耳を洗う

世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清める。~『史記索隠』

40年前の8月1日~“氷焔”の記事は…

2007-08-01 08:46:12 | Weblog
 参議院選挙は与党大敗して終った。当然のこととはいえ、国民の見識は健在と見るべきか、はたまた、安部政権の失政に対する一過性の「腹いせ」なのか、因果は定かではない。

 すでに8月、「原爆慰霊の日」も近いが、久しぶりに“氷焔”(『週刊エコノミスト』巻頭コラム:筆者・故須田禎一)を引いてみる。いつみても引き締まった文に魅せられる。


 <“わが軍は1968年に南アラブ(アデンなど)から完全に撤退する。
 1970年代のなかごろまでにシンガポールおよびマレーシアからも撤退する。
 ただし、香港の駐留部隊は維持する”

 “七つの海”を支配したユニオンジャック、斜陽のなかを“名誉ある退場”へのプログラム。

 香港だけは維持したい、というのは感傷か、虚栄か、それともソロバンか。

 耳をすますと、地軸のきしるような、世界史のあしおとが聞こえる。

 
 歌人ウノノサララ姫(のちの持統女帝)は父の天智と夫君の天武とのあいだに立って苦しんだが、彼女のきずいた藤原京の址に立ったとき、律令国家の草創期の“草いきれ”を感じることができる。

 人間の歴史は、つねに鋭角に旋回する。

 “富士は冷たく旅人を拒絶したが、筑波は暖かくねぎらった。それで筑波にはみどりの樹々がしげり、富士は氷雪に閉ざされるようになった”(常陸風土記)。

 いま富士は山頂を一神社に占拠され(名古屋高裁は神社側に軍配をあげた)、中腹を星条旗の影で穴だらけにされている。
 そして筑波は“研究学園都市”とやらに。

 滄海は桑田となり、スズメはハマグリとなるたぐいか。

 
 炭鉱の主婦たち、まなじりを決しての座りこみ。
 CO(一酸化炭素)中毒対策の立法は未来を志向する。
 過去になずむ引揚者補償や農地報償に熱心な議員諸君が、COに冷淡なのはなぜか。
 化学記号に弱いからのみではあるまい。

 アメノウズメのしりふりダンスも“歴史教育”でおしえたいそうな(教育課程審議会ちかく中間報告)。

 なるほど、アカカガチ(引用者注:ほうずき)のような眼をしたお歴々によって“皇国史観”を復活なさるおつもりか。

 
 英国のジャーナリストのアンドルー・ロスら三人、ボリビア共和国の政府軍に捕われ、アンデス山中で消息を絶つ。
 このリベラルな文筆家がチェ・ゲバラとどの程度の連絡をもっていたのかは知らない。
 しかしラテンアメリカの支配層(およびその背後にいる“北方の巨人”)にとっては、いまや枯尾花さえゲバラの影に見えるらしい。

 
 武智鉄二の『黒い雪』が“精神生理学的に”法解釈される日本は、その点でまだ“ぬるま湯”なのだろう。
 ともあれ、東京地裁の無罪判決を支持したい。
 風紀上の“しめあげ”をゆるすならば、すべてに自己検閲の風潮を生み、風霜にめげぬ士気が地をはらうにいたるであろうから。

 魂の自由を、瞳のように大切にしたい。

                  (1967年8月1日)>


 いつもながら、時代がかさなって見えはしないか。