宮崎県にある航空自衛隊新田原基地の女性自衛官が、F15戦闘機の訓練課程を終え、国内初の女性の戦闘機パイロットが誕生しました。

松島美紗2等空尉(26)は23日、宮崎県新富町の航空自衛隊新田原基地で訓練課程の修了証書を受け取ると、早速F15戦闘機に乗り込んで機体をチェックしていました。

松島2尉は、身長1メートル59センチで、当初は輸送機などのパイロットを目指していましたが、3年前に防衛省が、それまで男性に限ってきた戦闘機のパイロットに女性を登用する方針を示したことを受けて、おととしから戦闘機の訓練課程に移っていました。

戦闘機では飛行中、最大で地上の9倍の重力がかかるため、操縦桿を握るにはかなりの腕力が必要ですが、訓練の結果、支障なく操縦できるようになったということです。

松島2尉は「小学生の時に映画の『トップガン』を見て以来、戦闘機のパイロットに憧れていました。あとに続く女性のためにも努力を続け職責を全うしたい」と話していました。

航空自衛隊によりますと、現在、ほかにも3人の女性自衛官が戦闘機パイロットを目指して訓練を続けているということです。

空自初、女性戦闘機パイロット誕生「小さい頃からの夢」
朝日新聞 2018年8月23日12時13分

空自初の女性戦闘機従事者になった松島美紗2等空尉=23日午前10時42分、宮崎県の航空自衛隊新田原基地

 航空自衛隊に初の女性戦闘機パイロットが24日、誕生する。新田原(にゅうたばる)基地(宮崎県)の第5航空団に配属され、F15戦闘機に乗り、今後、外国軍機による領空侵犯に対処する任務に就く。防衛省は、少子化などで自衛官を志望する若者が減るなか、性別による配置制限を見直し、女性の採用を増やしていく方針だ。

 「小さい頃からの夢だった。早く一人前になりたい」。松島美紗2等空尉(26)は23日、新田原基地であった戦闘機操縦課程の修了式で男性隊員5人とともに修了証を受け取った後、報道陣の取材に答えた。

 松島2尉は横浜市出身。子どもの頃、米軍パイロットの青春群像を描いた映画「トップガン」を見て、「大きく動く航空機で自由に空を飛べるようになりたい」と、この仕事に憧れた。防衛大学校を卒業後、自衛官に任官。当時は、女性は戦闘機パイロットになれなかったため、輸送機操縦の過程に進もうとしていたが、15年11月、防衛省が戦闘機操縦を女性に開放したことを知り、夢だった戦闘機乗りの道へ踏み出した。

 戦闘機パイロットは自衛隊内で花形とされる。肉体的、精神的な負荷は高く、部隊配属まで約3年間の操縦訓練を受ける必要がある。高速で旋回する戦闘機内では体重の9倍にあたる重力が全身を締め付け、外国軍機にどう対処するか高度な判断を迫られることもある。「自分の判断が国家の意思と受け取られる非常に強い緊張感のある仕事」(自衛隊幹部)という。

 空自は1993年に輸送機や救難機のパイロットを含め、女性の配置制限をほぼ撤廃した。おおむね40代前半で一線を退く戦闘機パイロットについては、妊娠・出産期に任務につけず、結婚・子育てを機に離職する可能性もあるなどとして制限を残していたが、米軍などでは90年代に配置が解禁されており、2015年に制限を見直した。基地内に保育所を設けるなどして、男女ともに働きやすい環境作りを進めている。

 背景には人材不足がある。少子化と高学歴化で、採用対象となる若者は減り続け、ここ数年は雇用環境が改善した影響で志望者も減っている。防大卒業生の任官辞退者も1割近くになっているほか、新規採用の6割を占める任期付きの「自衛官候補生」の採用数は4年連続で計画を下回っている。「定年延長も含め、できることをすべてやらざるを得ない状況」(防衛省幹部)という。

 自衛官約22万人のうち、女性は6・5%、約1万5千人。防衛省は2030年度までに9%以上にする目標を掲げている。(菊地洋行、古城博隆)

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いまはまだ『トップガン』のトム・クルーズのように「マーヴェリック(一匹狼)」の松島美紗2等空尉ですが、きっと後輩があとに続き、ひょっとすると女性戦闘機チームができるかもしれません。わくわくします。

日本の空自戦闘機パイロットは、中国やロシアの戦闘機と頻繁に対峙しなければならない激務です。松島2等空尉には、身体を大切にして、一日でも長く搭乗されることを期待しています。

(それにしても、自衛隊は「2等空尉」なんて呼び名をやめて、「空自中尉」にすればよいのに。英語では、同じことなのに。)

ともあれ、女性空自エリートの誕生に拍手です。