『荘子』(「中国の思想」第12巻/徳間書房)「外篇」によく知られたこんな話がある。
<聖人が存在するかぎり、大盗賊はあとを絶たぬ。それを防ごうと躍起になって、聖人の知を動員すればするほど、大盗賊は肥えふとる一方だ。
聖人が枡(ます)を定め秤(はかり)をつくれば、これをそっくり盗んでしまう。割符を定め玉璽をつくれば、これまたそっくり盗んでしまう。仁義を説けば仁義までそっくり盗んでしまうのだ。
帯止めを盗む者は極刑に処せられるが、国を盗むものは諸侯になれる。国盗人どもはいずれも仁義を看板におし立てて、諸侯の地位におさまっているではないか。仁義聖知を盗んだといわずになんといおう。
仁義を盗み、治国の法を盗む大盗賊の所行が、天下に公認されている時世に、恩賞や刑罰がなにほどの効果を持つであろう。たかだかコソ泥を防止する程度の役に立つだけのことだ。
このように大盗賊をますます肥えふとらせ、悪を抑えるすべをなくしてしまったのは、ほかならぬ聖人の責任なのである。>
わが国の宰相は、「出処進退(用行舎蔵)」をわきまえぬ人らしい。もっとも、幾人かの「大盗賊」どもをたばねる首領だから、いったん「盗みとった国」をやすやすと手離すことはありえないだろう。この先、「盗みとった国」をいったいどうするつもりか、他人事ではいられない。
この宰相は、「地球は自分を中心にして廻っている」と狂信している。「総理大臣の私」「私の内閣」「私、わたし、ワタシ」の国・日本国。この人にとっての「神霊」が、祖父岸信介(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%B8%E4%BF%A1%E4%BB%8B)であることはいうまでもなかろう。祖父が残した課題(自主憲法の制定)を成し遂げるまでは、宰相の職は手離さないと決めている。そうとでも解釈しないと、崖っぷちの足の踏ん張りどこが見えてこない。
「一燈園」同人・石川洋の詩『生きる』から。
苦労した
ことのない
人は
自分のことを
先にしたがる
心に
くもりなき
ときは
多くの
言葉を
必要としない
失敗から
立ち直るには
恵まれ
過ぎた不幸に
目を覚ます
ことである
誰もが
ウラをしりたがっているのに
なぜ
悪いものを
ウラにかくしたがるのだろうか
自分に対して
他人に対して
これで
いいのか
社会に対して
家族に対して
<聖人が存在するかぎり、大盗賊はあとを絶たぬ。それを防ごうと躍起になって、聖人の知を動員すればするほど、大盗賊は肥えふとる一方だ。
聖人が枡(ます)を定め秤(はかり)をつくれば、これをそっくり盗んでしまう。割符を定め玉璽をつくれば、これまたそっくり盗んでしまう。仁義を説けば仁義までそっくり盗んでしまうのだ。
帯止めを盗む者は極刑に処せられるが、国を盗むものは諸侯になれる。国盗人どもはいずれも仁義を看板におし立てて、諸侯の地位におさまっているではないか。仁義聖知を盗んだといわずになんといおう。
仁義を盗み、治国の法を盗む大盗賊の所行が、天下に公認されている時世に、恩賞や刑罰がなにほどの効果を持つであろう。たかだかコソ泥を防止する程度の役に立つだけのことだ。
このように大盗賊をますます肥えふとらせ、悪を抑えるすべをなくしてしまったのは、ほかならぬ聖人の責任なのである。>
わが国の宰相は、「出処進退(用行舎蔵)」をわきまえぬ人らしい。もっとも、幾人かの「大盗賊」どもをたばねる首領だから、いったん「盗みとった国」をやすやすと手離すことはありえないだろう。この先、「盗みとった国」をいったいどうするつもりか、他人事ではいられない。
この宰相は、「地球は自分を中心にして廻っている」と狂信している。「総理大臣の私」「私の内閣」「私、わたし、ワタシ」の国・日本国。この人にとっての「神霊」が、祖父岸信介(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%B8%E4%BF%A1%E4%BB%8B)であることはいうまでもなかろう。祖父が残した課題(自主憲法の制定)を成し遂げるまでは、宰相の職は手離さないと決めている。そうとでも解釈しないと、崖っぷちの足の踏ん張りどこが見えてこない。
「一燈園」同人・石川洋の詩『生きる』から。
苦労した
ことのない
人は
自分のことを
先にしたがる
心に
くもりなき
ときは
多くの
言葉を
必要としない
失敗から
立ち直るには
恵まれ
過ぎた不幸に
目を覚ます
ことである
誰もが
ウラをしりたがっているのに
なぜ
悪いものを
ウラにかくしたがるのだろうか
自分に対して
他人に対して
これで
いいのか
社会に対して
家族に対して