするだけではわたしらの生活は楽になるわけないでしょう。農協のお偉方だって、もとはみんな同じ百姓のはずなのにねえ。あそこの椅子に坐ったら、急にわたしらから絞り上げることばっかりやるんだからー>

 念願だった家の改築を果し、これをみて喜んでいた夫は、半年後、出稼ぎ先で死亡。東京電力横浜火力発電所のタービン冷却用取水路に通じるマンホールで、湯沢市出身の出稼ぎ者三人が、取水路の底のヘドロから発生したメタンガス中毒で絶命、その中の一人だった。まだ三十半ばを過ぎたばかりのヤエさんは二人の男の子をかかえ、このあとも地べたと格闘しながら生きていく。


 中村あやさん。仕立ておろしの上っぱりと、きちんとセットした髪が印象的な四十代の、立ち居の静かなうつくしいひと。

 <農協さ行ってみっせ。贅沢な品ばっかり並べてまず、さァ買え、さァ買えとてでかいこと宣伝してるべよ。冬場の堆肥作りして土かン回しても、そりゃ田は肥えるべども誰も賃金くれねスかンな。複合経営するたて、やっぱり何十万て経費かかるしよ。いちばん手っ取り早いとこ銭ンコとれるのが出稼ぎでねスか? 腕一本ありゃ、どこさでも行ってカネとってこれっかンな。誰でもまず人並みに暮らそうとすれば、そのほうさ走るの、仕方ねえてことや。>

 中村あやさんのまじめ一方の夫は、息子と一緒に出稼ぎに出ていた。その日も親子で風呂に入ったり、いろいろ話して寝た。朝起きてみると父親が急死、解剖では心臓動脈硬化症という。
 職場は、鉛をいったん溶かして固めたものを粉末にして色素を混合し、顔料や塗料の原料をつくっていた。もうもうと立ち昇る粉塵で、黄色い製品の作業場は室内の空気そのものが真ッ黄色になり、手足も顔も黄色に染まる。赤い部屋は赤一色、という作業環境。どうみても鉛中毒としか思えなかったが、動転していた若い息子がそのことに気づいたのは葬儀の後だった。

 あやさんはつぶやくように言う。<長い間看病したあげくなら諦めもつくべども、見ねえとこでポックラ死なれたべ。いまでも、ほんとは東京で働いているんでねかて、ひとォりでバカな考えしたりしてな>


 寺本君江さん、三十五歳。夫は出稼ぎ先の会社の車に轢き殺されたという。恰幅のよい君江さんの姑が語る。

 <こんな話語ってみたたて、もうハアすんでしまったことださけの。それに、せけんはまず、昔の戦死者は国のために働いて死んだと受け取ったどもの、出稼ぎの事故死は自分の家のためで、残された者のつらさは同じでも見る眼はまるきり違うもんの。一生懸命に田ァ作りさえすりゃ暮らされる世の中なら、どこさも出はる必要がなかったんださけの。都会で人手が要る、せば百姓はカネほしくて稼ぎに出る。なるべく安うく使って、死ねば適当な涙金でハイそれまで。魂胆がちゃんと見えてるんださけ>

 百姓以外ならどんな職場で働いても、日収四、五千円を下ることはあるまいというのである。そうすれば、二、三日で米一俵の代金をかるく稼ぐんではないか、と。

 <そしてこんどは減反だ。せっかく作ってる田んぼ休め、ていう。少々の奨励金もろたたて、休耕すれば田は荒れてしまうこと分からねんださけ。人間も、出稼ぎさばり心向けて百姓でなくなるしのう。そういう、そんときそんときのおかみのやり方が、おれにゃ納得できねのよ。何かといえば米高ェ騒ぎばりして、農家こと踏んだり蹴ったりだ。まったく百姓は割に合わねのう>

 長男が死んだあと、横浜の大手建設会社に勤めていた次男が呼び戻され、君江さん親子(中1の娘)は姑と義弟夫婦と住んでいる。4時半から田仕事をすませ、昼間はパートで働く。義弟が話に割り込んで、「これからまず、かならず食糧難の時代がくる、俺はそう睨んでるがの」と言った言葉が鮮烈だ。


 秋田県では、昭和42年に500人もが出稼ぎ先で蒸発したという。著者は「当初は活発に父親さがし運動が行われたというが、いつか沙汰やみになった。蒸発者が絶えたのではなく、徒労だったからではないだろうか」と書く。秋田、山形の行政当局に出稼ぎ者数、出稼ぎ中の死亡者数、蒸発者数など問い合わせても、「わからない」と言うばかり。

 著者は「あとがき」で、「表面化こそしていないが、農村の女たちの出稼ぎに対する呪いが極限に達している事実もイヤというほどこの眼で見聞きした。これはもはや農村だけの問題ではない。都市に住む者もその実態にしっかりと眼を据えて、ともに真剣に取り組まねばならぬ課題だという思いが切実である」と言っている。

 「東京一極集中」と言われる現象は、こうした地方・農村の犠牲なくして成立し得なかった。「小皇帝」石原慎太郎らは、あたかも自分らの政治的手腕で都市の繁栄を作りあげたかのように喧伝しているが、「従軍慰安婦・南京大虐殺」問題同様、歴史の事実を正面から見つめようとしない勝手な言い分である。


 この著書の発行から30年、「出稼ぎ未亡人」たちもすでに60から70歳。夫が残した遺児たちのほとんどが都会に出て、後継者はいなくなった。田舎で暮らしたくても、暮らせる条件が整っていないからだ。そこで出てきたのがアメリカ流の「大規模経営」、「農業の株式会社化」なのだろう。

 「農業基本法」制定に際し、農林省は農政の大御所・東畑精一氏を会長に据え調査会を設置した。晩年、農業基本法がもたらした弊害について非常に苦しんだ東畑氏は、自分は農業経済学者としての資格がいっさいないといって、農業問題に関し発言を絶ったという。これにくらべ、農民を食い物にしてきた官僚や農協・政治家たちは何の痛痒も感じず、いよいよわが国農政を荒廃へと導く。


 『JANJAN』佐藤記者が指摘するとおり、今回の参議院選挙の結果はここ3,40年のあいだ溜まりに溜まった農村の女たちの怨念が爆発したのかも知れない。かつての「出稼ぎ未亡人」の記録を読みかえしつつ、はたしてこれからの農政が変わりえるのかどうか、しっかり見守りたいと思った次第である。

   

 


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