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「生まれた日に戻して」、取り違えられて60年

2013年11月28日 06時59分50秒 | 時事放談: 国内編

映画のような話があるんですねえ。最近にないショッキングなニュースです。記録しておきましょう。

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60年前の新生児取り違え、病院に賠償命令 苦痛認定(朝日新聞) - goo ニュース

2013年11月26日(火)21:54

 【小松隆次郎】60年前に別の新生児と取り違えられ、貧困を強いられたなどとして、東京都の男性(60)らが病院を運営する社会福祉法人・賛育会(墨田 区)に損害賠償を求めた訴訟の判決が26日、東京地裁であった。宮坂昌利裁判長は「男性の本来の家庭は裕福だったのに、高等教育を受ける機会を失わせて精 神的な苦痛を与えた」と認定。計3800万円の支払いを同会に命じた。

 判決によると、男性は1953年3月に同区の「賛育会病院」で出 生。この病院で13分後に生まれた子と取り違えられ、別の夫婦の実子として育てられた。男性の戸籍上の父親は55年に死去。生活保護を受け、兄2人ととも に母親に女手一つで育てられながら中学を卒業し、町工場に就職した。働きながら定時制の工業高校を卒業し、今はトラック運転手をしている

 一方、男性の実の両親(いずれも故人)は経済的にゆとりがあり、誤って引き取られた子も含めて、兄弟計4人はいずれも私立高校から大学に進学した。

出生取り違え 賠償命令 東京地裁「大学教育 機会失った」(産経新聞) - goo ニュース

2013年11月27日(水)08:05

  出生直後に別の新生児と取り違えられて精神的苦痛を受けたなどとして、東京都江戸川区の男性(60)とその実の弟3人が、産院を運営する墨田区の 社会福祉法人「賛育会」などに計約2億5500万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が26日、東京地裁であった。宮坂昌利裁判長は「取り違えにより、肉親と の交流を持てず、大学で教育を受ける機会を失った」などとして、賛育会側に計3800万円の支払いを命じた。

 判決によると、男性は昭和28年3月、産院で同じ日に生まれた別の新生児と取り違えられ、本来の両親とは違う親のもとで育った。男性は家計を助けるために中学卒業直後から工場で働き、学費を稼いで定時制高校を卒業した。

 男性の実弟らが行ったDNA型鑑定により、平成21年に取り違えが判明した。

  宮坂裁判長は「実弟らが経済的に恵まれた環境で育ったのに対し、男性は経済的に困窮した母子家庭で養育され、歴然とした環境の格差があった」と し、取り違えで「重大な不利益が生じた」と認定。また、実の両親(死亡)への精神的損害も認め、損害賠償請求権を相続した実弟に対しても、賠償を命じた。

 賛育会は「判決内容を精査し、対応を検討している」とのコメントを発表した。

60年前の取り違え「生まれた日に戻して」 男性が会見(朝日新聞) - goo ニュース

2013 年11月27日(水)23:45

 【小松隆次郎】生まれた日に、時間を戻してほしい――。東京都墨田区の病院で60年前、出生直後に取り違えられたとして、病院を訴えた裁判で勝訴した男 性(60)が27日、東京都内で記者会見した。自らの境遇、すでに亡くなっていた実の両親、そして育ての親への思いを、静かに語った。

  60年前、取り違えられた可能性がある――。そう知らされたのは2011年末だった。実の弟たちが、男性の居場所探しを調査会社に依頼。そこから連絡が あった。「そんなことがあるわけないと、認めたくない気持ちがあった」 2億5千万円の請求に対し、病院側に3800万円の支払いを命じた今月26日の東 京地裁判決によると、男性は1953年3月に賛育会病院で出生。13分後に同じ病院で生まれた別の新生児と取り違えられた。

 引き取ら れ た家庭では2年後に父親が亡くなり、母子家庭に。生活保護を受け、働きながら定時制高校を卒業した。今はトラック運転手。「育った環境はかなり厳しかっ た」 昨年1月、DNA型鑑定で取り違えが判明。26日の地裁判決は、賠償請求の時効(10年)の起算点を鑑定結果が出た時と判断した。ただ、会いたかっ た実の両親は、既に他界していた。墓参りを初めてしたときは「この世に生を受けたことに感謝している」と思いを伝えたという。会見では「何もお返しできな かった。生きて会いたかった」と悔しさをにじませた。

 自らが育った家庭への感謝の思いも口にした。「引き取られた家の父親は2歳のと き に亡くなったが、母親はできることを精いっぱいやってくれた。兄2人にも可愛がってもらった」 男性が育つはずだった家庭は両親が教育熱心で、経済的にゆ とりがあった。取り違えられたもう一人の男性と弟3人は全員私立高校から大学へ進んだ。「自分もそこで育てば、大学まで出してもらえたんだろう」 東京家 裁に、実の両親と親子関係があることの確認を求める訴えを起こし、今年1月に認められた。今は本来の名字だ。最近は実の弟3人と、酒を飲みに行くこともあ る。「いつかみんなで温泉に行きたい」。ただ、取り違えた病院に対しては「こんなことは二度とあって欲しくない。せめて謝罪して欲しい」と語った。


新生児取り違え:60歳男性「生まれた日に時間を戻して」
毎日新聞 2013年11月27日 22時57分(最終更新 11月28日 00時23分)

  「違う人生があったとも思う。生まれた日に時間を戻してほしい」。東京都墨田区の病院で60年前、出生直後に別の新生児と取り違えられ、東京地裁で病院 側の賠償責任を認める判決を勝ち取った都内の男性(60)が27日、東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見し、揺れる思いを吐露した。

  男性は1953年3月に出生。13分後に生まれた別の新生児と、産湯につかった後に取り違えられ、実母とは違う女性の元に渡された。育った家庭では、2歳 の時に戸籍上の父親が死去。育ての母親は生活保護を受けながら、男性を含む3人の子を育てた。6畳アパートで家電製品一つない生活だったが「母親は特に (末っ子の)私をかわいがった」と振り返る。「この世に生を受けたのは実の親のおかげ。育ての親も精いっぱいかわいがってくれた」。既に他界した4人の親 への感謝を口にした。

 男性は、中学卒業と同時に町工場に就職。自費で定時制の工業高校に通った。今はトラック運転手として働く。

 取り違えられたもう一方の新生児は、4人兄弟の「長男」として育ち、不動産会社を経営実の弟3人は大学卒業後、上場企業に就職した。

 兄弟で「長男」だけ容姿が異なることから、3人の弟が2009年、検査会社にDNA型鑑定を依頼。血縁関係がないことが確認された。その直後から実兄捜しが始まり、病院の記録を基に11年、男性を捜し当てた。

 「そんなことあるわけがない」。男性は取り違えの可能性を告げられた時、最初は信じられなかった。だが、育ての母親が兄たちと足の指の形が違うことに触れ「誰に似たんだろうね」と笑ったのを思い出した。

 今は実の弟と月に1度飲みに行き、育った家庭の兄の介護をする日々だ。だが、実の両親との再会はかなわなかった。「何もお返しできなかった。生きて会いたかった。写真を見ると涙が出る」【川名壮志、山本将克】

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「生まれた日に戻して欲しい」は、本年のはず。切ないですねえ。

病院側にどのような事情があったにせよ、これはやっぱり病院の責任でしょう。二度とこのような事件が起きないことを日本のすべての病院にお願いしたいものです。

取り違えられた方に幸せな老後が来ることを心よりお祈り申し上げます。


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