政府は24日、2017年度の文化功労者に歌舞伎の中村吉右衛門(73)、デザイン・文化振興のコシノジュンコ氏(78)、スポーツの三宅義信氏(77)ら15人を選んだ。吉右衛門はこのほど会見し、喜びを語った。文化功労者の顕彰式は同6日に東京都内のホテルで開かれる。

 会見した吉右衛門は「青天のへきれき。芝居をすることしか私にはできない。それも古典のみ。それを認めてくださり、正直びっくりいたしました」少し緊張の面持ちであいさつした。

 内定の一報を受けたのは知佐夫人。本人は先月痛めた肩のリハビリで家にいなかった。この時のやり取りに人柄が出ている。「『もちろんお受けします、とお伝えしますか?』と聞かれたので『もちろんですよ』と。妻に『おめでとう』と言われ『ありがとう』と。美しき夫婦愛です」と言って照れた。

 歌舞伎のみならず、吉右衛門といえば、昨年、有終の美を飾ったテレビ時代劇「鬼平犯科帳」の“鬼平”としてもお茶の間で親しまれてきた。来年で初舞台からちょうど70年になる。「年数を重ねればいい、というものではない」というが、重厚で陰影に富む演技で歌舞伎立役として活躍してきた。

 2011年に人間国宝にも認定。後進の指導にも人一倍力を入れている。最近になって「歌舞伎俳優は天職かな」と思えるようになってきたという。思い出深い演目に、いずれも代表作の「俊寛」「一條大蔵譚」「梶原平三誉石切」を挙げた。

 ふだんはゆっくりした口調で穏やかそのもの。舞台でのストイックさ、完璧主義からは同一人物と思えない変貌ぶりだ。また、孫にはめちゃくちゃ優しいおじいちゃんの素顔も。孫の和史くん(3)が風邪をひいた時。「じーたん(吉右衛門)、うつるから近くに来ないで」と孫が気を利かせて制すと、吉右衛門が「和史の風邪なら、もらってもいいよ」と返したエピソードもある。

 ◆中村 吉右衛門(なかむら・きちえもん)本名・波野辰次郎。1944年5月22日、東京都生まれ。73歳。初代松本白鸚の次男に生まれ、初代吉右衛門の養子に。48年中村萬之助を名乗り初舞台。66年2代目吉右衛門を襲名。四国金丸座こんぴら歌舞伎大芝居の復活に尽力した。歌舞伎作者としての筆名は松貫四(まつ・かんし)。絵画が得意。趣味は読書と「スピードの出し過ぎに注意しながらのドライブ」。兄は松本幸四郎、娘婿は尾上菊之助。屋号は播磨屋。

吉右衛門が文化功労者に
歌舞伎美人 2017年10月24日

 10月24日(火)、中村吉右衛門が文化功労者に選出されたことが、文部科学省から発表されました。

襲名したときから「少しは成長したかな」

 「私このたび、文化功労者という栄誉に浴させていただいておりますが、これもひとえに、初代中村吉右衛門、実父松本白鸚、私を指導してくださいました諸先輩、そして、ご後援くださる皆様のおかげと厚く御礼申し上げます」。爽やかな笑顔で、吉右衛門は感謝の言葉を述べました。

 文化功労者に選出されたとの一報に、「率直に申しまして驚きました。私は芝居しかできない役者でございます。主が古典しかできない役者。そんな者を功労者と認めていただけるのだろうかとびっくりいたしました」。昭和23(1948)年6月に初舞台を踏み、同41(1966)年に二代目中村吉右衛門を襲名、来年で歌舞伎俳優として70年を迎えます。「年数を重ねればいいというものでもないですが、それなりのノウハウは少しずつ自分の中にたまって、襲名したときよりは少しは成長したかなと」。

初代に追いつきたいという強い気持ち

 吉右衛門の養父、初代吉右衛門の功績を顕彰し、芸を継承するためにと始めた「秀山祭」は、今年で10回目を迎えました。「初代に追いつきたいという思いで毎年やっておりましたが、この頃は体がいうことをきく範囲でやっております」と言いつつも、「自分の性格なのか、初代のことを思い過ぎたのか、幕が開くと熱中してしまう。玄人の役者ではないなあと思います。幕が降りると息も絶え絶えという状態でございます」。

 可愛がってくれた初代からは「役者辞めちゃえ、と言われたことをよく覚えております」。数々の役を教わった実父の白鸚からは、「もう一回、もう一回と、声が枯れるまでせりふを言わされ、それでもできなかったことが記憶にあります」。初代と共演の多かった六世歌右衛門からは、「初代はよかったわねえ、とおっしゃるだけでどうしたらいいかわからなくて、悩んだこともございました」。教えを受けた先人からの厳しい言葉が糧となり、舞台に花開かせ、文化功労者という一つの実を結びました。初代は昭和27(1952)年、歌舞伎界で初めて文化功労者となった名優。今回の選出でまた一つ追いついたことになりました。

舞台を通して若い人たちへ渡す

 吉右衛門は、文化功労者としては、後継者の育成に努めなくてはいけないとも語りました。「実父、初代、先人に教えていただいたことを若い人たちにも教え、次に渡す。そのなかに多少、自分の考え、演出が入ることもございますが、なるべく言われたとおりに伝えたい」。

 特に思い入れの強い役として吉右衛門は、『平家女護島』俊寛、『一條大蔵譚』一條大蔵卿、『石切梶原』の梶原平三景時の3役を挙げました。「初代から、これからはこういうふうに歌舞伎を演出しなければならないと聞かされていた『俊寛』、初代の考えた演出が入った『大蔵卿』、初代が復活した『石切梶原』。大事にしたいですね」と、語る言葉にも熱が入ります。

 教えは、「受ける側が持っているものに大きく左右される」とも語った吉右衛門ですが、それは、自分が先人からの教えをその覚悟を持って真摯に受け止め続けたからこその言葉。文化功労者として後継者の育成には、計り知れない重みがありました。

 最近の息抜きはもっぱら読書だそうで、「絵の本や、芝居に関係あるものですから(平戸藩主松浦清の随筆)『甲子夜話』みたいなものを、枕元に置いて読んだりします。ドライブに行けるくらいの体力になればいいなと思いますが」。そして、体力的に踏み切れるようになったら、「自分の考えていることを新しい芝居にしたいなあ」とも。

 若い人に教え、また舞台を通して芸をつないでいこうとしている吉右衛門。「歌舞伎役者という商売を自分の天職だと思い、舞台を勤めようと思っております」。静かに、力強い言葉で会見を締めくくりました。

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中村吉右衛門ファンとしては、何も不思議はない決定です。これだけ高水準の歌舞伎の舞台をコンスタントに見せてくれるのは、片岡仁左衛門を除けば、吉右衛門だけですから。

来月も歌舞伎座で『奥州安達原』を演じます。貧乏英語塾長、絶対に見に行くつもりです。

この人がいなくなったら、歌舞伎界は真っ暗闇。健康上の問題をあれこれもっておられるようですが、ファンとしてはいつまでも元気な姿を舞台で見せてもらえたらと願ってやみません。